モーツァルト:ピアノ協奏曲 第14番 変ホ長調
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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モーツァルト:ピアノ協奏曲 第14番 変ホ長調 | Konzert für Klavier und Orchester Nr.14 Es-Dur K.449 | 作曲年: 1784年 |
楽章・曲名 | 演奏時間 | 譜例 | |
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1 | 第1楽章 Mov.1 Allegro vivace | 9分00秒 | No Image |
2 | 第2楽章 Mov.2 Andantino - Andante | 6分30秒 | No Image |
3 | 第3楽章 Mov.3 Allegro ma non troppo | 6分00秒 | No Image |
作品解説
1784年2月9日、弟子のプロイヤー嬢のために作曲されたことから、《プロイヤーのための協奏曲》第1番と呼ばれる(第2番は2ヶ月後に作曲された第17番K.453)。初演は当時モーツァルト夫妻が住んでいたトラットナーホーフ(出版業者トラットナーの建てた館)のカジノにおいて、おそらく3月17日に行われたと考えられる。これはモーツァルト主催の「トラットナー・カジノ演奏会」という予約演奏会(予約客を募ってから開催するもの)であり、父宛の書簡によれば、このときは174人もの予約客が集まったという。
当時のモーツァルトはヴィーンでの人気が高まっていたため、作曲や弟子のレッスン、演奏会といった多忙な日々を送っていた。当然、演奏活動が増えるにしたがって作品の数も膨大になる。そこで彼は自作品を整理する目的でこの年の2月から自作品目録を作成し始めた。その記念すべき第1号が、このピアノ協奏曲第14番なのである。
自作品目録には、作曲年月日、タイトル、楽器編成、冒頭主題が記されたのだが、このピアノ協奏曲に関しては、管楽器群(オーボエとホルン2本ずつ)の使用が任意である旨も書かれている。つまり、弦四部でも演奏できるよう仕上げられているということである。
第1楽章のカデンツァはモーツァルト自身によるものが残されている。
第1楽章:アレグロ・ヴィヴァーチェ、変ホ長調、3/4拍子。協奏的ソナタ形式。冒頭の第1主題のやや特異な進行をするユニゾンや、第2主題の素朴な旋律を支える低弦の刻みが決然とした印象を与える。管弦楽とピアノは比較的対等な立場をとり、いくらかシンフォニックな楽章になっている。
第2楽章:アンダンティーノ、変ロ長調、2/4拍子。三部形式。アリアのようになめらかな主題が美しい緩徐楽章。当時のフォルテピアノの響きを考えると、ピアノの左手パートが受け持つハープのようなアルペジオ伴奏が愛らしくきこえたことだろう。
第3楽章:アレグロ・マ・ノン・トロッポ、変ホ長調、2/2拍子。ロンド形式。スタッカートの活きた軽快なフィナーレ。アインガングの後は6/8拍子に変化し、さらに加速する。ピアノが大活躍しする楽章である。
「ピアノ協奏曲 第14番 変ホ長調」の例文・使い方・用例・文例
- ピアノ協奏曲
- その曲はピアノ協奏曲に編集された。
- 6月21日の本選で,上原さんはチャイコフスキーの「ピアノ協奏曲第1番」とラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」を演奏した。
- そのとき,彼女は偶然,ラヴェルのピアノ協奏曲を聞き,自分と千秋(玉(たま)木(き)宏(ひろし))が舞台でその曲を一緒に演奏している姿を想像する。
- 千秋は彼女がショパンのピアノ協奏曲を演奏するのを見るためにはるばるプラハまで行く。
- 内田さんはクリーブランド管弦楽団と共演したモーツァルトのピアノ協奏曲の演奏で最優秀器楽ソリスト演奏(オーケストラとの共演)賞を受賞した。
- 浅田選手は,ショートプログラムではショパンのノクターンのうちの1曲,フリーではラフマニノフのピアノ協奏曲第2番に合わせて演技すると述べた。
- フリーについて,浅田選手は「私はラフマニノフのピアノ協奏曲がとても好きです。」と述べた。
- 翌日のフリーでは浅田選手はラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」に合わせて滑った。
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