バハマの奪回とは? わかりやすく解説

バハマの奪回

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 05:51 UTC 版)

バハマの歴史」の記事における「バハマの奪回」の解説

1713年ウッズ・ロジャーズマダガスカル遠征して海賊鎮圧イギリス植民地創設することを着想した。ロジャーズ友人リチャード・スティール(英語版)とジョゼフ・アディソンは彼を説得して代わりにバハマ海賊攻撃することにした。ロジャーズらは軍資金工面するために会社創設カロライナ植民地領主説得して土地所有権維持しながらバハマ政府権利国王返還した1717年ジョージ1世ロジャーズバハマ総督英語版)に任命1年内にイギリスからの総督降伏した海賊恩赦するとの宣言出した。 新総督任命恩赦報せロジャーズ軍勢よりも早くナッソー到着した一部海賊恩赦条件受け入れて海賊稼業から引退ヘンリー・ジェニングスクリストファー・ウィンター出航してイギリス当局出頭恩赦受け入れ表明した。 しかし、諦めなかった者も多かった。その多くステュアート家支持するジャコバイトであり、ハノーヴァー家ジョージ1世敵視した。また一部自身単なる反乱者として自認しており、ほかには海賊稼業のほうがお金稼げると考えたイギリス海軍の軍艦正式にナッソー恩赦報せ発布すると、多く海賊受け入れようとしたが、やがて反抗的な海賊主導権握りイギリス海軍の軍艦追い返された。 黒髭ボネットニコラス・ブラウン、エドモンド・コンデントらはバハマ離れてほかの拠点探したチャールズ・ヴェインはこの時期部下ジョン・ラカム(「キャリコ・ジャック」)、エドワード・イングランドとともに頭角現した。ヴェイン到着する予定国王軍への抵抗軍組織ステュアート家の「老僭王ジェームズ・フランシス・エドワード・ステュアート請願しバハマ維持バミューダ占領への援助求めたステュアート家からの援助来ずロジャーズ到着近づくにつれてヴェインらはナッソー離れる準備をした。 ウッズ・ロジャーズ1718年7月末に自身排水量460トン軍艦自身会社所有する船3隻、イギリス海軍護衛船3隻を率いてナッソー到着したヴェインの船はナッソー港に封鎖されたが、ヴェイン船員は船に火をつけてロジャーズ艦隊元に送りロジャーズ艦隊混乱陥る中にほかの海賊から奪った小型船逃走した残り住民入植者200人と恩赦受け入れたい海賊(ホーニゴールドを含む)500から700人であり、ロジャーズ歓迎した海賊たち降伏すると、植民地領主バハマ領地21年ロジャーズ会社賃貸した。 ここにロジャーズナッソー支配したが、チャールズ・ヴェイン逃げおおせており、ロジャーズとその軍勢追い出す脅かしたスペイン王フェリペ5世イギリス人バハマ諸島から追い出そうとしていると知ったロジャーズナッソー守備強化した。彼は不明病気により新し軍勢100人近く失った上、イギリス海軍艦船はほかの任務のために去っていった。ロジャーズは船4隻をハバナ派遣スペイン総督自分海賊鎮圧しており、補給貿易求めた。しかし、元海賊だった者たちもロジャーズ軍勢海賊稼業戻り、ホーニゴールドはロジャーズによる鎮圧一環としてグリーン・タートル・キー(英語版)で10人を捕まえ、うち8人は有罪とされて要塞の前で絞首刑処された。 ヴェインバハマ小さな集落いくつか攻撃したが、より強いフランスフリゲートへの攻撃拒否すると、臆病とされて失脚しラカム代わり艦長になったその後ヴェインバハマ戻らず、やがてジャマイカ捕まえられ起訴され処刑された。ラカムジャマイカ私掠船危うく捕まえられ、さらに国王恩赦期限延長した聞くと、ナッソー戻ってウッズ・ロジャーズ降伏したラカムナッソーアン・ボニー関わるようになり、彼は彼女の元海賊ジェームズ・ボニー(James Bonny)との結婚無効にようとした。しかしロジャーズがそれを拒否したため、ラカムアン・ボニー少数仲間メアリ・リードとともにナッソー離れて海賊稼業戻った。しかし、数か月ラカムボニーリードの3人が捕まえられジャマイカ連行された。3人は海賊行為起訴されラカム処刑されたがボニーリード妊娠処刑免れ投獄された。リード牢獄の中で死亡ボニーその後知られていないイギリススペイン1719年に再び戦争状態に陥る四国同盟戦争)と、多く元海賊がイギリス政府私掠船員として徴募された。スペイン侵攻艦隊バハマ向かったが、ペンサコーラフランス奪取された(ペンサコーラ占領)ため代わりにそちらに向かったロジャーズ引き続きナッソー守備強化自身資産使った上に多額債務抱えるほどだった。2度目侵攻艦隊はこの防御工事(とイギリス海軍艦船がちょうナッソー滞在していたため)で退けられた。ロジャーズ1722年帰国してナッソー建設するために使った資金返還求めたが、総督更迭され結果にしかならなかった。彼は債務者監獄収監されたが、債権者が後に債務放棄した結果、彼は釈放された。 1724年に『最も悪名高い海賊たち強盗と殺人の通史』(A General History of the Robberies and Murders of the Most Notorious Pirates)という、ロジャーズバハマにおける海賊鎮圧功労称えた書物出版されると、彼の財政状況改善したジョージ1世1721年まで遡って彼に年金与えた1728年ロジャーズ2期目となるバハマ総督職に就任バハマ議会ナッソー防御工事修復するために必要な税金許可しなかったためそれを解散したロジャーズ1732年ナッソー死去した1741年、ジョン・ティンカー(英語版総督とピーター・ヘンリー・ブルース(Peter Henry Bruce)はモンタギュー砦Fort Montague)を建設したティンカーはさらに北米13植民地私掠船稼業が盛んでいることを報告、また豪華な家屋2,300軒が建設されたことを報告した

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