チャールズ1世との結婚
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「ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス」の記事における「チャールズ1世との結婚」の解説
アンリエット・マリーがイングランド王チャールズ1世と結婚したのは1625年6月13日のことで、当時のイングランドは、短期間とはいえそれまでの親スペイン政策から親フランス政策へと変わりつつあった。 結婚当初の両者の関係は良好とはいえなかったが、後に極めて親密な夫婦関係を築くことになった。ただし、彼女はイングランド社会に馴染めず、チャールズと結婚するまで英語を話した経験がなく、結婚後20年以上経った1640年代後半になっても英語での読み書き、会話に不自由するほどだった。このことと、熱心なカトリック信者だったことが相まって当時のイングランド社会からは異端視され、宗教的にも不寛容な王妃であると見なされるようになり、イングランドの一般大衆から徐々に人気を失っていった。1630年代のヘンリエッタ・マリアは「生来政治に無関心で、無教育、軽率な」人物であると評価されているが、信心深さ、女性らしさ、芸術に対する後援などに一定の個人的な美点を見出す意見もある。 ヘンリエッタ・マリアが最初に未来の夫たるチャールズに出会ったのは1623年のパリである。当時のチャールズはまだ王太子で、重臣のバッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズとともにスペイン王フェリペ3世の第2王女マリア・アナとの縁談をまとめるためにスペインのマドリードへと向かっていた。この旅の途中でチャールズがパリに立ち寄ったときに、フランス王宮で開かれた歓迎の晩餐会が二人の初対面となった。しかしながらスペインとイングランドの縁談は、フェリペ3世の息子でマリア・アナの兄フェリペ4世が妹との結婚の条件として、チャールズのカトリックへの改宗と、イングランド、スペイン間で結ぶ条約の保証として結婚後1年間はチャールズがスペインで暮らすことを求めたために成立しなかった。 スペイン王女マリア・アナとの結婚話が流れたチャールズはフランス王家に新しく花嫁を求めた。1624年に国王の代理人ケンジントンが王太子妃にふさわしい女性王族を探すためにパリに派遣され、最終的にはカーライル伯ジェイムズ・ヘイ(英語版)とホランド伯ヘンリー・リッチ(英語版)が、パリでチャールズとヘンリエッタ・マリアとの縁談をまとめ上げた。結婚時のヘンリエッタ・マリアはわずか15歳だったが、当時の王女の結婚年齢としては異例の若さというわけではない。 ヘンリエッタ・マリアの容貌については人によって異なる見解が存在している。チャールズの姪にあたるプファルツ選帝侯フリードリヒ5世とチャールズの姉エリザベスの末娘ゾフィーは32歳ごろに会ったヘンリエッタ・マリアについて「ヴァン・ダイクが描いた素晴らしい肖像画を通じて、私はイングランドの女性は美しい方ばかりだと思い込んでいました。しかしながら驚いたことに、肖像画であれほど美しくすらっとしていたイングランド王妃は実際にお会いしてみると、とっくに盛りを過ぎてしまった女性でした。ひょろ長い痩せた腕、かしげた肩、さらにまるで牙のように口からはみ出した歯をした方でした」と書き残している。しかしながら、綺麗な目と鼻、美しい顔色をしていたともされている。 イングランドに輿入れしたヘンリエッタ・マリアは非常に多くの持参金、美術品、衣装を持ち込んだ。ダイアモンド、真珠、指輪、ダイヤの飾りボタン、サテンやヴェルヴェットのガウン、豪奢な刺繍飾りのマント、10,000ルーブル相当の食器、シャンデリア、絵画、書物、礼服、寝具一式などで、さらにフランスで選ばれた12名の神愛オラトリオ会修道女と侍女も随行していた。 ヘンリエッタ・マリアがチャールズとの代理結婚式(en:Proxy marriage)を挙げたのは1625年5月11日で、チャールズがイングランド王位に就いて間もなくのことだった。正式な結婚式は1625年6月13日のことで、ケント州カンタベリーの聖オーガスティン修道院で挙行されたが、カトリック信者だったヘンリエッタ・マリアは英国教会での戴冠を拒否した。ヘンリエッタ・マリアはフランスのカトリック司教から戴冠を受けることを申し出たが、チャールズ1世とイングランド王宮にとってこの代替案は到底受け入れられるものではなかった。結局ヘンリエッタ・マリアはチャールズ1世が独りで戴冠するところを、目立たない場所から見ることを許されただけだった。この戴冠式でのいざこざが、ロンドン市民のヘンリエッタ・マリアに対する心証を激しく悪化させることとなり、イングランドの親フランス感情も、ユグノー反乱(en:Huguenot rebellions)におけるプロテスタントへの支持に移行しつつあった。そしてイングランドの国内問題が悪化するとともに、イングランド国民はヨーロッパ諸国の政治情勢への関心を失っていった。
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