チャールズ2世の王政復古
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「イングランド王政復古」の記事における「チャールズ2世の王政復古」の解説
4月4日、チャールズ2世はブレダ宣言を発し、その中で、イングランド王政の復古に関していくつかの約束(内乱期の反国王派の言動について不問に付すことなど)をした。マンクは庶民院議員選挙を行い4月25日に初めて仮議会を開いた(国王の承認を受けていないので仮議会と呼ばれる)。5月8日、議会は国王チャールズ2世が1649年1月30日の国王チャールズ1世の処刑以来ずっと正当な君主であったと宣言した。つまり、「基本法上はこれまでの19年間は決して起こらなかったようである」ということだ。 チャールズは亡命先のハーグを5月23日に出て、25日にドーヴァーに上陸した。彼がロンドン入りしたのは5月29日、奇しくも彼の30歳の誕生日であった。国王陛下の議会への復帰を祝うため5月29日はオークアップルデーとして知られる休日に制定された。チャールズはウェストミンスター寺院で1661年4月23日に戴冠した。 同時代の人から王政復古は「神の力で定められた奇跡。突然の思いがけない、圧政と政権簒奪からの解放は、自然で神聖な秩序の回復と認識される」と言われることがある。騎士議会(英語版)は1661年5月8日に召集され、1679年1月24日に解散するまで17年間続いた。前の議会と同様、王党派の議員が多数を占めた。騎士議会は王党派支持者に多くの年金を認めたことから、年金議会としても知られる。 王政復古初期の主導的な政治家はクラレンドン伯爵エドワード・ハイドだった。「クラレンドンの技能と知恵」が「王政復古を完全なもの」とした。 亡命したたくさんの王党派が帰国し、カンバーランド公ルパートがイングランドに帰国し、枢密院の一員となり年金を供与された。ノリッジ伯ジョージ・ゴーリングも国王の警護隊長として復帰し年金を供与された。マーマデューク・ラングデイルも帰国し男爵となり、ニューカッスル侯ウィリアム・キャヴェンディッシュも帰国して持っていた土地の大部分を再獲得した。ガーター勲章を1666年に与えられ(1650年から与えられていた)、1665年3月16日には公爵に昇進した。
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