いくつかの共和政期の称号の再認可
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 15:25 UTC 版)
「イングランド王政復古」の記事における「いくつかの共和政期の称号の再認可」の解説
護国卿時代に作られた憲法、統治章典で国王の称号を授与する権限が護国卿に与えられた。ナイトの称号が護国卿時代に新たに30人以上に与えられた。このような騎士の称号はチャールズ2世の王政復古とともに忘れ去られたが、多くは国王によって再授与された。 11人の護国卿準男爵のうち、2人は前もって革命中にチャールズ1世に称号を授与されていた。だが共和政法制下では護国卿によってその称号を認められず(護国卿が称号を再授与した)、共和政法制撤廃後、2人の準男爵はチャールズ1世によって認められた準男爵位を名乗った。チャールズ2世は4人をさらに再承認した。1人のみ、現代まで準男爵位が受け継がれており、第14代サー・リチャード・ウィリアムはサー・グリフィス・ウィリアムズの直系の子孫である。残りの護国卿下の準男爵、ウィリアム・エリスはチャールズ2世にナイトの称号を与えられた。 エドマンド・ダンチは1658年4月に東ウィッテンハムのバーネルの男爵に任命されたが、この男爵位の国王による追認は行われなかった。彼の孫エドマンド・ダンチが死ぬと男系が1719年に絶えてしまい、今日では誰もその称号を自分のものだと主張することはできない。 クロムウェルが作った世襲制子爵の一つは今なお確かに残っている。チャールズ・ハワードをモーペスのハワード子爵にし、ギルスランドの男爵にした。1661年4月、ハワードは初代カーライル伯爵、モーペスのハワード子爵、ダクレ・オヴ・ギルスランドの男爵に就任した。現在の男爵はクロムウェルが作り、王政復古時代に追認されたこの伯爵の直系の子孫である。
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