イングランドとの古い同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 18:07 UTC 版)
「ポルトガル王政復古戦争」の記事における「イングランドとの古い同盟」の解説
この時代のイングランド王国は、イングランド内戦の渦中にあった。イングランドにおいて議会派が内戦に勝利しつつあった一方で、ポルトガル宮廷はイングランドの王子たちを正当なイングランド王位継承者として承認しており、これは様々な問題の原因となった。チャールズ1世の廃位と処刑を行ったイングランド共和国が存在していた期間、この問題が常に存在していた。チャールズ2世の王政復古後、ポルトガルは従来のイングランドとの同盟を刷新し、ジョアン4世の王女カタリナとチャールズ2世の婚姻によって対スペイン関係における国外からの支援を回復することで、フランスからの支援(これは限定的であったが)の損失分を補うことが可能になった。終戦時にスペインとの和平が可能となった大きな要因は、イングランドとの同盟関係である。スペインは当時三十年戦争で国力を使い尽くして疲弊しており、他のヨーロッパ強国とさらなる戦争を遂行する余力は残っていなかった。なおこの時、ポルトガル側からカタリナの持参金の一部として、港湾都市タンジールとボンベイがイングランドへ割譲された。 軍事的には、喝采戦争は主として毎年行われた侵攻・反撃および国境での持続的な小競り合いからなる戦争である。スペインによる大規模なポルトガル侵攻として、フランスとの和平後にフェリペ4世が命じ、その右腕である将軍カラセナ侯ルイス・デ・ベナビデス (en) が指揮したものがある。この戦役は次の5つの戦いによって雌雄を決することとなった。 モンティジョの戦い (en) (1644年5月26日) エルヴァスの戦い (en) (1659年1月14日) アメイシアルの戦い (en) (1663年6月8日) カステロ・ロドリゴの戦い (en) (1664年7月7日) モンテス・クラロスの戦い (en) (1665年6月17日) ポルトガル軍はこれらの戦いで全て勝利し、イングランドの仲介の下で1668年、リスボン条約 (en) により和平が成立した。 1884年、1640年の王政復古を記念して、リスボンにレスタウラドーレス広場(pt, 王政復古志士広場)がつくられた。
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