イングランドとオスマン帝国の共同作業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:52 UTC 版)
「プロテスタンティズムとイスラーム」の記事における「イングランドとオスマン帝国の共同作業」の解説
エリザベス女王の時代にオスマン帝国との外交関係が結ばれ、レヴァント会社に勅許が与えられた。また1578年に、オスマン帝国宮廷への最初の大使としてウィリアム・ハーボーン (William Harborne) が派遣された。エリザベス女王とスルタン・ムラト3世の間では、互いに多くの通信使と書翰が取り交わされた。ある返信でムラトは、それぞれがローマ・カトリックと共通する以上のものを、偶像崇拝を拒否するということで、イスラームとプロテスタントは同じものを持っているという考えを記し、イングランドとオスマン帝国の同盟を議論している。ヨーロッパのカトリック勢力に動揺を与えるため、イギリスはオスマン帝国に、(大砲鋳造のための)錫と鉛、軍需品を輸出した。また、エリザベス女王は、1585年にスペインとの戦争が始まったとき、ムラト3世との共同軍事行動を真剣に議論した。スペインという共通の敵に当たるために、オスマン帝国の直接軍事行動を引き出させるよう、フランシス・ウォルシンガムに交渉させたのである。当時のイングランドの著述家はしばしば、「トルコ人」と「オスマン帝国」を盛んに賞賛した。彼らは「威厳があり、荘厳な形式と機能」を持ち「ヨーロッパで最強の国」であるとし、トルコ人は「唯一近代的な人々で、行為に趣があり、今日最も偉大な栄光を持ち、彼ら以上の人々を見いだすことができない」とし、さらに「信じられないほど礼節に富む」と記したのである。
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