サーゲイ・ブリン
【英】Sergey Brin
サーゲイ・ブリンとは、世界的に有名な検索エンジンを提供するGoogle社の共同創業者である。1973年8月、数学者にして経済学者であったマイケル・ブリンの息子としてロシア国モスクワで生まれた(Sergey Brinはロシア語表記では Сергей Бринとなる)。彼が5歳の時に一家はソビエト連邦内における反ユダヤ主義を避けるために米国カルフォルニア州パロ・アルトに移住した。
折りしもマイクロコンピュータが革新的に進歩するのと時を同じくして成長した彼は、子供の頃からコンピュータに興味を持っていた。9歳の誕生日には父親からCommodore 64が贈られている。1990年に高校を卒業したあと、サーゲイはメリーランド大学へと入学し、コンピュータサイエンスと数学を研究した。大学卒業後は全米科学協会(National Science Foundation)から特待生として認められ、スタンフォード大学にてコンピュータサイエンスの分野で修士課程に進んだ。
スタンフォード大学では、後にGoogleを共同で創業することになったラリー・ペイジと出会った。彼らははじめの内は意見が合わず仲が良くなかったが、すぐに「膨大なデータの集合から関連した情報を検索する」という共通の関心があることに気がついた。このようにして彼らは、今日広く知られている「大規模なハイパーテキスト的なWeb検索エンジンに関する解剖」と題された論文を共同執筆した。この論文はその後Google社の提供する検索エンジンの中核技術であるPageRankとして結実し、1998年9月にGoogleの検索サービスが開始された。

なお、サーゲイの父は米国へ移住後メリーランド大学の数学教授として働き始め、今日でもなお在職している。また、母はNASAで研究者として働いている。
セルゲイ・ブリン
(サーゲイ・ブリン から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/04 08:23 UTC 版)
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セルゲイ・ブリン
Sergey Brin
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2008年撮影
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| 生誕 | Sergey Mikhaylovich Brin Сергей Михайлович Брин 1973年8月21日(52歳) |
| 住居 | カリフォルニア州ロスアルトス |
| 国籍 | |
| 民族 | 東欧系ユダヤ人 |
| 出身校 | メリーランド大学(理学士) スタンフォード大学(理学修士) |
| 職業 | 起業家(実業家) コンピュータ科学者 |
| 給料 | |
| 純資産 | |
| 身長 | 173 cm (5 ft 8 in) |
| 肩書き | Google 共同創業者 Alphabet 社長 |
| 配偶者 | アン・ウォジツキ(2007 - 2015) |
| 子供 | 2 |
| 親 | ミハイル・ブリン エヴゲーニャ・ブリン |
| 公式サイト | Google.com – Sergey Brin |
| 署名 | |
セルゲイ・ミハイロヴィッチ・ブリン(英語: Sergey Mikhailovich Brin、1973年8月21日 - )は、アメリカ合衆国のコンピュータ科学者、実業家。Googleの共同創業者。サーゲイ・ブリンとも表記される。
経歴
ソビエト連邦モスクワに住む東欧系ユダヤ人の家庭に生まれる[1]。ロシア語名はセルゲイ・ミハイロヴィッチ・ブリン(ロシア語: Сергей Михайлович Брин)。父ミハイルはソ連のゴスプラン経済研究所[2][3][4]で働く数学者でその後米国に渡りメリーランド大学の数学教授、母エヴゲーニャはアメリカ航空宇宙局の研究員[1]。1979年、6歳の頃に家族でアメリカ合衆国へ移住[1]し、ロシア語と英語のバイリンガルになった。
幼少時からコンピュータに興味を持ち始め、1990年にメリーランド大学に入学し計算機科学と数学を専攻。1993年に理学士号を取得した。卒業後、米国科学財団から特待生として認められ[5]、スタンフォード大学にて計算機科学の修士課程に進む。スタンフォード大学ではインターネットに関心を持つようになり、検索エンジンや構造化されていないソースからの情報抽出法、莫大なテキストデータや科学データのデータマイニング手法などを研究し、学会誌にも多数の論文を発表した[5]。1995年に計算機科学の修士号を取得。また、2003年にはスペインのIE ビジネススクールから名誉MBAを授与された[6]。
ラリー・ペイジとはスタンフォード大学在学中に知り合った。初めは仲が良くなかったものの[7]、やがて「膨大なデータの集合から関連した情報を検索するシステムを作る」という共通する関心があることに気づき、The Anatomy of a Large-Scale Hypertextual Web Search Engine(大規模なハイパーテキスト的なウェブ検索エンジンに関する解剖)と題された検索エンジンに関する論文をペイジとの共著で執筆した[8]。スタンフォード大学の博士課程を休学し[5]、1998年にGoogle社を共同設立。この論文は後にGoogleのページランク技術に取り入れられることになった。
国際会議やビジネス・テクノロジーフォーラムにも度々招聘され、世界経済フォーラムにて講演を行った実績もある。CNBCやCNNのテレビ番組にも出演し、技術産業や検索技術の将来について意見を述べた[5]。
2008年6月11日、スペース・アドベンチャーズ社と契約し、宇宙旅行に行くことを発表した[9]。実施時期は未定。
2019年12月3日、Alphabetの社長を退任することを発表。退任のタイミングは、同社CEOだったペイジと同時[10]。
2022年6月、妻だったニコール・シャナハンと離婚[11]。
映画出演
- 『インターンシップ』2013年
出典
- ^ a b c Malseed, Mark (2007年4月). “The Story of Sergey Brin” (英語). Moment Magazine. 2012年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年3月20日閲覧。
- ^ “М. И. Брин, “Топология групповых расширений У-систем”, Матем. заметки, 18:3 (1975), 453–465; Math. Notes, 18:3 (1975), 858–864”. www.mathnet.ru. 2025年9月4日閲覧。
- ^ Василий Максимов. “Сергей Брин. To do Google”. 2011年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月2日閲覧。
- ^ “РГАЭ online”. opisi.rgae.ru. 2025年9月4日閲覧。
- ^ a b c d “Google 会社情報: 経営陣”. Google. 2007年3月20日閲覧。
- ^ “Larry Page and Sergey Brin, the founders of Google, awarded MBAs Honoris Causa by Instituto de Empresa” (英語). IE ビジネススクール (2003年9月25日). 2009年6月17日閲覧。
- ^ “Google Corporate Information: Google Milestones” (英語). Google. 2007年3月20日閲覧。
- ^ “The Anatomy of a Search Engine”. infolab.stanford.edu. 2025年9月4日閲覧。
- ^ “SA社、新計画発表。グーグル創業者が宇宙へ? | スペース・アドベンチャーズ | sorae.jp”. www.sorae.jp. 2025年9月4日閲覧。
- ^ “グーグル共同創業者のCEOと社長、そろって退任”. 読売新聞 (2019年12月4日). 2019年12月3日閲覧。
- ^ “Court Filings Reveal Details of Google Cofounder Sergey Brin's Divorce”. Insider (2022年6月17日). 2023年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年6月10日閲覧。
外部リンク
- セルゲイ・ブリン - TEDカンファレンス
- Sergey Brin - Google+
- セルゲイ・ブリン・ラリー・ペイジ「Googleについて」の講演映像 - TEDカンファレンス、2004年2月、20分30秒。
- セルゲイ・ブリン「なぜグーグル・グラスなのか?」の講演映像 - TEDカンファレンス、2013年2月、7分11秒。
- サーゲイ・ブリンのページへのリンク