コミックバンドの歴史と近況について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 20:25 UTC 版)
「ドンキーカルテット」の記事における「コミックバンドの歴史と近況について」の解説
カントリーやロカビリー音楽のバンドから派生したドンキーカルテットは、いかりや長介のドリフターズから分裂する以前から、コミック・ミュージックでは新進気鋭のスタン・フリーバーグ(英語版)や、映画で底抜けコンビ、ジャック・レモン、ルイ・ド・フュネスなどを自ら研究し、前身カントリー、ロカビリーバンド時代には進駐軍関連で演奏技術を磨いた。米軍キャンプナイトクラブやディスコで、客のダンスを遮らないノンストップ演奏に楽器担当が小用など、やむを得ない事情から離れる場合には、その楽器を代理で演奏する技量も求められて、マルチミュージシャン感覚を鍛えたという[要出典]。 戦前、アメリカの影響からボードビル・ミュージックで日本ではあきれたぼういず等、通称「ボーイズ」達が浅草六区で多くの人が話題となり活躍し、戦後そのメンバーの一人だった坊屋三郎が、灘康次とモダンカンカンの助けで継続していた。ジャズや原典にあたるジャグミュージックをスパイク・ジョーンズが「冗談音楽」へ発展させ、音楽を真面目に演奏して茶化して聴衆を笑わせるというジョーンズの画期的な試みは、戦後日本では三木鶏郎が作家としてコミックソング、コマーシャル曲の参考にし、ジャズバンドからフランキー堺とシティ・スリッカーズに、萩原哲晶、青島幸男らとハナ肇とクレージーキャッツなどが影響を受け、その後コメディ映画、劇場舞台、ラジオ出演やテレビにを出演した際に経験知識を生かしている。コミックソングをレコード盤などでその名曲を残した。レコード盤では流行歌、歌謡曲の扱いに、映画、テレビといった目で愉しみ増幅する楽器の擬音や調子外れな音調、すなわち音痴等音楽のコントでは、特徴的な演奏で表現する愉快さの大半は省略されている。 1960年代には演奏を交えてコントを行うコミック・バンドの様式が確立し、イギリスではこの流れを汲み曲芸師を伴うこともあった1962年ニール・イネスらのボンゾ・ドッグ・バンド(Bonzo Dog Band英語版)が結成、2年後マイク・マクギアらが結成したコミック・ソング中心のバンドスキャホード(The Scaffold英語版)など新しい顔ぶれも登場したが、ビートルズ、ロック音楽台頭にエンターテイメントの多様化も顕著で、映像のTVが中心の時代に入り、日本では寄席舞台やラジオで活躍していた三味線など楽器を持った漫才師たちと演歌・浪曲・講談といったものを取り入れた歌謡漫談の玉川カルテット、横山ホットブラザーズなどがTV映像を意識した演術を模索すると、欧米の流行を取り入れ、洋楽とその演芸を得意としたドンキーカルテットのようなコミックバンドが出演する機会を減らし、都市部のナイトクラブや大型キャバレー等、時には外国人を相手にした夜の舞台も時代変化によるプログラムの変更や、閉業で演奏出来る場所も次第に減少していく事になる。 後に登場したビジーフォーの元メンバーであるモト冬樹は、自身の近況を踏まえて2012年インタビューで「現在の日本では、音楽コントを披露出来る正統なコミックバンドは既に絶滅してるでしょうね」と語っている。テレビ番組のバラエティの増加を始めその内容の充実や変化等から、全体的に専門のコミックバンドは現在でも衰退傾向である。
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