カール・ヘフナー・500-1とは? わかりやすく解説

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カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(1本目 1961年製)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 09:08 UTC 版)

ポール・マッカートニー」の記事における「カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(1本目 1961年製)」の解説

最初に入手した左利き500-1デビュー前よりキャバーン・クラブなどで使用していたため、通称「'キャバーン・ベース」という名称で知られるヘッド部分の「HOFNER」のロゴゴシック体風の書体縦書き書かれており、リア・ピックアップがフロント・ピックアップのすぐ隣についており、二つピックアップ間隔が狭いことが特徴それまでビートルズベーシストだったスチュアート・サトクリフ脱退しポールベーシスト転向するにあたりハンブルク楽器店で購入した左利きということポール特注したという話もあるが、当時からあった左仕様既製品である。ヘフナー選んだ理由として、「本当フェンダーベース欲しかったんだけど、値段高くて買えなくてね(当時イギリスではアメリカ製品物には高額な税金かけられていた)。フェンダーベースよりずっと安くて、左用のベースがこれ(ヘフナー)しかなかったんだ。あと、ボディシェイプ左右対称左利きの僕が持って違和感がなかったし、形も何となくカブトムシbeetle)に似ていたからね」と後にポール述べている。またショート・スケール30インチフェンダーなどの一般的な通常のロング・スケールベース34インチちなみにミディアム・スケールだと32インチになる)で弾き易く、中が空洞なので非常に軽く肩がこらないので、ポール本人ヘフナーベースはとても気に入っているそうである。1963年2本目カール・ヘフナー購入後は、コンサート時のサブ・ベースとしてステージ用意していた。1965年頃には赤みの強い3トーン・サンバーストの再塗装施し破損していたピックアップエスカッション一体型の物に交換した1968年にはシングル「レボリューション」プロモーションビデオ使用。さらに1969年「ゲット・バック・セッション」でも使用していた。「ゲット・バック・セッション」終了後盗難にあったらしく(ザ・フージョン・エントウィッスル破壊されたという説もある)、現在ポールはこのベース自体所有していないが、2000年代入ってから、このベースと完全同仕様スペシャルモデルシリアルナンバー「1」)をヘフナーから贈呈されている。現在、ヘフナーウェブサイト上でこのベース捜索活動が行われている記載がある。

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カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(2本目 1962年仕様の1963年製)

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2本目入手した左利き500-11963年10月頃に入手。こちらはヘッドの「Hofner」のロゴが、横書き筆記体状のものになっており、二つピックアップ間隔片方ネック寄り、もう一方ブリッジ寄り1本目の物より広くなっている。ポールトレードマークとして有名になったのは、この2本目の方である。1964年まではレコーディングステージ双方においてメインベースとして使用された。このベースにはもともとストラップピン付いておらず、ビートルズ時代にはネック側はネックエンドとボディ隙間ストラップ巻き付けテールピース側はテールピース自体フック付けて使用していた。1965年リッケンバッカー・4001S手に入れてからは、レコーディング使用される頻度徐々に減っていったが、1966年コンサート活動停止するまでは一貫してライヴではメインベースとして使用された。ピックガード一般的なねじ止めではなく、釘のようなもので取り付けられている。入手当初ピックガード付けたまま使用しており、1966年6月7月日本公演時もピックガード付けられていたが、同年8月アメリカツアーでは、ジョージエピフォン・カジノとともにピックガード取り外されていた(原因はオクターブピッチの調整時にピックガードもしくはピックガードブリッジ固定する金属の棒)が割れた折れた)為と言われている。ポールによるとその後このピックガード紛失したとの事)。1967年シングルペニー・レイン」のプロモーションフィルム登場して以降レコーディング使用されるともなく表舞台にも出てこなかったが、1969年「ゲット・バック・セッション」1本目とともにメインベースとして再登場し、アップル屋上でのライブでも使用された。ビートルズ解散後およびウイングス結成後は、レコーディング・ステージともにリッケンバッカー4001Sメインにしていたため表舞台に出ることはなかった。ただし、1974年頃のウイングスリハーサル風景撮影した写真の中でアンプ立てかけてあったり、当時ウイングスギタリストだったジミー・マッカロク左右逆にして(ジミー右利き弾いている写真残されており、ウイングス時代にはスタジオには持ち込まれていたが、レコーディングライヴ使用されたことはほとんどなかったと思われる

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