カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(1本目 1961年製)
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最初に入手した左利き用500-1。デビュー前よりキャバーン・クラブなどで使用していたため、通称「'キャバーン・ベース」という名称で知られる。ヘッドの部分の「HOFNER」のロゴがゴシック体風の書体で縦書きで書かれており、リア・ピックアップがフロント・ピックアップのすぐ隣についており、二つのピックアップの間隔が狭いことが特徴。それまでビートルズのベーシストだったスチュアート・サトクリフが脱退しポールがベーシストに転向するにあたり、ハンブルクの楽器店で購入した。左利き用ということでポールが特注したという話もあるが、当時からあった左仕様の既製品である。ヘフナーを選んだ理由として、「本当はフェンダーのベースが欲しかったんだけど、値段が高くて買えなくてね(当時のイギリスではアメリカ製の品物には高額な税金がかけられていた)。フェンダーのベースよりずっと安くて、左用のベースがこれ(ヘフナー)しかなかったんだ。あと、ボディのシェイプが左右対称で左利きの僕が持っても違和感がなかったし、形も何となくカブトムシ(beetle)に似ていたからね」と後にポールは述べている。またショート・スケール(30インチ。フェンダーなどの一般的な通常のロング・スケールのベースは34インチ。ちなみにミディアム・スケールだと32インチになる)で弾き易く、中が空洞なので非常に軽く肩がこらないので、ポール本人はヘフナーのベースはとても気に入っているそうである。1963年に2本目のカール・ヘフナーを購入後は、コンサート時のサブ・ベースとしてステージに用意していた。1965年頃には赤みの強い3トーン・サンバーストの再塗装を施し、破損していたピックアップのエスカッションを一体型の物に交換した。1968年にはシングル「レボリューション」のプロモーションビデオで使用。さらに1969年の「ゲット・バック・セッション」でも使用していた。「ゲット・バック・セッション」終了後に盗難にあったらしく(ザ・フーのジョン・エントウィッスルに破壊されたという説もある)、現在ポールはこのベース自体は所有していないが、2000年代に入ってから、このベースと完全同仕様のスペシャルモデル(シリアルナンバー「1」)をヘフナーから贈呈されている。現在、ヘフナーのウェブサイト上でこのベースの捜索活動が行われている記載がある。
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カール・ヘフナー・500-1(Karl Höfner 500-1)(2本目 1962年仕様の1963年製)
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2本目に入手した左利き用500-1。1963年10月頃に入手。こちらはヘッドの「Hofner」のロゴが、横書きの筆記体状のものになっており、二つのピックアップの間隔が片方がネック寄り、もう一方はブリッジ寄りと1本目の物より広くなっている。ポールのトレードマークとして有名になったのは、この2本目の方である。1964年まではレコーディングとステージの双方においてメインベースとして使用された。このベースにはもともとストラップピンが付いておらず、ビートルズ時代にはネック側はネックエンドとボディの隙間にストラップを巻き付けテールピース側はテールピース自体にフックを付けて使用していた。1965年にリッケンバッカー・4001Sを手に入れてからは、レコーディングに使用される頻度は徐々に減っていったが、1966年にコンサート活動を停止するまでは一貫してライヴではメインベースとして使用された。ピックガードは一般的なねじ止め式ではなく、釘のようなもので取り付けられている。入手当初はピックガードを付けたまま使用しており、1966年6月・7月の日本公演時もピックガードは付けられていたが、同年8月のアメリカツアーでは、ジョージのエピフォン・カジノとともにピックガードが取り外されていた(原因はオクターブピッチの調整時に、ピックガード(もしくはピックガードとブリッジを固定する金属の棒)が割れた(折れた)為と言われている。ポールによるとその後このピックガードは紛失したとの事)。1967年、シングル「ペニー・レイン」のプロモーションフィルムに登場して以降はレコーディングに使用されることもなく表舞台にも出てこなかったが、1969年の「ゲット・バック・セッション」で1本目とともにメインベースとして再登場し、アップル屋上でのライブでも使用された。ビートルズ解散後およびウイングス結成後は、レコーディング・ステージともにリッケンバッカー4001Sをメインにしていたため表舞台に出ることはなかった。ただし、1974年頃のウイングスのリハーサル風景を撮影した写真の中でアンプに立てかけてあったり、当時のウイングスのギタリストだったジミー・マッカロクが左右を逆にして(ジミーは右利き)弾いている写真が残されており、ウイングス時代にはスタジオには持ち込まれていたが、レコーディングやライヴに使用されたことはほとんどなかったと思われる。
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