ウェイト=スミス・タロット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/15 17:19 UTC 版)
「パメラ・コールマン・スミス」の記事における「ウェイト=スミス・タロット」の解説
1909年12月、イギリスのライダー・ブランドから初めて出版された時、単に「タロット・カード」と呼ばれ、アーサー・エドワード・ウェイトの「The Key to the Tarot(タロット理解の手がかり、邦題は『タロット図解』)」と題をつけられた手引き書が付属しているだけだった。翌年、ウェイトは、スミスの白黒の絵をその手引き書に付け足して、「Pictorial Key to the Tarot(イラストつきタロット理解の手がかり)」として出版した。1971年、U.S. Games社がタロット・デッキの出版権を買い取り、ライダー・タロット・デッキとしして出版した(アメリカとイギリスの著作権法の差異のため、ウェイト・スミス版の著作権を主張することに異論が出されたのである)。後に出版された際には、ライダー・タロット、さらにライダー・ウェイト・タロットと名称が変更された。 今日、ほとんどの研究者は、スミスの果たした貢献の重要性を認識するため、このタロット・デッキを「ウェイト=スミス・タロット」と呼んでいる。タロットのことを書いているライター達は、このタロット・デッキを、ライダー・ウェイト・スミスの頭文字を単純に取ってきて、「RWS」と呼ぶことが多い。 初版が出版された後、1世紀の時が経つうちに、様々な版がいろいろな出版社から出版されてきた。その中にはスミスの絵を他のアーティストが描き直したものもある。また、新しく製版して作成しなおすため、スミスの絵を写真で取り直しているものもある。多くの版では改めて色を着け直している。というのも出版された当時の技術的限界のせいで、どちらかというと初版のものは色使いがどぎついものになっていたからである。一例として1968年のアルバノ・ウェイト・タロットがあげられる。これは線画は同じままで、より明るい色を塗ったものであった。最近のU.S. Games社の版では、スミスの手書きのタイトルが各カードから消されて、その代わりに標準的な活字でタイプしたタイトルに置き換えられている。総じて、こうした新しい版のデッキは、その種類が多岐にわたっていて、初版をほとんど忠実に再現したものからウェイト=スミス版に刺激されヒントを得たに過ぎないといった程度のものまで、様々なものが出版された。 ウェイトはしばしばウェイト=スミス版のデザイナーとして紹介されるが、彼は共同でデザインに当たったチームの「半分」、つまり二人のうちの一人だと考えるのがより正確な言い方だろう。基本となる発想、一つ一つのカードの構成、全体を貫く象徴体系についてはウェイトに責任があると言える。ウェイト自身は画家ではなかったので、彼は、才能と直観に満ちたスミスに、実際のタロット・デッキの作製を任せたのである。 スミスは、スケッチというよりは、おそらくウェイトの指示、それも書き留められた言葉による指示にのっとって作業したと考えられる。すなわち、望ましいデザインについて事細かに指示された内容に従ったのである。これは、イラストレーターが作業する時に普通に採られる方法であり、商業イラストレーターとして、スミスはおそらくこうした作業の進め方に満足していただろうと思われる。ウェイトが細かな指示を出したのは、主に、そしてもっぱら、大アルカナのカードに限られていた。小アルカナについては単純にカードの意味の一覧表が与えられていただけであった。それ故、その素晴らしさから覚えやすい小アルカナのカードの絵の仕上がりは、主としてスミス自身の発明に負うところが大きいのである。小アルカナは、まさに、このタロット・デッキによって成し遂げられた重要な成果の一つだと言える。というのも、それまでに出版されていたほとんどのタロット・デッキは(特にマルセイユ・タロットのタイプは)、小アルカナのデザインが極端に簡素なものばかりだったからである。ウェイト=スミス版のタロット・デッキが長きにわたって愛されているのは、一つには、スミスが小アルカナに込めた象徴的意味の豊かさにその理由があるのかもしれない。 スミスとウェイトは、デッキのデザインのための「ひらめき」を手に入れるため、様々な情報源を利用している。特にウェイトは、主にフランスのマルセイユ・タロットからヒントを得ているように思われる(ただし、マルセイユ・タロットの一番古いものは16世紀にまで遡ることができるものの、ウェイトが模範としたのは18世紀に作られたものだった)。その他の、18世紀もしくは19世紀に作られたマルセイユ型のイタリア製タロット・デッキがデザインのための追加資料として利用されたことも、考えられなくもない。小アルカナのカードについては、スミスは主に15世紀のイタリアのカード、「ソラ・ブスカ・タロット」を手本としている。例えば「剣の3」のカードを見てみれば、明らかに二つのデッキが一致しているとわかる。そしてさらに、何人かの登場人物はスミスの友人の似顔絵が描かれている。特に、エレン・テリー(棒の女王)とフローレンス・ファー(世界)ははっきりとわかる。 スミスはこのタロット・デッキの絵を、1909年の4月から10月という6ヶ月の間にすべて完成させている。これは、約80枚のカードの絵を仕上げるという意味では、短い期間だと言えよう(1909年のスティーグリッツ宛てのスミスの手紙によると、78枚の標準的なタロット・デッキにほぼきっちりと対応したという)。イラストはほとんどがペンとインクで描かれており、もしかすると鉛筆による下書きを上からなぞっているかもしれない。現在では原画が失われてしまっているため、確かな結論を出すことはできない。イラストを完成させた後、スミスが水彩画法で色をつけたか、それとも誰か別の人間が色づけをしたのか、今となっては推測することしかできないのである。
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