アメリカ移住と作家としての経歴
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「イマヌエル・ヴェリコフスキー」の記事における「アメリカ移住と作家としての経歴」の解説
1939年、戦争が近いという観測がなされる中ヴェリコフスキーは家族と共にニューヨークに旅行し、そこでサバティカルを過ごし Oedipus and Akhnaton という本を書くための調査をしようと考えていた。これはフロイトの『モーゼと一神教』に触発されたもので、ファラオのイクナートンが伝説のオイディプースのモデルだった可能性を検証する構想だった。フロイトは、一神教を創始したとされるイクナートンが、イスラエルの砂漠で民衆にモーゼが説いた宗教原理の原典だったと主張した。フロイト(およびその先駆者)の主張の根拠となっているのは、聖書の賛美歌104番とアケトアテンにあるイクナートンの墓の壁に刻まれていた文章の類似性である。フロイトへの反証と出エジプト記が実際にあったことを証明するため、ヴェリコフスキーはエジプト側の文献に出エジプト記に対応するものがないかを捜した。その1つが Ipuwer Papyrus で、彼は聖書に出てくる伝染病の記述と似ていると考えた。従来のエジプト学では Ipuwer Papyrus の成立年代が非常に古いと想定されており、聖書の出エジプト記の年代(紀元前1500-1450年ごろ)や従来のエジプト史との整合で言われている出エジプト記の年代(紀元前1250年ごろ)よりも古いとされていた。このため、ヴェリコフスキーは従来の歴史の定説が間違っていて、それを訂正する必要があると考えた。 アメリカに来て数週間後、第二次世界大戦が勃発した。間もなく元々の著書の構想から発展させ、ヴェリコフスキーは過激な天変地異的宇宙論を生み出し、定説をくつがえす新たな歴史を考案した(後述)。結局ニューヨークに定住することになり、研究と執筆を継続し、彼の理論を学界や一般社会に広める方法を捜し求めた。まず、1945年に Scripta Academica という理論の概要を記した小冊子を2冊(Theses for the Reconstruction of Ancient History と Cosmos Without Gravitation)自費出版した。1947年、天文学者ハーロー・シャプレーにそれらを送り、そこである程度の反響を得ることになった。 1950年、『衝突する宇宙』の原稿を8社の出版社に持ち込んで断られ、最終的に学術出版界の大手である Macmillan で出版することが決まった。その出版前に Harper's Magazine でリーダーズ・ダイジェスト誌がよくやるような非常に肯定的な特集が組まれ、激しい論争が起きた。ヴェリコフスキーに小冊子を送りつけられていたシャプレーがこの論争に気づき、本の出版に反対の立場で参戦した。シャプレーは『衝突する宇宙』を出版し続けるなら Macmillan の本を教科書として採用しないと脅した。結局同書の出版元は2カ月もしないうちにダブルデイに移った。そのころにはアメリカ合衆国でベストセラーになっていた。1952年、ダブルデイはヴェリコフスキー版の歴史書の第1弾である『混沌時代』を出版。1955年には『激変の地球』を出版した。ヴェリコフスキーは1952年11月、マンハッタンからニュージャージー州プリンストンに引っ越している。 1950年代から1960年代初めにかけて、ヴェリコフスキーは各大学にとって「ペルソナ・ノン・グラータ = 好ましからざる人物」とされた。しかしその後は講演を依頼されるようになる。彼の講演には毎回大変な人数の聴衆が集まった。1972年、カナダ放送協会がヴェリコフスキーとその業績を紹介する1時間番組を放送し、ヴェリコフスキーの名声はさらに高まった。1973年にはBBCが30分のドキュメンタリー番組を放送している。 1970年代中ごろ以降、ヴェリコフスキーは学界における批判的論者への反駁に時間を費やすようになり、同時に北米やヨーロッパ各地で講演を行った。糖尿病と間欠的なうつ病を患った(娘によれば学界に批判され続けたために悪化したという)。また、予定されていた続編(『衝突する宇宙』の前の話と『混沌時代』の続編)の出版は微妙となった。 生涯最後の2年間に『混沌時代』の続編2冊 Peoples of the Sea (1977) と Rameses II and his Time (1978) がようやく出版された。1979年11月17日、妻に看取られながら自宅で亡くなった。
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