アメリカ移住と死とは? わかりやすく解説

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アメリカ移住と死

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:37 UTC 版)

バルトーク・ベーラ」の記事における「アメリカ移住と死」の解説

母親の死以前から、バルトーク政治的に硬化していくハンガリー去り自身ライフワークである民俗音楽研究打ち込め環境求めて他国移住することも検討し始めていた。はじめはトルコアンカラへの移住検討する環境整わないことから断念した最終的に1940年春にアメリカ合衆国へ演奏旅行の際、友人達アメリカへ移住可能性打診、彼らの協力コロンビア大学客員研究員として南スラブ民俗音楽研究取り組む手はずを整えると一旦帰国10月8日ブダペストリスト音楽院の大ホール告別コンサート開きハンガリー国鉄技術者になっていた長男、そしてコダーイに後を託し、ザッハーやかつての恋人ゲイエルなど友人達助力を受け、妻と膨大な研究資料自作資料と共にアメリカ合衆国へ移住した。なお、次男ペーテル全寮制学校在学中のためハンガリー残った1年後単身アメリカ渡りその後アメリカ海軍招集応じた少々自己中心的でなかなか他人打ち解けないタイプであったバルトークにとって、アメリカ決し居心地良くなかったし、研究講演以外はピアニストとして生計立てるつもりだったとはいえ作曲する気にもならなかったようで、演奏会活動を行う以外は、先のコロンビア大学での研究の他、ヨーロッパから持ち込んだ民俗音楽研究没頭していた。しかし1940年ごろから右肩周辺痛み感じるなどの不調があった健康状態次第悪化1942年になると断続的に発熱繰り返すようになった1943年初頭にはついに入院してそれまで活動全て中断するフリッツ・ライナーなどアメリカ在住バルトーク友人たちは、戦争印税収入滞るなど収入源無くなってしまった彼を支援するため「作曲者著作者出版者為のアメリカ協会 (the American Society for Composers, Authors, and Publishers) 」に医療費負担させるよう働きかけ、更に当時ボストン交響楽団率いていた指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーに、彼の財団夫人思い出のための作品バルトーク依頼させる。すると驚異的なスピードで《管弦楽のための協奏曲》を完成。この依頼があって作曲への意欲引き起こされたようで、ヴァイオリン・ソナタ演奏会取り上げる際にアドヴァイス求め来て親しくなったユーディ・メニューイン依頼で《無伴奏ヴァイオリンソナタ》にも着手し1944年には両曲の初演それぞれ立ち会う出版社との新し契約収入面の不安もやや改善され健康状態小康取り戻して民俗音楽研究再開した。しかし、その病は白血病だった。 1945年、《子供のために》や《管弦楽のための協奏曲》の改訂をする傍ら、妻の誕生日プレゼントにしようと軽やか新古典派的な《ピアノ協奏曲第3番》、ウィリアム・プリムローズから依頼された《ヴィオラ協奏曲》に着手するが、ともに完成させることができずに、9月26日ニューヨークブルックリン病院死去(満64歳没)。前者はほとんどできあがっており(オーケストレーション17小節残された)、草稿段階とどまった後者とともに友人ハンガリー系作曲家シェルイ・ティボール(Sérly Tibór)によって補筆完成された。 遺体は「ナチスドイツ共産主義ソ連の名前が残っている内は祖国埋葬しない」との遺言に基づきニューヨーク州ハーツデイル(英語版)のファーンクリフ墓地埋葬されたが、ハンガリー社会主義労働者党一党独裁放棄決めるなど民主化進んだことから、ハンガリー在住長男ベーラアメリカ合衆国在住次男のぺーテル、そして指揮者ゲオルク・ショルティらの尽力亡骸1988年7月7日ハンガリー移送され国葬によりブダペシュトのファルカシュレーティ墓地英語版)に埋葬された。現在ファーンクリフには記念碑残されている。

※この「アメリカ移住と死」の解説は、「バルトーク・ベーラ」の解説の一部です。
「アメリカ移住と死」を含む「バルトーク・ベーラ」の記事については、「バルトーク・ベーラ」の概要を参照ください。

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