ファーンクリフ墓地とは? わかりやすく解説

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ファーンクリフ墓地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/04 16:21 UTC 版)

ファーンクリフ墓地
Ferncliff Cemetery
ファーンクリフ墓地のエントランス(2006年、Anthony22撮影)
詳細
開園 1902年
所在地
アメリカ合衆国
座標 北緯41度01分39秒 西経73度49分57秒 / 北緯41.0275度 西経73.8325度 / 41.0275; -73.8325座標: 北緯41度01分39秒 西経73度49分57秒 / 北緯41.0275度 西経73.8325度 / 41.0275; -73.8325
ウェブサイト Ferncliff Cemetery Association
Find a Grave ファーンクリフ墓地
Ferncliff Cemetery
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ファーンクリフ墓地Ferncliff Cemetery)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ウエストチェスター郡グリーンバーグのハーツデール英語版にある墓地マンハッタンミッドタウンの北およそ40kmのところにある。開設は1902年で、無宗派。3つの共同霊廟、納骨堂、火葬場、礼拝堂などがある。

共同霊廟

ファーンクリフ墓地の3つの共同霊廟について、『ニューヨーク・タイムズ』紙は「贅沢な埋葬スペース」と評した。2001年の段階で霊廟の地下納骨堂の標準価格は15,000ドルもした。最高クラスのものになると、ブロンズの門、クリスタルのシャンデリア、ステンドグラスの窓付きで280,000ドルになる[1]

ファーンクリーフ霊廟

「思い出の大聖堂」と呼ばれるファーンクリフ霊廟が作られたのは、3つの霊廟の中でもっと早い1928年。古典的な建築様式。自然光を取り込む窓ガラスがないため廊下は暗い。エド・サリヴァンジョーン・クロフォードがこの霊廟に眠っている。

記憶の聖堂

記憶の聖堂(The Shrine of Memories)は2番目に作られたもので、1956年に完成した。第一の霊廟よりは現代的な構造になっている。自然光が差し込むガラスがたくさんある。メインホールにはクリストファー・コロンブスの肖像画がかけられている。ここにはベイジル・ラスボーンが埋葬されている。

ローズウッド

ローズウッドは1999年に完成した。歌手のアリーヤと父親が個室を所有している。キャブ・キャロウェイは妻と一緒に埋葬されている。

共同墓地

ファーンクリフ墓地では霊廟の前にある区画に地下埋葬される。屋外の地所に直立した墓石を建てることを認めない、極めて稀な墓地である。これにより墓地のメンテナンスが簡単になる。しかし、この方針制定前に建てられた直立墓石がいくつかある。マルコム・Xの墓もそのひとつで、パインウッドB区画にある。


埋葬されている著名人

墓地の正門(D C McJonathan撮影)

火葬場

ファーンクリフ墓地にはニューヨーク州ウエストチェスター郡で唯一の火葬場があり、ニューヨーク州の火葬の約10%を行っている。地方条例により、ウェストチェスター郡ではこれ以上の火葬場を建設することはできない。

火葬された著名人

脚注

外部リンク

座標: 北緯41度01分39秒 西経73度49分56秒 / 北緯41.02750度 西経73.83222度 / 41.02750; -73.83222




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