アジアへの冒険旅行とは? わかりやすく解説

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アジアへの冒険旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 02:45 UTC 版)

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の記事における「アジアへの冒険旅行」の解説

1906年3月サンクトペテルブルクロシア軍参謀本部呼び出されマンネルヘイムフランスポール・ペリオが行う、中央アジアからトルキスタンチベット経由して北京までを横断する考古学調査隊へ参加することになったペリオ目的研究だが、マンネルヘイム役目は清の地域事情軍事情勢調査する諜報活動であった華北ロシア、清、そして時にイギリスの間の勢力争いがあり、潜在的な危機持った一帯だったためである。しかしマンネルヘイム自身も、異国文化フィンランド紹介できることに魅力感じ参加決めた出発前には、後に現地実際に会う事になるオーレル・スタインの清への遠征報告書などを読んでいる。 サンクトペテルブルク列車出立しタシュケント情報収集した上でウズベキスタンアンディジャンで馬と人夫手配しオシペリオ調査隊と合流したペリオ側はロシア物資資金援助期待しており、それが叶わないことを知るとマンネルヘイム調査隊の一員ではなく同行者として扱った一行8月11日出発し8月24日カシュガル到着した1か月滞在したペリオ調査隊と別れ10月カシュガル出て南東方向ヤルカンドホータン巡り12月末にカシュガル戻った1月27日再出発し今度北東向かい天山山脈地形調査しながらグルジャ経由して7月24日新疆省中心地であるウルムチ到着した8月ウルムチから東へ進みトルファンバルクルハミ敦煌訪れた1908年1月29日蘭州入り4月28日西安5月30日開封と清の西部要所となる都市調べながら東へ進んだ開封から列車山西省向かい五台山寺院イギリスによって国を追われダライ・ラマ13世謁見した。ダライ・ラマロシア援助望んでおり、ロシア皇帝への贈物として白色絹地受け取ったマンネルヘイム自身ピストル献上品として捧げたその後馬車鉄道北へ向かい内モンゴル首都フフホトではモンゴル人牧草地植民し開拓する中国人見た1908年7月25日マンネルヘイム北京辿り着いた。総行程14,000キロメートルにおよび、そのうち10,000キロメートルは馬で移動したこの間自分の他には数人地元民雇っていただけで、ほとんど単独行に近い状態であったという。この旅を通じてマンネルヘイムは1,200点の蒐集品、1,370写真、2,000点の古文書やその一部集めたこの中には学術的に価値の高いものも含まれており、1911年72ページ論文発表した同時代スウェーデン地理学者探検家であるスヴェン・ヘディンマンネルヘイム調査評価した北京に6週間滞在した後、天津から長崎向かい日本8日間を過ごして舞鶴からウラジオストク経由して10月8日サンクトペテルブルクへ戻った諜報活動成果報告書としてまとめられ、清の遅い近代化教育、軍の改革異民族地方漢人殖民地化、工業産業鉄道建設日本の影響アヘン喫煙などが詳細に記録されていた。そのほかに非公開で、新疆省への兵力展開の可能性などについて報告した。 この旅を終えた1909年マンネルヘイムはミンスク・マゾヴィエツキ(英語版)の第13ウラジミール・ウーラン連隊指揮官となる。翌年少将格上げされワルシャワ皇帝護衛する近衛長槍騎兵連隊指揮官任されることとなった1912年ニコライ2世から側近将校のみに与えられるア・ラ・スーツの称号をうけ、1914年には近衛騎兵旅団司令官となり、元々指揮していた騎兵連隊の他に騎兵連隊1つ騎砲兵中隊1つ指揮することになった

※この「アジアへの冒険旅行」の解説は、「カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の解説の一部です。
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