摩利支天
「摩利支天」とは、陽炎の神・忍者の神・軍神として蓄財や護身そして勝利を司る神のことを意味する表現である。
「摩利支天」の基本的な意味
摩利支天は古代インドや古代ヒンドゥー教で信仰された神である。その姿は古代インド仏教では女性として描かれているが、日本に伝わった際男ととしても描かれ、二臂、三面六臂(3つの顔と6つの腕を持つ姿)または、八臂の女神像として作られる事が多く、猪を眷属(家来、配下のもの)にしている。猪は古代イランやインドでは神聖なものとして崇められており、イラン神話の英雄神バフラームやヒンドゥー教のヴィシュヌも猪に姿を変えたと言われている。持ち物の扇は「隠れる」ということを象徴している。また針と糸を持ち、これらは害を与える相手の目や口を塞ぐとされた。
陽炎の神、威光とも訳される。その姿は見えないけれども太陽のエネルギーによって確実に存在し、誰からも傷つけられることのない存在として、敵や厄災などから身を隠し護る守護神として信仰されている。秘法とも言われている「摩利支天隠業法」は姿形を見えなくする奥義の一つである。そのことからも摩利支天は古くは忍者の神、勝負運の神としても崇められていたが、近年では摩利支天を信仰することにより、いじめなどの理不尽な暴力や虐待を与える相手から、自分への関心をなくさせ護り、且つ相手にそれ相応の戒めを与える事ができると信じられている。
摩利支天の真言に「オンアニチマリシエイソワカ」というものがある。これは戦場に挑む際に唱えると一切の厄災から護られ敵から姿形を見えなくする事ができると伝えられている。神話では帝釈天と阿修羅神が争った際に摩利支天が姿を隠し帝釈天側に味方し勝利へ導いた事から、誰にも害されることなく願いを叶える事ができる不敗の軍神として、古くから上杉謙信や、前田利家などの名のある武将たちに信仰されてきた。摩利支天像を小さく彫り、身につけると勝負事にご利益があると言われている。
また「摩利支天の霊験はあらたかなり」と言われるように、信仰による効能・効果が明らかであるともされ厄払いや開運、早急に解決したい問題を抱える人々の信仰の対象になっている。
「摩利支天」の発音・読み方
摩利支天は「まりしてん」と読む。「摩利支天」の語源・由来
陽炎、太陽の光、または月の光を意味する「マリーチ、マリーチー」を神格化した女神が語源であり、由来は古代インドの聖典の一つである「ヴェーダ」のひとつである「リグ・ヴェーダ」に登場するウシャスという太陽の女神とされている。「ヴェーダ」は紀元前期2000年紀後半頃に成立したとされ、紀元前12世紀頃には現在の形に編纂されていた。ウシャスは「リグ・ヴェーダ」に登場する女神の中でも最も多くの賛歌をもち、太陽神スーリヤの先駆として、闇を祓いあらゆる生命の活動を促す神とされた。「日本三大摩利支天」とは
摩利支天徳大寺は東京都台東区上野にある日蓮宗の寺である。下谷摩利支天とも呼ばれ、戦災や震災の被害を受けた東京においても焼失を免れた摩利支天像は開運、厄除のご利益があるとされ信仰されている。そのほか京都の建仁寺塔頭の禅居庵、石川県金沢市の宝泉寺がある。「摩利支天」に関連する用語の解説
摩利支天山(長野県の山)とは
摩利支天山は長野県木曽郡木曽町、木曽郡大滝村、岐阜県高山市、下呂市に跨がる御嶽山の山頂にある標高2959mの山である。乗鞍や御嶽、甲斐駒などは古くから信仰の対象として崇められていた。摩利支天山は修験者が登る山に命名され、修験の山道とされている。また摩利支天は陽炎の神、護身の神とされることから、日天(太陽を神格化したもの)を守護する神として最高峰の山の脇の山を「摩利支天山」と名付ける事が多い。
修験道は日本古来の山岳信仰が外来の宗教などの影響を受けつつ平安時代に作り上げた宗教体系の一つである。主に山岳に篭り、厳しい修行による悟りを得る事を目的とする。このように山中で修行する修行者を修験者または山伏ともいう。
「摩利支天」の使い方・例文
・摩利支天像に必勝祈願する。・山頂から摩利支天山を目指す。
まりし‐てん【摩利支天】
まりしてん
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 00:20 UTC 版)
「孔雀王 (ファミリーコンピュータ)」の記事における「まりしてん」の解説
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