世知辛い
読み方:せちがらい
世知辛いの世知は仏教での世俗の知恵を意味し、それが世渡りの上手さへと転じ、最終的には抜け目がない、計算高いという意味となった。そこからさらにそのよう抜け目がない人が多い世の中は暮らしにくいという流れで、本来とは大きく異なる意味へと派生している。どちらの意味で使用するかによって言葉全体の内容が変わるが、大抵暮らしにくい意味は世の中全体や一部の社会を指し、計算高い場合は人が対象となるのがほとんどである。そのため間違いが起こる可能性は非常に低い。
類語としては、暮らしづらい、世渡りが難しいという意味がそのまま使用できる。より砕けた言い方だとシビアという言葉も適切である。また計算高い方の類語には、損得を優先する打算的や、貪欲さを表す意地汚いなどが使用される。いずれの場合でも、良い意味合いで使用されることはまずない。
世知辛いとは、世知辛いの意味
世知辛いとは、世渡りがしにくい、暮らしにくいという意味のことである。世知とは世渡りをする方法や処世術を意味する言葉であり、辛いはそれを強調する形である。したがって、辛いに困難であったり厳しいという意味合いはない。英語で表現する場合は、厳しさを表す hard や tough が用いられる。世知辛いの世知は仏教での世俗の知恵を意味し、それが世渡りの上手さへと転じ、最終的には抜け目がない、計算高いという意味となった。そこからさらにそのよう抜け目がない人が多い世の中は暮らしにくいという流れで、本来とは大きく異なる意味へと派生している。どちらの意味で使用するかによって言葉全体の内容が変わるが、大抵暮らしにくい意味は世の中全体や一部の社会を指し、計算高い場合は人が対象となるのがほとんどである。そのため間違いが起こる可能性は非常に低い。
類語としては、暮らしづらい、世渡りが難しいという意味がそのまま使用できる。より砕けた言い方だとシビアという言葉も適切である。また計算高い方の類語には、損得を優先する打算的や、貪欲さを表す意地汚いなどが使用される。いずれの場合でも、良い意味合いで使用されることはまずない。
世知辛い
読み方:せちがらい
(1)「世渡りがしにくい」という意味で使用する際には、社会や世間などの広い範囲を対象とする形容詞として、「コロナ禍で世知辛い(暮らしていくのが大変な)世の中だ」などの使い方をする。(2)「抜け目がない」という意味で使用する際には、人を対象として「金勘定に細かい、世知辛い(抜け目がない)人だ」といった形で用いる。
世知という語源が「世知辛い」となった由来は、仏教で「世俗の知恵」を意味する「世知」が日本に入ってきたときに「世渡りの才」という意味になり、世渡りがずば抜けて上手いことを「世知辛い」と表現するようになったのが始まりである。世渡りとは、社会の中で暮らしていくことや、処世術を意味する言葉だ。世渡りが上手い人に対する肯定的な意味から、徐々に否定的な意味を持つようになり、「計算高くて抜け目がない・けちである」という意味が生まれた。その後、「世知辛い人(抜け目がない人・けちな人)が多い世の中は暮らしにくい」という使い方から派生したのが、「世渡りがしにくい・暮らしにくい」という意味である。
「世知辛い社会」とは、自分が属している社会の状況が、暮らしにくいもの・安心して生活していくのが難しいものであるときに使う言い回しだ。不景気など、社会の経済状況が豊かでない場合に使うことが多い。世知辛くない社会とは暮らしやすい社会であり、困っている人が社会的な救済制度を利用しやすく、人からの援助も得やすいと考えられる。そのため、「世知辛い社会」とは、社会的な救済制度を利用するのが難しいとき、人からの援助を求めにくい社会の認識が広がっているときにも使える言い回しである。
「世知辛い世の中」とは、人々が暮らす世間で、世渡りが簡単でないことを表現する言い回しだ。不景気で、世間でもお金に余裕がないため、けちな人が増えている状況や、就職や昇給が簡単にできない経済状況、商店街やビル内の店舗が閉店してシャッター街になっている状況などを表す際に使用する。また、世間の人々に余裕がなく、人に優しくできない状況である場合にも使える言葉だ。
「世知辛い世界」とは、世渡りの才がない人には、生き残るのも成功するのも難しい世界を表す言い回しだ。競争が激しい場合や、協調や助け合いよりも、他人を蹴落としてでも這い上がっていく風潮がある場合、一度失敗すると再挑戦が難しい場合などである。単語の意味通り世界中が暮らしにくいことを伝えたい場合のほか、広い範囲を示す言葉として「自分の把握できる範囲すべて」や、「自分の会社が属する業界」などが世渡りしにくい・暮らしにくいと言いたい場合にも使える。
「世知辛い人」とは、抜け目がなく計算高い人や、けちな人のことである。世渡りが難しい、世間で暮らしにくい不器用な人のことではないため、注意が必要だ。世渡り上手な面を褒める際に使用する言葉ではなく、批判的な意味を持ち、嫌味や皮肉を込めて使われる言い回しである。
例文1:「親しい近所づきあいは敬遠されるような、世知辛い世の中になった」
親しい近所づきあいがしにくい、「暮らしにくい世の中」という意味の例文である。たとえば、町内会に入会したがらない人が増えるなど、近所の人との人間関係を避けるようになったことが挙げられる。引っ越してきた人が近所に挨拶をして回るのがマナーと言われていた時代もある中、ひとり暮らしの人が多い地域では防犯のために挨拶回りをしないことを推奨されるようになったのも、同じく「世知辛い世の中」といえるだろう。
例文2:「多少嘘でもいいことを言う人ばかりが出世して、実直に仕事をしている正直者が損をする、世知辛い世の中だ」
世渡りの上手いものが出世して、世渡りが下手だと損をする、と世の中の「世渡りの難しさ」を嘆く使い方である。世知辛い世の中を肯定している表現ではなく、本来は実直に仕事をする人間が出世するべき、という不満や皮肉を込めた表現だ。嘘でもいいことを言う側の人間ではなく、自分自身が実直に仕事をしている正直者だ、という認識を持っている側の人間が使う表現である。
例文3:「この業界は、いかに人を出し抜いて成果を上げるかが重要な、世知辛い世界だ」
「世知辛い」は業界に対しても使うことができる言葉だ。世渡りが下手な人は成果を上げにくいという業界の体質を嘆く、「世渡りの難しさ」を表現する例文2と同様の使い方である。
例文4:「横断歩道を渡れなくて困っているお年寄りがいても、みんな無視して通り過ぎて行く。世知辛い社会だ」
「世知辛い社会」を、お年寄りが横断歩道を渡るのを手助けする余裕がない、人に優しくない「暮らしにくい社会」という意味で使う例文だ。
例文5:「今年は月給のベースアップもしてくれないのだから、不景気とはいえ、世知辛い会社だ」
不景気の中で、会社にお金の余裕がなく昇給がないことを「暮らしにくい・生活していくのが難しい」として嘆く意味で、「世知辛い会社」と表現する使い方である。
例文6:「売上を上げるためには無理な営業もしなければならない、この商売は世知辛い」
「世知辛い」が形容する対象の単語は「商売」だが、「世知辛い」に続けて後ろに置くのではなく、前に置く使い方だ。意味としては、簡単に売上を上げることができない「世渡りの大変さ」を嘆くものである。
例文7:「以前は夜しか営業していなかった高級路線の居酒屋も、昼間に営業してランチメニューとワンコイン弁当を始めた。コロナ禍で売り上げが伸びないのか、よほど世知辛いのだろう」
コロナ禍による不景気で経営方針を変えた居酒屋を、「世知辛い」と言う使い方だ。世知辛いの前後に対象となる単語はないが、この場合の「世知辛い」は、これまでと同じ経営方針では同じ売上を上げるのが難しいだろう、と居酒屋の経営状況を推測している。対象が人ではないため、抜け目がないという意味にならない。経営が厳しくなり「暮らしていくのが大変な」状況、という意味の使い方である。
例文8:「バブルの頃は高級車でもどんどん売れたから、車のセールスも簡単だった。不景気の上に、若者の車離れと言われて、売るのが難しい世知辛い時代になってしまった」
時代を対象にしても使える、「世知辛い」の使い方である。セールスが難しい、「世渡りのしにくい」時代という意味だ。
例文9:「上司と飲みに行ったら1円単位まで割り勘で、部下の自分よりも高い給料をもらっているのに、世知辛い人だと思った」
皮肉を込めた「けちな人」という意味で、上司を「世知辛い人」と表現する使い方である。自分よりも目上であり給料の多い相手であれば、多めに支払ってくれる可能性があるため、割り勘に対して「けち」という皮肉が成立する。同僚や同じ給料をもらっている相手であれば、割り勘でも「けち」という考えにはならないため、「世知辛い人」とは使わない。
例文10:「あの人は世知辛い人だから、いつも自分だけ得をするように仕向けている」
一緒に仕事をする人が、他人が損をするような状況でも、「抜け目なく」自分だけが得をするようにうまく立ち回れる場合などにも、「世知辛い人」という。抜け目のなさや計算高さを、皮肉を込めた嫌味として表現する使い方だ。
「世知辛い」とは・「世知辛い」の意味
「世知辛い」とは、(1)世渡りがしにくい・暮らしにくい、(2)抜け目がない・けち、という2種類の意味を持つ言葉であり、方言ではない。「世渡りがしにくい・暮らしにくい」と「抜け目がない・けち」では、反対の意味を持つため、読み取る際に意味を取り違えないよう注意が必要だ。一般的に、「世知辛い」の語句で何を形容するかという対象範囲の広さで使い分けられる点から、どちらの意味か判断できる。(1)「世渡りがしにくい」という意味で使用する際には、社会や世間などの広い範囲を対象とする形容詞として、「コロナ禍で世知辛い(暮らしていくのが大変な)世の中だ」などの使い方をする。(2)「抜け目がない」という意味で使用する際には、人を対象として「金勘定に細かい、世知辛い(抜け目がない)人だ」といった形で用いる。
「世知辛い」の読み方
「世知辛い」の読み方は「せちがらい」である。「世知辛い」の語源・由来
世知辛いの語源は、仏教用語で「世俗の知恵」を意味する「世知」である。「辛い」は、前に置く「世知」の度合いを強調するための言葉であり、「世知」に対して「苦しい・つらい」という意味を付与するための言葉ではない。別の語源として、「切辛い」と書いて「状況が切迫していて、うまく対処するのが難しい」という意味から生まれた言葉という説がある。しかし、「世知辛い」は仏教用語の「世知」から生まれて、意味と用法が変遷していく経緯が明らかなため、「切辛い」語源説は考えにくい。世知という語源が「世知辛い」となった由来は、仏教で「世俗の知恵」を意味する「世知」が日本に入ってきたときに「世渡りの才」という意味になり、世渡りがずば抜けて上手いことを「世知辛い」と表現するようになったのが始まりである。世渡りとは、社会の中で暮らしていくことや、処世術を意味する言葉だ。世渡りが上手い人に対する肯定的な意味から、徐々に否定的な意味を持つようになり、「計算高くて抜け目がない・けちである」という意味が生まれた。その後、「世知辛い人(抜け目がない人・けちな人)が多い世の中は暮らしにくい」という使い方から派生したのが、「世渡りがしにくい・暮らしにくい」という意味である。
「世知辛い」の熟語・言い回し
「世知辛い」の熟語・言い回しには色々なものがある。世知辛い社会とは
「世知辛い社会」とは、自分が属している社会の状況が、暮らしにくいもの・安心して生活していくのが難しいものであるときに使う言い回しだ。不景気など、社会の経済状況が豊かでない場合に使うことが多い。世知辛くない社会とは暮らしやすい社会であり、困っている人が社会的な救済制度を利用しやすく、人からの援助も得やすいと考えられる。そのため、「世知辛い社会」とは、社会的な救済制度を利用するのが難しいとき、人からの援助を求めにくい社会の認識が広がっているときにも使える言い回しである。
世知辛い世の中とは
「世知辛い世の中」とは、人々が暮らす世間で、世渡りが簡単でないことを表現する言い回しだ。不景気で、世間でもお金に余裕がないため、けちな人が増えている状況や、就職や昇給が簡単にできない経済状況、商店街やビル内の店舗が閉店してシャッター街になっている状況などを表す際に使用する。また、世間の人々に余裕がなく、人に優しくできない状況である場合にも使える言葉だ。
世知辛い世界とは
「世知辛い世界」とは、世渡りの才がない人には、生き残るのも成功するのも難しい世界を表す言い回しだ。競争が激しい場合や、協調や助け合いよりも、他人を蹴落としてでも這い上がっていく風潮がある場合、一度失敗すると再挑戦が難しい場合などである。単語の意味通り世界中が暮らしにくいことを伝えたい場合のほか、広い範囲を示す言葉として「自分の把握できる範囲すべて」や、「自分の会社が属する業界」などが世渡りしにくい・暮らしにくいと言いたい場合にも使える。
世知辛い人とは
「世知辛い人」とは、抜け目がなく計算高い人や、けちな人のことである。世渡りが難しい、世間で暮らしにくい不器用な人のことではないため、注意が必要だ。世渡り上手な面を褒める際に使用する言葉ではなく、批判的な意味を持ち、嫌味や皮肉を込めて使われる言い回しである。
「世知辛い」の使い方・例文
「世知辛い」は形容する対象により、「世渡りがしにくい・暮らしにくい」と「抜け目がない・けち」という逆の意味を持つ言葉だ。取り違えやすいため、使い方には注意が必要である。それぞれの場合の例文を挙げて、解説する。例文1:「親しい近所づきあいは敬遠されるような、世知辛い世の中になった」
親しい近所づきあいがしにくい、「暮らしにくい世の中」という意味の例文である。たとえば、町内会に入会したがらない人が増えるなど、近所の人との人間関係を避けるようになったことが挙げられる。引っ越してきた人が近所に挨拶をして回るのがマナーと言われていた時代もある中、ひとり暮らしの人が多い地域では防犯のために挨拶回りをしないことを推奨されるようになったのも、同じく「世知辛い世の中」といえるだろう。
例文2:「多少嘘でもいいことを言う人ばかりが出世して、実直に仕事をしている正直者が損をする、世知辛い世の中だ」
世渡りの上手いものが出世して、世渡りが下手だと損をする、と世の中の「世渡りの難しさ」を嘆く使い方である。世知辛い世の中を肯定している表現ではなく、本来は実直に仕事をする人間が出世するべき、という不満や皮肉を込めた表現だ。嘘でもいいことを言う側の人間ではなく、自分自身が実直に仕事をしている正直者だ、という認識を持っている側の人間が使う表現である。
例文3:「この業界は、いかに人を出し抜いて成果を上げるかが重要な、世知辛い世界だ」
「世知辛い」は業界に対しても使うことができる言葉だ。世渡りが下手な人は成果を上げにくいという業界の体質を嘆く、「世渡りの難しさ」を表現する例文2と同様の使い方である。
例文4:「横断歩道を渡れなくて困っているお年寄りがいても、みんな無視して通り過ぎて行く。世知辛い社会だ」
「世知辛い社会」を、お年寄りが横断歩道を渡るのを手助けする余裕がない、人に優しくない「暮らしにくい社会」という意味で使う例文だ。
例文5:「今年は月給のベースアップもしてくれないのだから、不景気とはいえ、世知辛い会社だ」
不景気の中で、会社にお金の余裕がなく昇給がないことを「暮らしにくい・生活していくのが難しい」として嘆く意味で、「世知辛い会社」と表現する使い方である。
例文6:「売上を上げるためには無理な営業もしなければならない、この商売は世知辛い」
「世知辛い」が形容する対象の単語は「商売」だが、「世知辛い」に続けて後ろに置くのではなく、前に置く使い方だ。意味としては、簡単に売上を上げることができない「世渡りの大変さ」を嘆くものである。
例文7:「以前は夜しか営業していなかった高級路線の居酒屋も、昼間に営業してランチメニューとワンコイン弁当を始めた。コロナ禍で売り上げが伸びないのか、よほど世知辛いのだろう」
コロナ禍による不景気で経営方針を変えた居酒屋を、「世知辛い」と言う使い方だ。世知辛いの前後に対象となる単語はないが、この場合の「世知辛い」は、これまでと同じ経営方針では同じ売上を上げるのが難しいだろう、と居酒屋の経営状況を推測している。対象が人ではないため、抜け目がないという意味にならない。経営が厳しくなり「暮らしていくのが大変な」状況、という意味の使い方である。
例文8:「バブルの頃は高級車でもどんどん売れたから、車のセールスも簡単だった。不景気の上に、若者の車離れと言われて、売るのが難しい世知辛い時代になってしまった」
時代を対象にしても使える、「世知辛い」の使い方である。セールスが難しい、「世渡りのしにくい」時代という意味だ。
例文9:「上司と飲みに行ったら1円単位まで割り勘で、部下の自分よりも高い給料をもらっているのに、世知辛い人だと思った」
皮肉を込めた「けちな人」という意味で、上司を「世知辛い人」と表現する使い方である。自分よりも目上であり給料の多い相手であれば、多めに支払ってくれる可能性があるため、割り勘に対して「けち」という皮肉が成立する。同僚や同じ給料をもらっている相手であれば、割り勘でも「けち」という考えにはならないため、「世知辛い人」とは使わない。
例文10:「あの人は世知辛い人だから、いつも自分だけ得をするように仕向けている」
一緒に仕事をする人が、他人が損をするような状況でも、「抜け目なく」自分だけが得をするようにうまく立ち回れる場合などにも、「世知辛い人」という。抜け目のなさや計算高さを、皮肉を込めた嫌味として表現する使い方だ。
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