うちまき
『源氏物語』「横笛」 深夜、夕霧の夢の中に亡友柏木の霊が現れる。幼い若君がおびえて泣き、夕霧は目覚める。北の方雲居の雁や乳母たちが、「もののけが入って来たのだ」と騒ぎ、魔除けの米をまく。若君は一晩中、泣きむずかっていた。
『今昔物語集』巻27-30 ある人が方違えで、霊の住む家と知らずに泊まる。夜中に背丈5寸の五位が10人ほどあらわれ、束帯姿で小児の枕もとを通る。乳母がうちまきの米をたくさん投げつけると、五位たちは消え失せる。翌朝見ると、米の1粒ごとに血がついていた。
『金枝篇』(初版)第2章第2節 魂は鳥のごときもの、と見なされた。米を与えれば鳥が寄って来るように、米をまけば、身体から飛び出ようとする魂も戻って来る。セレベス島では、花婿の魂は飛び立ちやすいものと考えられ、このため、魂が身体にとどまるようにと、彩色された米が、花婿にふりかけられる。
★2a.小さな魔物に米粒をまくのに対し、大きな鬼に豆をまいて追い払う。
『貴船の本地』(御伽草子) 節分の夜、定平夫婦を取ろうと日本に渡り来た鬼に、豆を打ちつける。鬼は16のまなこを打ちつぶされて帰った。
『節分』(狂言) 節分の夜、蓬莱ケ島から来た鬼が、1人で留守番をする人妻に言い寄る。人妻は鬼の宝物を取り上げ、「鬼は外」と豆を打ちつける。鬼は「許いてくれい」と悲鳴をあげ、逃げる。
『大黒舞』(御伽草子) 老父母に孝行する大悦の助の家を、新年に大黒天が訪れ、袋から宝を出して与える。その夜は節分で、鬼が来て「戸を開けよ」と言うが、大黒の教えによって、大悦の助は豆を煎り「鬼は外、福は内」と唱えてまく。鬼は眼をふさいで去る。
『追儺』(森鴎外) 2月3日の夜、「僕」は築地の新喜楽の宴会に招かれた。時間より前に行ったので、新喜楽の女将であるお婆さんが、「福は内、鬼は外」と、豆打ち(=豆まき)をするのを見ることができた。昔、羅馬(ローマ)でも、黒豆を背後(うしろ)へ投げて死霊を退ける祭を、5月頃の真夜中にした。我が国の豆打ちも、もとは背後へ打つものだったそうだ。
『金々先生栄花夢』(恋川春町) 富商の家督を相続した金々先生は、吉原へ通い、派手に散財する。節分の夜には「豆まきなどは古い」と、金銀を枡に入れて、まいた。
★2c.小判をまく。
『愛宕山』(落語) 金持ちの旦那が、愛宕山中腹の茶店から谷底へ向けて小判20枚をまき、幇間の一八に「拾ったらお前にやる」と言う。一八は傘を落下傘代わりにして谷底へ飛び降り、小判を拾い集める。しかし谷底から上へ登ることができない。一八は一計を案じ、崖に生えている竹をしなわせ、その反動を利用して茶店まで跳び上がる。ところが、肝心の小判を谷底に忘れてきてしまった。
『宇治拾遺物語』巻11-9 入水往生する僧に、見物の群集が霰の降るように米をまき散らす。僧は「米が目や鼻に入ってたまらない」と言う。しかし僧は結局入水を取りやめたので、見物人たちが川原の小石をうちまきのごとく僧に投げつける。
★4a.魔性のものが、うちまきのごとく多くの石つぶてを投げつける。
『西鶴諸国ばなし』(井原西鶴)巻1-7「狐四天王」 米屋門兵衛が誤って小狐を殺した夜、彼の屋敷の棟に何百人もの女の声がして「ただでは置かぬ」と言い、雨のごとく石を打ちつけた。白壁も窓蓋も破れたが、見ると、つぶては1つもなかった。
★4b.豆を投げつける。
『絵本百物語』第36「小豆洗」 越後の国の某寺の利発な小僧(*→〔識別力〕5b)が、彼をねたむ悪僧に殺された。その後、夜な夜な小僧の霊が出て、雨戸に小豆を投げつける大きな音がした。また、夕暮れ時に小川で小豆を洗い、その数を数える姿が目撃された。
★4c.砂をまく。
砂かけ婆(『水木しげるの日本妖怪紀行』) 砂かけ婆は奈良県に出没する妖怪だ。神社近くの寂しい森陰などに潜み、通る人に砂をばらばらとふりかけて脅す。姿を見た人はいない〔*狸のしわざともいわれる。徳島県には「砂ふらし」と呼ばれる狸がいる。人が通るとしきりに砂を降らし、方角をわからなくして、川や水辺に誘い込んで落とし入れる〕。
Weblioに収録されているすべての辞書からうちまきを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書からうちまきを検索
- うちまきのページへのリンク