豊饒の海 第一巻・春の雪

豊饒の海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/09 06:12 UTC 版)

第一巻・春の雪

春の雪
訳題 Spring Snow
作者 三島由紀夫
日本
言語 日本語
ジャンル 長編小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出新潮1965年9月号-1967年1月号
刊本情報
出版元 新潮社
出版年月日 1969年1月5日
装幀 村上芳正
総ページ数 269
シリーズ情報
次作 奔馬
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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執筆期間は1965年(昭和40年)6月から1966年(昭和41年)11月まで[29]

モデルとなる寺の取材のため、三島が初めて奈良県圓照寺に行った日は1965年(昭和40年)2月26日である[29]。松枝侯爵邸のモデル(環境および建築としての邸のモデル)は、西郷従道の邸宅で、この洋風建築は博物館明治村に保存されている[30]

この邸宅をモデルにしたのは、西郷家の誰かと皇族の妃殿下候補が恋愛した事件の噂が実際にあったことも三島の興味をそそったのではないかと推察されており[18]、三島のノートには尼寺の林丘寺に関する聞き書きの記述もある[16][18]

松枝家の別邸として登場する「終南別業」(王摩詰の詩の題をとって号した)は、旧加賀藩主・前田本家第16代目当主・前田利為侯爵家の広壮な別邸をモデルとしている[31]。加賀藩・前田家は、三島の祖父・橋健三、曽祖父・橋健堂が代々仕えた家である[31]。綾倉聡子のモデルとしては北白川祥子#その他を参照。

三島は『春の雪』において、〈会話のはしばしにまで、古い上流階級の言葉の再現〉をしたとし、〈あと十年もたてば、これらの言葉は全くの死語となるであらう〉と述べ[30]、『春の雪』は、〈『花ざかりの森』や『盗賊』の系列の延長線上にあるもの〉としている[10]

あらすじ

時代は明治末から1914年(大正3年)早春まで。

勲功華族たる松枝侯爵の令息・松枝清顕は、出生時から貴族であることが約束され何不自由ない生活を送っていたが、流れるままの生活に何か蟠りを抱えていた。清顕は幼い頃に、堂上華族の綾倉家に預けられていた。本物の華族の優雅を身につけさせようという父の意向であった。
綾倉家の一人娘・綾倉聡子は清顕より2歳年上で何をやっても優れた優雅な令嬢である。そんな幼馴染の聡子は初恋のようでもあり、姉弟のように育てられた特別な存在であったが、自尊心の強い繊細な18歳の清顕にとって聡子は、うとましくも感じられる複雑な存在であった。聡子もいつからか清顕を恋い慕うようになっていたが、清顕は些細なことで聡子に子供扱いされたと思い、自尊心を傷つけられ、突き放したような態度をとるようになる。聡子は失望して洞院宮治典王殿下と婚約するが、清顕は、父が聡子の縁談話を話題にしても、早く嫁に行った方がよいという冷めた態度であった。しかし聡子は、清顕の想像を超えて清顕のことを深く愛していたのである。
いよいよ、洞院宮治典王殿下との婚姻の勅許が発せられた。清顕の中でにわかに聡子への恋情が高まってくる。皇族の婚約者となったことで聡子との恋が禁断と化したことから、日常生活からの脱却を夢見る清顕は、聡子付きの女中・蓼科を脅迫し、聡子と逢瀬を重ねることを要求し、聡子もこれを受け入れる。親友・本多繁邦の協力もあり密会は重ねられ、聡子は妊娠してしまう。中絶を聡子から拒否された蓼科が自殺未遂したことにより、清顕と聡子の関係が両家に知れ渡った。聡子は大阪の松枝侯爵の知り合いの医師の元で堕胎をさせられ、そのまま奈良門跡寺院「月修寺」で自ら髪を下ろし出家する。洞院宮治典王殿下との婚姻は聡子の精神疾患を理由に取り下げを願い出た。
清顕は聡子に一目会おうと春のの降る2月26日に月修寺に行くが門前払いで会えない。なおも清顕は聡子との面会を希望するが、聡子は拒絶する。そして、雪中で待ち続けたことが原因で肺炎をこじらせ、20歳の若さで亡くなる直前に、清顕は親友・本多繁邦に、「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と言い、転生しての再会を約束する。

登場人物

松枝清顕(18 - 20歳)
第一巻の主人公。学習院高等科学生。松枝侯爵家の一人息子。祖父は明治維新の功臣。幼少期には堂上貴族の綾倉家に行儀見習いとして預けられていた。「又、会ふぜ。きつと会ふ。滝の下で」と本多に言い残し、20歳で夭折。
綾倉聡子(20 - 22歳)
羽林家綾倉伯爵家の一人娘。かつては清顕と姉弟のように育った。清顕より2歳年上。のちに月修寺に出家する。
本多繁邦(18 - 20歳)
清顕の親友で同級生。判事の父を持ち、法律の勉強をしている。清顕と聡子の逢引の手助けをする。全巻にわたって登場し、主人公の転生に居合わせる副主人公、あるいは主人公。このシリーズ全体のキーパーソン
松枝侯爵(41 - 43歳くらい)
清顕の父。新華族となり、由緒ある華族の綾倉家の雅にあこがれる。豪放な性格。
松枝侯爵夫人・都志子
清顕の母。現実的で鈍感な心性。
月修寺門跡(老年)
聡子の大伯母。松枝邸庭園の滝口で死んでいた黒犬を弔う。のちに出家を希望する聡子を迎え入れる。
松枝侯爵の母(老年)
清顕の祖母。邸内の離れに住んでいる。聡子を妊娠させた清顕に、宮様の許婚を孕ましたとは天晴れだね、さすが清顕はお祖父様の孫だ、と褒める。
みね
松枝家の女中。松枝侯爵のお手つき。尻軽で朗らかな娘。のちに暇を出され飯沼茂之と夫婦となる。
飯沼茂之(23 - 24歳)
松枝家の清顕付きの書生。清顕と蓼科に、女中・みねとの仲をとりもってもらったのと交換に、清顕の腹心となる。みねとの仲が侯爵に漏れ、松枝家を出てのちに女中・みねと夫婦となる。
蓼科(62 - 64歳)
綾倉家に仕える老女。聡子付き女中。清顕と聡子の逢引の手助けをする。過去に主人の綾倉伊文伯爵と関係を持ったことがある。
綾倉伊文伯爵
聡子の父。怪我や病気を極端に恐れる潔癖症。かつて松枝侯爵から無意識で言われたはずかしめに傷つき、松枝侯爵の紹介した縁組に聡子を処女で嫁がせるなと蓼科に命じていた。
綾倉伯爵夫人
聡子の母。
パッタナディド殿下(ジャオ・ピー)(18 - 19歳)
シャムの王子。ラーマ5世の息子。日本に留学し、学習院に遊学する。いとこのクリッサダ殿下(クリ)の妹・月光姫が恋人。姫の餞別のエメラルド指環を学習院寮で無くしてしまう。クリ・清顕・本多と鎌倉(松枝家の別荘。モデルの家は現・鎌倉文学館)で夏を過ごす。姫が死んだという知らせを受け、予定を切り上げて帰国する。
クリッサダ殿下(クリ)(18 - 19歳)
パッタナディド殿下のいとこ。ラーマ4世の孫。同い年のパッタナディド殿下と一緒に日本に留学する。妹は月光姫。妹の死を知り帰国する。
洞院宮治典王(25 - 26歳)
皇族近衛騎兵大尉。勇武を好む。聡子と婚約し、婚姻の勅許が下りる。聡子より4歳年上。
新河男爵(34歳)
豪商。薩長政府と持ちつ持たれつの仲。日本の風習を嘲笑し、英国流を旨とする。
新河男爵夫人
新しもの好きで、夫に習い英国流の新しい思想を旨とするが思想的なことは何一つわからぬ夫人。

舞台化

テレビドラマ化

映画化

漫画化

おもな刊行本

  • 『春の雪(豊饒の海・第一巻)』(新潮社、1969年1月5日) NCID BN04808298
    • 装幀:村上芳正。布装(紫絹装)。貼函。金色帯。269頁。帯(裏)に川端康成北杜夫による作品評。
    • ※ 私家限定本(総革装。天金。見返しマーブル紙使用)4部あり。
    • ※ 奥付での印刷・発行日表記が、前年の「昭和43年10月25日印刷/昭和43年10月30日発行」となっているものが小部数あり。
  • 文庫版『春の雪(豊饒の海・第一巻)』(新潮文庫、1977年7月30日。改版2002年10月15日。新版2020年11月)
    • カバー装幀:池田浩彰。解説:佐伯彰一。新版解説:小池真理子
    • ※ 改版2002年より、カバー改装:新潮社装幀室
  • 新装版『春の雪(豊饒の海〈一〉)』(新潮社、1990年9月10日)
    • 装幀:菊地信義。紙装。筒函。函(裏)にヴィクター・ハウズ、トマス・ラスク、柄谷行人による作品評。
  • 英文版『Spring Snow―The Sea of Fertility』(訳:Michael Gallagher)(Knopf、1971年。他多数)

音声資料


注釈

  1. ^ 今日では「豊かの海」と訳されることが多いが、三島がこの題を付した当時は「豊饒の海」と訳されていた[1]
  2. ^ 浜松中納言物語』は、美しい中納言が許されぬ悲恋に嘆いた末、亡父がの第三王子に生まれ変わっているとの夢を見て船出してゆくという〈夢と転生〉の王朝文学である[10]。その主題は、〈もし夢が現実に先行するものならば、われわれが現実と呼ぶもののはうが不確定であり、恒久不変の現実といふものが存在しないならば、転生のはうが自然である〉という考えが貫かれている[11]
  3. ^ この最後の〈バルタザールの死〉というのは、正確には「バルダサール」で、プルーストの短編『バルダサール・シルヴァンドの死』の主人公のことである。プルーストは、インドに向かう船を窓越しに眺めながら、村の鐘の音に過去の記憶を思い出し幸福な臨終を迎えるバルダサールを描いている[17]
  4. ^ 手紙の続きは、以下のように綴られている。〈それはさうと、昨今の政治状勢は、小生がもし二十五歳であつて、政治的関心があつたら、気が狂ふだらう、と思はれます。偽善、欺瞞の甚だしきもの。そしてこの見かけの平和の裡に、症状は着々と進行し、失つたら二度と取り返しのつかぬ「日本」は、無視され軽んぜられ、蹂躙され、一日一日影が薄くなつてゆきます。戦後の「日本」が、小生には、可哀想な若い未亡人のやうに思はれてゐました。良人といふ権威に去られ、よるべなく身をひそめて生きてゐる未亡人のやうに。〉[28]
  5. ^ 小島千加子によれば、三島は今西康のことを、「あれは誰が見たって澁澤龍彦だってことが分っちゃうだろ。だから、わざと背を高く、たかーくしてあるんだよ」と言ったとされる[37]
  6. ^ 三島は、取材や想が熟さないところは後回しにして、書けるところから書く方法を取り、8月24日頃に最終回部分(第26-30章)を概ね書き上げ、原稿のコピーを新潮社の出版部長・新田敞に渡している[2][29]。また8月11日に下田東急ホテルに滞在中の三島を訪ねてきたドナルド・キーンに終結部の原稿を示したが、キーンは遠慮して読まなかったという[38]
  7. ^ 三島があえて〈十九年前〉と登場人物に言わせ、作品発表から遡った昭和天皇人間宣言の年を暗示させているともとれる箇所がある[66]
  8. ^ 三島は『文化防衛論』で、「日本文化は、本来オリジナルとコピーの弁別を持たぬ」と論じている[65]
  9. ^ 三島は『春の雪』執筆中の1966年(昭和41年)10月時点、「僕は人間がどうやって神になるかという小説を書こうと思っています。藤原定家のことです」と林房雄との対談で語っているため[14]
  10. ^ 時代設定は1974年(昭和49年)時点であるので、この60代の老人と、生きていればその時点で49歳の三島とは年齢的には符合はしていない。
  11. ^ その際、夫人との会話で日本のことが話題となり、日本のエネルギーは西洋のテクノロジーと東洋の伝統とが衝突し合って生れているのではないか、と夫妻で考えた。ヨーロッパはロマンチックの世界で過去の歴史が色濃く残り時代遅れの観があり、一方、アメリカは魂不在で体温の感じられないテクノロジーの国で、インドは優れた精神文化を重んじつつも、飢餓に苦しんでいる、とコッポラは考察し、それらの国々と比して、日本が唯一、「物質文化と精神文化」「陰と陽」「右脳と左脳」「たくましさとしなやかさ(男性度と女性度)」を兼ね備えて共存し合っている国だと語っている[75][76]。そして次回作を日本で撮ることを計画した[75][76]

出典

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