第三帝国
第三帝国(だいさんていこく、英: (the) Third Empire[1], Third Reich, Third Realm[2], Third Kingdom[3]、独: Drittes Reich)は、古くからキリスト教神学で「来るべき理想の国家」を意味する概念として用いられた。第三の国、千年帝国(英: Thousand-Year Reich[4], millenarianism[5], 独: Tausendjähriges Reich[6])とも。NSDAP(ナチス)による呼称が有名。
中世における「第三の国」
中世イタリアの思想家フィオーレのヨアキムは世界史を三つの時代に区分した。「三時代教説」と呼ばれるこの考え方では、まず「律法の元に俗人が生きる『父の国』時代」、そして「イエス・キリストのもとに聖職者が生きる『子の国』の時代」、そして最後の審判の後に訪れる、「自由な精神の下に修道士が生きる『聖霊の国』の時代」の三つに分けられると定義した。ここでは「第三の国」が来るべき理想の国であるというニュアンスを持つこととなった。フィオーレのヨアキムは1260年から永遠の福音の時代になるとした[7]。
ロシア・北欧における第三帝国
作家フョードル・ドストエフスキーは、西ローマ帝国、東ローマ帝国は信仰が足りないために滅亡したが、聖ロシアは第三のローマ帝国とならなければならないと論じた[7]。ドストエフスキーのこうした思想はドイツのドストエフスキー研究者メラー・ファン・デン・ブルックへ多大な影響を与え、メラー・ファン・デン・ブルックは『第三帝国』を著した[7]。またナチス政権で国民啓蒙・宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスもドストエフスキーから深い影響を受けている[8]。
ヘンリック・イプセンは1873年の戯曲「皇帝とガリラヤ人」において、中世キリスト教文明を「霊の帝国」、古代ギリシア思想文明を「肉の帝国」とし、この二つをあわせもった理想国家を「第三の帝国」と称した。イプセンによれば、ヘレニズム段階、キリスト教段階を総合する皇帝ユリアヌスにおいて実現される「貴族的人間」の第三帝国が出現する[7]。ドイツの劇作家・ナチ党政治家ディートリヒ・エッカートはイプセンの影響を受けた[7]。
ロシアの詩人ディミトリー・メレシュコフスキーも同様の意味での「第三帝国」を志向した。
ドイツにおける第三帝国
ディートリヒ・エッカート
国家社会主義ドイツ労働者党の前身ドイツ労働者党の創設者の一人であった劇作家でイプセンの影響を受けたディートリヒ・エッカートは、反ユダヤ主義雑誌「アウフ・グート・ドイッチュ」1919年7月号に発表した論文「ルターと利子」で、ドイツ民族が第三帝国を実現して救済をもたらすと論じた[7][9][10]。エッカートはイプセンよりも露骨な反ユダヤ主義を前面に押し出して、悪魔のようなユダヤ人が利子率を作り出したと論じた[7]。
エッカートに庇護された弟子がアルフレート・ローゼンベルクやアドルフ・ヒトラーである[11]。
メラー・ファン・デン・ブルック
ドストエフスキーの第三帝国論に影響を受けたドイツ保守革命の思想家アルトゥール・メラー・ファン・デン・ブルックは、1923年に著した『第三帝国論』の中で、第一のライヒである神聖ローマ帝国と、第二のライヒであるドイツ帝国の正統性を受け継ぐ「第三のライヒ(第三帝国)」の創設を唱えた[12][7]。当時ドイツ人の多く、特に右派はヴァイマル共和政を正統な国家と見なしておらず、右派思想家達はドイツ帝国を継承する新たな「ライヒ」の出現を期待していた[13]。またファン・デン・ブルックの著書には民族共同体を破壊する自由主義への嫌悪、政治指導者による独裁「指導者原理」など後のナチズムと共通する部分が多いが、ナチ党自体はファン・デン・ブルックの「第三帝国」とナチ党の「第三帝国」は無関係であるとしている[14]。
メラーの「第三帝国」の理念は、結局のところ神秘的で漠然とした思想であり、メラー自身、こうした第三帝国の曖昧な思想は問題的であると感じていた。彼によれば、この思想は「不思議な雲のごときもの」であり、全く彼岸の存在であった[15]。しかし、現実の彼方のものであっても、やはりそれは一つの現実の思想とならねばならいとして、現状を「第三帝国」の思想によって克服しようとメラーは訴えている。
メラーのこの著作は二つの異なる方向に影響を及ぼした。まず第一には、ナチスが第三帝国のスローガンを採用したことによって[注釈 1]、この名称が特殊な作用を及ぼし、ついにはこの著作の内容とは異なる結果が生じてしまった。ナチ党のイデオローグたちは、メラーの著書がナチズムの世界観の発展において重要な地位を占めることになったことを認めているが[注釈 2]、その場合でも信念における一致よりは、むしろ第三帝国のスローガンの民衆に対する宣伝効果が重視されていた。いずれにせよ、ナチ党に対するメラー派の同志たちの冷淡な態度からみて、新ナショナリズムの教説を説く彼等がかなりの点でナチズムに共鳴しなかったと結論するのは可能である。 第二は、それが、民主的、自由主義的諸制度を軽蔑する態度を人々に吹き込んだことである。この影響は巧妙に操作された宣伝スローガンの効果とは比較しえないが、それが当時のナショナリズムの心情をもった知識人の大部分の政治的意志形成に重要な役割を果たしたことは否定しえない。メラーの「第三帝国」は青年保守派のいわばバイブルであったからである[注釈 3]。
ナチ党
「Drittes Reich(第三帝国)」は、神聖ローマ帝国を第一帝国、ビスマルクの帝政ドイツを第二帝国とし、その後を継ぐドイツ民族による3度目の帝国として国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)統治下のドイツ(ナチス・ドイツ)で用いられた[17]。ただし、当時の公式のドイツ国名は「Deutsches Reich(ドイツ国)」、もしくは「Großdeutsches Reich(大ドイツ国)」であった。なお、ライヒ (Reich) とは、ドイツ語で「一支配者が全ての地域 (Land) を治めている全国 (Reich)」と規定され、「ライヒ=帝国」ではない[注釈 4]。
正確な時期は不明であるが、ナチ党の数ある用語の一つとして「第三帝国」は用いられた。例としては全権委任法成立翌日に発行された『フェルキッシャー・ベオバハター』は「ドイツはめざめた。偉大な仕事が始まった。『第三ライヒ(第三帝国)』の日が到来したのだ。」と書いており[19]、ナチ党の側がいわゆるナチス・ドイツ時代を指す用語としても用いられた。
しかし、この呼称は海外の反ナチ運動の風刺に用いられるようになったため、 1939年6月13日、総統アドルフ・ヒトラーは「第三帝国」の用語を使用しないよう告げた。7月10日には、ヨーゼフ・ゲッベルスも国民啓蒙・宣伝省において宣伝の文句として使用するのを控えるよう通達している[20] 。しかし、この措置は徹底されず、ゲッベルスは以降も自身の演説などで引用した他、ヒトラー自身も、1941年12月17日から18日にかけての談話で「今や、ドイツという時、それは『第三帝国』以外の何ものでもない」と語っている[21]。
日本
日本においては茅原華山が維新以前の「覇者の帝国」と維新以後の「藩閥官僚の帝国」を超克する民本主義の帝国の出現を唱え、大正2年(1913年)に『第三帝国』という評論雑誌を発刊している[22]。
脚注
注釈
- ^ 無論、この概念を利用したのはナチ党だけではなかった。例えば、オーバーラント義勇軍(de)を改組して結成された「ブント・オーバーラント」は『第三帝国』という名の機関誌を発行していた。実際、第三帝国の理念は、青年保守派系の多くのグループや団体のイデオロギー的財産であった。その限りにおいてナチ党がこの言葉を剽窃したのだとは言えないし、ナチ党が他のナショナリストな集団に比べてメラーの概念から遙かにかけ離れていたことも確かである。他方、メラーの第三帝国の理念は全く曖昧で、幾多の内容を包み込む可能性を常にもっていたから、この理念は特定のプログラムのための標語とはなりえなかった
- ^ 「私は党の政治思想史において、意義の大きいこの書物の普及を歓迎する」(ハンブルクのハンザ出版社から1933年以後に発行されたパンフレットの中のヨーゼフ・ゲッベルスの言葉)
- ^ これは保守革命の書物の中で、いうまでもなく最大の影響力をもった書物であった。「ナショナリズムの運動は、今日、もはやメラー・ファン・デン・ブルックの書物から切り離すことはできない[16]」
- ^ ライヒは神聖ローマ帝国や帝政ドイツ、ヴァイマル共和政時代でも用いられた。ドイツは歴史的に小さな領邦 (Staat) が分立して神聖ローマ帝国皇帝の緩やかな支配を受けている時代が長く続き、ドイツ統一後も各領邦にはそれぞれの君主と政府、軍隊が存続し、強い権力を持っていた。ヴァイマル共和国期になっても、その領邦はLand (州)と呼ばれ、高度な自治権力を行使していた。現在でも州には強い権力が残り、バイエルン州やザクセン州、テューリンゲン州は「Freistaat」と言う形で領邦の名を残している。第二次世界大戦後に成立した西ドイツは「全国」を意味する語としては「Reich」ではなく「Bund」(連邦)の語を用いて「Bundesrepublik Deutschland」(ドイツ連邦共和国)を名乗った。また東ドイツは「Deutsche Demokratische Republik」(ドイツ民主共和国)を名乗り、州制度ではなく県制度を敷いていた。英語の場合は "The Third Reich"と「ライヒ」をそのまま使用している。日本語では「第三帝国」の語が当時から用いられている[18]
出典
- ^ Google Scholar「"third empire" Nazi」
- ^ Google Scholar「"third realm" Nazi」
- ^ Google Scholar「"third kingdom" Nazi」
- ^ Google Scholar「"Thousand-Year Reich" Nazi」
- ^ "Thousand-Year Reich" "millenarianism " Nazi
- ^ Google Scholar「"Tausendjähriges Reich" Nazi」
- ^ a b c d e f g h 小岸 2000,p51-59.
- ^ 小岸 2000,p.81-93.
- ^ クラウス=エッケハルト・ベルシュ: Die politische Religion des Nationalsozialismus. München 1998, S. 50.
- ^ Matthias Sträßner: Flöte und Pistole. Anmerkungen zum Verhältnis von Nietzsche und Ibsen. Würzburg 2003, S. 76, ISBN 3-8260-2539-3 (Quelle: Ernst Bloch: Zur Originalgeschichte des Dritten Reichs. In: ders.: Erbschaft dieser Zeit. Gesamtausgabe Bd. 4, Frankfurt a.M. 1977, S. 126–160) (Google Books).
- ^ 小岸 2000,p.61.
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- ^ 多田眞鋤 2003, pp. 83–85.
- ^ 山崎充彦 1998, p. 56.
- ^ Moeller: Das dritte Reich, op. S. 13.
- ^ Hans Schwarz, in seinem Nachwort zur Volksausgabe vom 》Dritten Reich《, Hamburg 1931, 4. Aufl. S. 246.
- ^ 「第三帝国」世界大百科事典 第2版
- ^ 「写真週報 34号」 アジア歴史資料センター Ref.A06031062900
- ^ 南利明 1988, pp. 218.
- ^ Reinhard Bollmus: Das Amt Rosenberg und seine Gegner. Studien zum Machtkampf im nationalsozialistischen Herrschaftssystem. Stuttgart 1970, S. 236.
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- ^ 杉哲 2011, pp. 73.
参考文献
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- 多田眞鋤「ナチズムの精神構造 : ドイツ精神史への一視角」『横浜商大論集』37(1)、横浜商科大学、2003年、68-89頁、NAID 110006000032。
- 南利明「NATIONALSOZIALISMUSあるいは「法」なき支配体制(二)」『静岡大学教養部研究報告. 人文・社会科学篇』24(2)、静岡大学、1988年、199-223頁、NAID 110007615716。
- 山崎充彦「ドイツにおける議会制批判論議の一側面 : メラー・ファン・デン・ブルックの『第三帝国』をめぐって」『国際文化論集』第18巻、桃山学院大学、1998年、53-68頁、NAID 110004694975。
- 『ヒトラーのテーブル・トーク 1941-1944 上』三交社、1994年。ISBN 4879191221。
関連項目
外部リンク
ドイツ第三帝国
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アドルフ・ヒトラー 総統。ヨーロッパに君臨する独裁者。暗殺を恐れ、影武者を大勢用意している。冷徹な策略家であり、迅速な行動・方針決定で領土を拡大してきた。表面上は紳士的だが感情の起伏が激しく、相手に有無を言わせず思い通りに意志を押し通そうとする凶暴性を孕んでいる。 那子の名声を利用しようとクルト王子を擁立し、対英開戦をちらつかせ結婚を迫るも、交渉は平行線を辿る。脅迫として英レーダー基地へのV1号ミサイル攻撃を敢行するも、逆に日本軍によるミサイル攻撃を受け失敗。日米の参戦を恐れ「ゼーレーベ作戦」を発動。対英戦争を強行する。 クルト・フリードリッヒ・ヴィルヘルム 年齢 - 11歳 元ドイツ皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンの息子。最後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世の孫に当たる。ただし私生児であり、公式には存在を認められていない。ザールブリュッケンにあるザールブリュッケン城で暮らしている。帝王学を学び、幼いながらも聡明さを見せており、ヒトラーからも将来を期待されている。その一方、好奇心旺盛で何にでも関わりたがるなど、年齢相応の無邪気さも垣間見せる。 ヒトラーによって那子の婿候補に擁立される。那子のドイツ脱出に付いて行き、そのまま行動を共にする。婿として那子の身を気遣うなど、心優しい少年である。 オットー・マイスナー ワイマール時代に大統領府長官として三人の大統領に仕えた政治家。 自らを「歴史の間に埋没した男」と自嘲しており、現在は名ばかりの国務大臣としてザールブリュッケン城でクルト王子の教育係を務め、彼を可愛がっている。結婚話が破談になった場合の王子の身を案じており、また「結婚が実現すれば戦争を止める」というヒトラーの言葉を純粋に信じ、結婚を実現させるために那子を城内に軟禁し脅迫するという非常手段に打って出る。 カール・トップ 年齢 - 48歳 階級 - 海軍大佐 戦艦〈フリードリッヒ・デア・グロッセ〉艦長。第一次世界大戦ではUボート乗りとして従軍し、戦後は海軍再建に尽力した。 欧州合同使節艦隊の一員として訪日。ドイツに絶対の忠誠を誓っており、同盟国のイタリアやヴィシー・フランスを「負け犬」と見下している。接触した黒磯からは「少しは骨がある男」と評価されている。 ハインツ・グデーリアン 階級 - 陸軍上級大将 フランス戦役で活躍した電撃戦の専門家。「ゼーレーベ作戦」では上陸軍司令官としてロンドン攻略の任に就く。 オットー・スコルツェニー 階級 - 武装SS大尉 『女皇の帝国外伝』に登場した武装SSの将校。 「ゼーレーベ作戦」では第二降下猟兵混成特務旅団"クローネ"の指揮官として参加。ウィンザー城攻防戦の現場指揮官としてエリザベス王女の捕縛を図る。 カール・ラドル 階級 - 武装SS大尉 ウィーン大学時代のスコルツェニーの同窓生。その縁でスコルツェニーの副官となった。 ヘルマン・B・ラムケ 年齢 - 54歳 階級 - 降下猟兵中将 常に最前線で戦うことを信条としており、部下たちからは畏敬の念を込め「パパ」と呼ばれている。第一空軍武装猟兵旅団の指揮官として「ゼーレーベ作戦」に参加。エリザベス2世の拉致を目的としてエディンバラ城攻防戦を展開する。 オットー・チリアックス 階級 - 海軍大将 大海艦隊第一戦艦部隊司令官。緻密な計算の下に作戦を遂行する慎重派の軍人。厳しい性格から、部下たちには「意地悪な皇帝」と陰口を叩かれている。北海海上で英本国艦隊と戦う。 エルンスト・リンデマン 階級 - 海軍大佐 第一戦艦部隊旗艦・戦艦〈グロス・ドイッチェラント〉艦長。 オスカー・クメッツ 階級 - 海軍中将 第一突撃機動艦隊司令官。ノルウェー戦役でノルウェー王室の捕縛に失敗した屈辱を晴らすため、エディンバラ城攻防戦に意欲を燃やす。 ヴェルナー・エールハルト 階級 - 海軍大佐 第一突撃機動艦隊旗艦・空母〈グラフ・ツェッペリン〉艦長。 ヨハネス・エルヴィン・オイゲン・ロンメル 階級 - 陸軍中将→陸軍上級大将 フランス戦役で活躍した将軍。戦後はパリ占領軍司令部に勤務し、ヴィシー・フランス軍の再編を担当していた。イタリア軍のドイツ侵攻に備え、南方軍総司令官に就任する。 ヨーゼフ・プリラー 階級 - 空軍中佐 第888戦闘航空団司令。エース・パイロットとして常に前線に立つ。ハンナと共に那子の座乗する氷山空母〈自由の女神〉を攻撃する。 ハンナ・ライチェ 階級 - 空軍少佐 ヒトラーお気に入りのパイロットでナチスの広告塔的存在。「女流パイロットの大先輩」として那子からも尊敬されている。 ヒトラーの密命を帯びて那子の元に交渉に赴くも失敗。その後、第888戦闘航空団第二中隊指揮官として那子の命を狙う。
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〈フリードリッヒ・デア・グロッセ〉/〈グロス・ドイッチェラント〉 Z計画に基き建造されたH級戦艦。 〈グラーフ・ツェッペリン〉/〈ペーター・シュトラッサ〉 空母。 Fl282-N"コリブリII" 軍用ヘリ。那子の歓心を買うため日本に譲渡された。 Fl339"クークッ" 輸送ヘリ。歩兵20人を輸送可能。 ギガントII 大型輸送機。 ホルテンHo229 / ホルテンHo230B 無尾翼戦闘機。ステルス機能を導入している。 38式軽駆逐戦車"ヘッツァー" チェコの戦車を改造したもの。 ヘンシェルHe293A 誘導爆弾。 V1号 / V2号 戦術・戦略ミサイル。 ファウスト 原子爆弾。核爆発単位Ω(オメガ)。ドイツが開発した「第二の絶滅兵器」。
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「ジパング (漫画)の登場人物一覧」の記事における「ドイツ第三帝国」の解説
カール・フォン・シュタイナー ドイツ国防軍防諜部所属の反ナチ派将校。階級は大佐。 A-26で訪独使節団としてやってきた津田と手を組んで空母「グラーフ・ツェッペリン」でヒトラー暗殺を謀る。が、失敗に終わって重傷を負い津田に委ねた後、故意に殺される形で死亡。 上官は防諜部部長のヴィルヘルム・フランツ・カナリス海軍大将である。 プロシア貴族出身で既婚者であり、三男一女の父親でもある。 モデルは「ヴァルキューレ作戦」で知られるクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐 。 塚越賢爾(つかごし けんじ) 長距離双発試作機A-26機関士兼朝日新聞記者。母親がイギリス人の、日英ハーフ。 田中英人(津田)の行動に不審を抱きつつも彼を見守る。帰国時には濃縮ウランを手にした津田(草加)を満州へ向けて乗せる。 大島浩(おおしま ひろし) 駐独大使。 A-26でやって来た訪独団一同をサポートする。その後、サイパン決戦に際してヒトラー宛に電文を送るが、その電文はイギリス当局によって傍受され、チャーチルへと伝わっていた。 ハンス・クリューゲ ポーランド生まれのユダヤ人物理学者。 ナチスのホロコーストで弟を殺され、NKVDの資金援助によりドイツ占領下のコペンハーゲンでウラン235の濃縮作業にあたる。草加からカティンの森事件に関する情報を知らされてからはソ連ひいてはスターリンに不信感を抱き、彼に5万スイス・フランでウラン235を売る形で取引を成立させる。そして助手のクラウスにプラントの処分を託した後に行方をくらます。 かつてニールス・ボーアに師事していたことがあった。 クラウス クリューゲの助手を務める物理学者。 草加とクリューゲのウラン取引に関わり、クリューゲ失踪後は彼の命令で核プラントの処分に当たる。その後は原爆の情報を提供する見返りにスウェーデンへの亡命を反ナチのデンマーク将校に望むも、途中でトラックに撥ねられ死去。所持していた原爆に関する情報を記した資料は撥ねられた際に川に落ち、そのまま誰の目に触れることなく沈んでいった。 アドルフ・ヒトラー ドイツ第三帝国総統。ナチス党首。 ベルヒテスガーデンにある別荘・ケールシュタインハウスでヨーゼフ・ゲッベルスと共に田中(津田)を招き入れる。やがて田中の本心を見抜き、2人きりになったところで会話を交わし、そこでこの戦争の真の敵がアメリカやイギリスではなくソ連のスターリンであると明かし、なおかつ自分が敗北しドイツが戦争に敗れて大勢の犠牲が出ても、それを躊躇わないのが大切だと語った。その結果、暗殺に躊躇いを抱いていた田中に暗殺を決意させ、殺されかかったが田中の不審点に気付いた親衛隊の出動により免れる。後にサイパン決戦を報告されるも、何ら関心を示さなかった。戦後の角松の回想で、史実通りドイツの敗戦直前に自決したことが語られた。
※この「ドイツ第三帝国」の解説は、「ジパング (漫画)の登場人物一覧」の解説の一部です。
「ドイツ第三帝国」を含む「ジパング (漫画)の登場人物一覧」の記事については、「ジパング (漫画)の登場人物一覧」の概要を参照ください。
ドイツ第三帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/22 03:42 UTC 版)
Wunderwaffe(英語版) - 数々の連合国側を凌駕する兵器を開発したものの、戦局を覆すまでには至らなかった。
※この「ドイツ第三帝国」の解説は、「超兵器」の解説の一部です。
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ドイツ第三帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 15:15 UTC 版)
「War Wings」の記事における「ドイツ第三帝国」の解説
ドイツ第三帝国軍機は、Bf109系列の機体の機動性は高く、機敏に急上昇・急降下に入れるが、双発戦闘機ではかなり低く、旋回では敵の背後に回り込めないため、一撃離脱戦法を繰り返す戦術に徹することとなる。しかし前者は比較的火力が低く、逆に後者は火力と耐久性が高い。加えて後部銃手が搭乗しており、自動的に背後の敵に射撃を行う。 開発ツリーでは、Bf109系列・Bf110系列・He51・Ar68・Me210・Me410・Me262A-1aなどが開発できる。
※この「ドイツ第三帝国」の解説は、「War Wings」の解説の一部です。
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ドイツ第三帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/20 22:25 UTC 版)
ボルウェルク ナチス・ドイツの開発した機神「装甲騎士(パンツァーカバリエ)」の呼称。ゲルマン神話の、神々を滅ぼす者達の名を付けられている。ミッドガルドシュランゲ 空戦型装甲騎士(パンツァーカバリエ)。パイロットはフーベルト・フォン・マイヤー少尉。 全備重量23トン(本体4トン、移動部17トン、翼2トン)。最高速度、飛行時420km/h、地上時68 km/h。航続距離、飛行時260キロ、地上時90キロ。 動力:移動部、ユンカースJumo213Aエンジン(液冷V型12気筒、出力1770hp)2基、双胴設計の胴体にキャタピラを装備。本体部、ダイムラー・ベンツDB605エンジン(液冷V型12気筒、出力1475hp)2基搭載、移動部が破壊された時は独自に2足歩行することも可能。 武装:移動部、ラインメタルMk108・30ミリ機関砲4門。2名の乗員により、移動部のみで移動・戦闘も可能。本体部、20ミリ機関砲4門。 翼は取り外し可能で、フリュムの水中翼と互換可能。 フリュム 水上戦闘型装甲騎士(パンツァーカバリエ)。 全備重量14トン、歩行最高速度32キロ、巡航速度22ノット、水上での最高速度49ノット。航続距離、地上60キロ、水上110キロ。燃料搭載量480リットル。発動機2基、ダイムラー・ベンツDB605A、液冷V型12気筒、出力1475Hp。 武装:主砲12.8センチ、K40L61砲(KwK電気式撃発方式)1門。7.92ミリMG34機関銃2門。火炎放射器1基。 装甲:前面85 - 120ミリ、背面60 - 100ミリ。 フェンリル 陸戦型装甲騎士(パンツァーカバリエ)。 全備重量85トン、最高速度52キロ、巡航時速46キロ。燃料搭載量、本体6000リットル、移動部930リットル。 武装:本体部、主砲88センチ砲(KwK43L71砲)2門、火炎放射器、5連装ロケット砲(15センチ、NbW41)装備。移動部、7.92ミリMG34機関銃2門、地雷敷設も可能。 装甲:本体部、前面装甲100 - 200ミリ、背面装甲100 - 180ミリ。移動部、前面装甲200ミリ、側面100ミリ、上面80ミリ。移動部には2連装キャタピラを装備。 新時代(ウーイ・イデーク) パンツァーカバリエのプロトタイプで、ルッチェランド所有のロボット。実用に耐えるものとして実戦投入されたのは、重機動型の陸戦モデル1機のみ。 体長22メートル、全備重量52トン、燃料搭載量2300リットル。 武装:75mm戦車砲3門、7.7ミリ旋回機銃4門。
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ドイツ第三帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 02:04 UTC 版)
オットー・スコルツェニー 階級 - 武装SS少尉 パリ占領軍司令部に所属する武装SSの将校。デ・ラウターがカサノヴァのアジト攻撃の準備をしていることを聞きつけ、自身が部隊の指揮官となることを条件にアジト攻撃に協力した。
※この「ドイツ第三帝国」の解説は、「女皇の帝国外伝」の解説の一部です。
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