源氏 源氏の概要

源氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/04 14:12 UTC 版)

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源氏

竜胆ささりんどう(代表的な家紋
※ 各、源氏によって異なる。
氏姓朝臣
氏祖 天皇皇子諸王
宮家の諸王
種別 皇別
著名な人物 村上源氏
源通親
北畠親房
清和源氏
源頼朝
足利尊氏
徳川家康自称
その他は源氏の人物一覧を参照
後裔 嵯峨源氏
村上源氏
清和源氏
花山源氏
宇多源氏
正親町源氏
など

その他の源氏については、二十一流を参照
凡例 / Category:氏

概要

皇族が臣下の籍に降りる(臣籍降下)際に「源」の賜姓を受けたもので、嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏清和天皇からの清和源氏から、江戸時代に成立した正親町源氏に至るまで数百年間にかけて二十一の系統(二十一流)があるとされているが、文献によっては源氏二十一流に含まれない淳和源氏(淳和天皇の子孫が源姓を与えられたものなど)が存在することを明記しているものもある[1]の代表的なものの一つとして、平氏藤原氏橘氏とともに「源平藤橘」(四姓)と総称されている。

多くの源氏は一代・二代のうちに朝廷で高位を占めることはなくなったが、村上天皇の子孫である村上源氏源師房流(中院流)は上流貴族の地位を占め続け、建久七年の政変摂関家を越える権力を手にした源通親や、後醍醐天皇第一の側近として南朝を指揮した北畠親房明治政府の重鎮となった岩倉具視を輩出している。このほか宇多源氏・清和源氏・花山源氏など一部の家系も堂上家として存続している。

また源氏の子孫の一部は受領在庁官人となり、土着して武士化した。特に清和源氏源経基河内源氏は、鎌倉幕府を開いた源頼朝を輩出したことで武家の棟梁と認識されるようになり、その流れを汲む有力氏族足利氏足利尊氏室町幕府を開いた。江戸幕府を開いた徳川家康を輩出した三河松平氏なども河内源氏後裔を称している。

代表的な家紋である「笹竜胆」は日本最古の家紋であると言われている。

源氏の歴史

皇族からの臣籍降下は律令成立以前から存在しており、古くは公のカバネを与えられた諸氏や、天武天皇の時代に真人のカバネを与えられた諸氏、奈良時代の橘氏や、光仁天皇、桓武天皇、平城天皇の子孫などが存在する。

弘仁5年(814年)に嵯峨天皇の皇子女8人を臣籍降下し、源姓を与えられたのが最初の源氏である[2]。これらの賜姓は、一定の年以降に生まれた子女のうち、生母の家格が低いものに一括して行われた[3]。この賜姓は嵯峨の詔が述べているように、朝廷歳費の節約が理由とされる説が大勢を占めていたが、上級貴族として皇室の藩塀とすることが目的であるという説もある[4]。しかし一部の氏族を除いては没落していく例が多く、藩屏としての役割を十分に果たせるものではなかった[5]

「源」は皇室と祖(源流)を同じくするという意味であり、元々は中国の五胡十六国時代南涼王の子の禿髪破羌が、南涼滅亡後に北魏に仕えた際、太武帝から禿髪氏と拓跋氏(北魏の帝室の姓)は源が同じであるとして源の姓を与えられ、源賀と名乗ったことに由来する[6]。他にも、「源」は「水元」であるという説もある。例えば、『和訓栞』(谷川士清)では「みなもと、源をよめり。水元の義なり」とある。また、『神代巻藻塩草』(玉木正英)では「源ノ訓ハ水元也」とある。

嵯峨天皇の後の天皇も度々皇族を源氏として臣籍に下したことから、それぞれの祖とする天皇ごとに集団を形成し、氏爵を受けるようになった。これらの集団は年号により「弘仁御後(嵯峨天皇の子)」、「延喜御後(醍醐天皇の子)」などと呼ばれる[7][8]。それぞれの祖と仰ぐ天皇の号をもって嵯峨源氏、仁明源氏、文徳源氏清和源氏宇多源氏などとも呼ばれるが、これは同時代的に使用されたことはなく、『国史大系』の編纂にあたって使用されたのが最初である[8]

源氏の賜姓が開始されて以降、仁明・文徳・光孝の子孫には平氏賜姓を受けた皇族もおり、清和天皇の時代には別の賜姓が行われたが、源氏姓を受けたものは他の姓より格上とされた。その後平氏やその他の賜姓は途絶え、新たに賜姓される際には源氏ばかりとなった。源氏の中で最も高い官位を持つものは源氏長者と呼ばれ、奨学院淳和院の別当を兼ね、氏爵を与える権限を持っていた。村上源氏師房流が繁栄すると、以降は嫡流である久我家がほぼ独占するに至ったが、足利義満が源氏長者となって以降は現職の征夷大将軍が就くことが多くなり、江戸時代にはほとんど将軍の独占状態となった。

平安後期以降、皇位継承とは関わりのない皇子皇女たちは出家する慣例が生まれたため、賜姓源氏はほとんど途絶えていた。江戸時代に入って一家が生まれた(広幡家)が、それを最後に源氏賜与は途絶えた。明治時代になると本姓を称することが停止されたため、源氏の存在が認識されることは少なくなった。源姓(本姓が源氏)の家系はそれぞれ別の苗字を号しているため、現在「源」を「苗字」として名乗る例は多くなく、推定人口は4,000人程である。


注釈

  1. ^ 守邦親王は『尊卑分脈』、久明親王は『本朝皇胤紹運録』に源姓を賜与されたとの記載がある。

出典

  1. ^ 日本大百科全書 8』330-331頁、「源氏」の項目より。
  2. ^ 倉本一宏 2019, p. 12-13.
  3. ^ a b c 中村みどり 2015, p. 61.
  4. ^ 倉本一宏 2019, p. 12-15.
  5. ^ 倉本一宏 2019, p. 14-15.
  6. ^ 倉本一宏 2019, p. 21.
  7. ^ 倉本一宏 2019, p. 16-21.
  8. ^ a b 赤坂恒明 2015, p. 268-267.
  9. ^ 江渡俊裕「一世源氏元服に関する試論」小口雅史 編『律令制と日本古代国家』(同成社、2018年) ISBN 978-4-88621-804-9
  10. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 15.
  11. ^ 倉本一宏 2019, p. 124-132.
  12. ^ Sansom, George (1958). A History of Japan to 1334. Stanford University Press. pp. 241–242, 247–252. ISBN 0804705232 
  13. ^ a b c d e f g h i j k l m 赤坂恒明 2015, p. 267.
  14. ^ 太田 1923, p. 57.
  15. ^ 塙 & 川俣 1930, p. 419.
  16. ^ 太田 1936, p. 4550.
  17. ^ 倉本一宏 2019, p. 248-249.
  18. ^ 太田 1934, p. 2233.
  19. ^ 赤坂恒明 2015, p. 259.
  20. ^ 倉本一宏 2019, p. 121-123.
  21. ^ 倉本一宏 2019, p. 123.
  22. ^ 倉本一宏 2019, p. 201-202.
  23. ^ 倉本一宏 2019, p. 202-203.
  24. ^ 倉本一宏 2019, p. 205-206.
  25. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 207.
  26. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 208.
  27. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 208-209.
  28. ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus『源宗治』 - コトバンク
  29. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 209-210.
  30. ^ 倉本一宏 2019, p. 210-211.
  31. ^ a b 倉本一宏 2019, p. 212.


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