埼玉西武ライオンズ ユニフォームの変遷

埼玉西武ライオンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 20:28 UTC 版)

ユニフォームの変遷

ユニフォーム(一軍)

福岡時代

西鉄時代
西鉄ライオンズのユニフォームを着た西村貞朗中西太(1954年)
西鉄ライオンズ誕生当時の復刻ユニフォームを着た牧田和久(2011年)
  • 1950年 -1951年 - 紺に黄色の縁取りで「CLIPPERS」。グレーの縦縞に「FUKUOKA」のマークもある。西鉄ライオンズになってからロゴが「Lions」に変わった以外、変更点はない。1950年は帽子のマークは黄色の「N」と紺の「C」の組み合わせで、翌1951年はペットネーム変更により「L」となった。
  • 1951年 - 1952年 - 濃紺で「LIONS」と書かれたロゴが登場。黄金期の象徴だった「NISITETU」マークが初登場。しかし、ストッキングの評判が悪くビジター用は1年で廃止。
    • 1952年当時のユニフォームは、その後もしばらく二軍・練習用に使用された。
  • 1952年 - 1954年 - ブルーグレーの縦縞を採用したユニフォームとなる。同時に、西鉄晩年まで使われていた「Lions」のブラックレター(飾り文字)が登場。
  • 1954年 - 1961年 - 黒色の帽子・ライン・レターを基調とした、後の西鉄黄金期を象徴するデザインが登場。また、胸ロゴ「Lions」はiの黒点が取れるなどのマイナーチェンジ、帽子マークは従来のNマークからNとLを重ねたマークに変更された(以来、NLマークは1960年から1961年を除き、西鉄売却まで使用)。このユニフォームは日本シリーズから使用された。1958年シーズン途中からビジター用胸マークが「FUKUOKA」となった。1960年には袖番号が装着され、帽子マークはLの飾り文字になった。
  • 1962年 - 1965年 - ホーム用のラインをWラインに変更。また、袖番号に変わり、球団史上初の胸番号を採用。また、ビジター用は、ラインが少し太くなった。
  • 1966年 - 1968年 - ユニフォームにオレンジ色を採用(帽子マーク、ライン・レターの縁取り)。左袖にはエジプト壁画風のライオンマークが登場。球団史上初の背ネームを採用。
    • 1968年途中にはビジター用のロゴが親会社の「NISHITETSU」となり、左袖には立ち姿のライオン西鉄グランドホテルのマークと同デザイン)を入れた紋章ワッペンを装着。
    • 1969年には背ネームが除外。番号がゴシック体風書体となる(公式戦使用終了後は練習用として使われ、西鉄最終年のみ在籍していた榎本喜八がビジター用を着ている写真が残っている[113])。
    • 1970年には左袖に足を1本突き出すライオンのイラストワッペンを装着。ビジター用がブルーグレーに変更、また、ビジター用の胸のロゴが1951年から1958年途中まで使用されていた「NISITETSU」マークに変更される。
  • 1971年 - 1972年 - パンツと袖口がWラインとなり、ワッペンのライオンが2本足に変更される。これが西鉄最後のユニフォームとなった(なお、太平洋クラブライオンズ初年度の1973年春季キャンプ、オープン戦までは引き続き西鉄のユニフォームを着用していた)。
太平洋時代
太平洋時代の復刻ユニフォームを着る片岡易之(2010年)
  • 1973年 - 1975年 - メインスポンサーが太平洋クラブとなり、ホーム用は帽子・上着(球団初のプルオーバー)・パンツ(球団初のベルトレス)に白を基調としたデザインとし、ビジター用には日本初の原色カラーのユニフォーム(上下ツートンカラーとしても日本初〈上は赤、下は白をそれぞれ基調としたデザイン〉)が登場。同時期に袖が赤いホーム用、ビジター用の上着がブルーというデザインも存在した[114]。ホーム用は胸番号の上に「Lions」、ビジター用は胸番号の上に「TAIHEIYO CLUB」。帽子は、ホーム用が白地につばは青、ビジター用は青地に赤のつばと赤地に青のつばの2種類。帽子マーク・左袖に、太平洋クラブのシンボルマーク(社章)[115]
  • 1976年 - 前期のものは最初で最後のアメリカンフットボール風ユニフォーム。ベースカラーはワインレッドで、近鉄同様にラグランスリーブスタイルを採用し左袖には「FUKUOKA」、右袖にはライオンのイラストワッペンが付く。帽子はワインレッドに青の鍔でマークは「T」と「L」の組み合わせ文字。袖・ベルト・パンツのラインは青地に白2本のストライプ。ユニフォーム前面にアメフトのユニフォームよろしく大きく番号が入った[注釈 39]。しかし、「身売りへの準備」と勘ぐられるなどの悪評から後期は「Lions」のロゴが、ビジター用は「TAIHEIYO CLUB」のロゴがそれぞれ復活(胸番号なし)。いずれも背番号の上には選手名が入った。
    • 二軍は1975年までのユニフォームを継続使用したが、帽子のみ青地に赤のつばの物のマークを、社章から黄色の「T」と「L」の組み合わせ文字に変えていた。
クラウン時代
  • 1977年 - 1978年 - メインスポンサーがクラウンガスライターとなり、帽子も赤地に前部が白となって「C」と「L」の組み合わせ文字に変更。ユニフォームも白地に赤文字をベースとしたユニフォームにモデルチェンジ。ビジター用はライトグレー地に赤文字となり「CROWN LIGHTER」の二段文字となる。ホーム用のみ、王冠と「C」を模したクラウンのマークが胸番号の代わりに入った(マークを使用しないビジター用にも胸番号はない)。なお右袖には引き続き太平洋クラブのマーク(若干の援助を受けていたため)、左袖は帽子をクラウン仕様に変更したライオンのイラストワッペンが付く。これが福岡時代に着用した最後のユニフォームとなった。

埼玉時代

  • 1979年 - 2003年 - 球団名が「西武ライオンズ」となり細谷巖によるデザインに一新。西武黄金期を築いたユニフォームで、途中マイナーチェンジはあったが、基本デザインは2003年まで使用された。
    • 帽子、アンダーシャツ、ストッキングがチームカラーのライトブルーとなり、袖、首、パンツに“太陽”と“草原”のイメージにより考案された赤、緑のラインが入る。
    • 帽子は緑の楕円の中に手塚治虫デザインのレオマークがつき、下に白文字でLionsのロゴが刺繍される。ヘルメットは、これらのマークが直接プリントされ、さらに右側(左打者用は左側)にSEIBUのロゴが入る[注釈 40]
    • 背番号、胸番号の書体がゴシック体になり、パンツは腰ラインの入っていないベルトレスタイプになる。
      • ただし背番号「1」の書体については、秋山幸二のみ本人の希望で「_(セリフ)」の付いた書体が使用された[注釈 41]
    • スパイクはつま先、および紐通し部分が濃紺、それ以外は白でつま先側から青、緑、赤、のラインが各メーカーのデザインに沿った形で入る。紐は青[注釈 42]
      • ホーム用は、上下白で、胸ロゴ、胸番号、背番号はライトブルー。左袖にライトブルーの文字で西武百貨店のマークが入る。
      • ビジター用は、上下ライトブルーで、胸ロゴ、胸番号、背番号は白。左袖には白文字でLionsのロゴが入った(1995年まで使用されたが、イースタンでは1996年まで使用された)。
        • 1980年より、ベルト式になり、腰を一周する形のベルト通しに、ホーム、ビジター共地色と同色のベルトになる。ただし、山崎裕之は1980年以降もベルトレスタイプを使用し続けた[117]
          • 1981年に入団した石毛宏典は、全身ブルーのビジター用をパジャマみたいで格好悪いと思ったが、チームが勝ち続ける中愛着も沸き、他チームの選手からは「ビジター用の方が強そうに見える」という感想を聞いている[118] というエピソードが存在する。
        • 1990年より、ユニフォームのボタンが、乳白色半透明から地色と同色のボタン(製造メーカーデサントのロゴが入る)になる。
        • 2001年より、ホーム用がデサント社から、ナイキ社の製造になり、左胸にナイキのスウッシュマークが入る(日本プロ野球で初めてユニフォームにブランドマークが入る)[注釈 43]
        • 2002年より、ホーム用がカッティング・デザインを駆使したものになる。胸のLionsのロゴが太くなって大きさが縮小され、パンツのベルトループがスタンダードなものになり、青色のベルトになる。
  • 1996年からのビジター用は、上着がライトブルーに白のラケットラインが入り、胸番号、背番号、胸ロゴに白の縁取りが入り、書体が高校野球型に、パンツが白になり、ライトブルーのラインが入る。また袖、首の赤、緑ラインが消える。同時にスパイクの色が白地にライトブルー(端部に緑と赤が付く)ラインになる。なお、このビジター用ユニフォームは4つのデザインの中からファン投票によって選ばれたものであった[119]
  • 2002年からのビジター用は、ホーム用と同じくナイキの製造になり、大幅にモデルチェンジされ、ビジター用の上着の正面がグレー、脇・背中がライトブルーになり、パンツがグレーになる。胸のネームと番号は、発表時は白だったが、公式戦時にブルーへ変更された。また、当初は札幌、長野での主催ゲーム用という位置づけで[注釈 44]サード・ユニフォームも登場した。ホーム用をアレンジしたもので、ネームと番号の縁取りが黒。番号のロゴは、ビジターと同じものを採用。ビジター用とサード用の帽子からは、緑の楕円がはずされた(ヘルメットは、ホーム用と同じ)。なお、3種類とも右袖にプライド・ロゴ(赤・緑の2色のホームベース型にLionsのロゴと日本一の回数の8個の星をあしらったもの)が入る。
  • 2004年 - 2008年 - 伊東勤監督就任を機に25年ぶりにホームのユニフォームを変更。3月15日、開幕まで約2週間のタイミングでの発表となった[120]。赤、緑のラインが消え、Lionsのロゴが大文字のLIONSにアンダーラインの付いたもの[注釈 45] となる。また、帽子の正面からLionsのロゴが消え、横にLIONSのロゴが入る。ビジター用の帽子もホーム用兼用となり、サード・ユニフォームは、廃止された。プライド・ロゴは、ビジター用のみとなる。
    • 2005年よりプライド・ロゴの星の数が9個となる(前年度日本一になったため)。
    • 2008年は埼玉移転30周年記念ロゴが右胸に入る。
  • 2009年 - 2014年 - チームカラーがそれまでのライトブルーから「レジェンド・ブルー」と称する紺色に変更。また、「Lions」のロゴも一新される[注釈 46] ことが2009年1月1日、公式ホームページにて発表された。それに伴ってユニフォームのデザインも一新。基本デザインは西鉄ライオンズ時代のユニフォームデザインを踏襲しており、ホーム用は白地に紺の前掛けライン。左胸に「L」のイニシャルが付く。ビジター用はライトグレー地に紺の前掛けライン。胸に「Lions」の新ロゴと胸番号。ホーム用・ビジター用ともに、左袖には獅子がボールをわし掴みにするデザインの新球団ペットマークが、右袖にはLionsとほぼ同じ書体で「saitama seibu」の赤い文字が入る。また、帽子・ヘルメットもレオマークから紺地に白で「L」の一文字に変更。
  • スパイクは黒地に白のラインとなる。
    • ただし、キャップを除きこのユニフォームの使用は開幕戦からで、初年の春季キャンプ・オープン戦時は、上が新デザインを踏まえた紺のオリジナル仕様練習着、パンツおよびヘルメットは前年までのライトブルーの時代のものを使用。
    • 2012年より県営大宮球場での試合に「大宮リミテッドキャップ」を着用。キャップは、通常の帽子デザインをさいたま市大宮区の色・オレンジを使ってアレンジしたもの。空気坑・頭頂部のボタン・つばの端をオレンジ色に。ユニフォームは変更なしで、2013年の1試合のみ3rdユニフォームの併用。
    • 2013年より新たに「Saitama」ユニフォームを3rdユニフォームとして使用することとなった。レジェンド・ブルーをベースとし、脇からわき腹にかけて白。襟から胸へ流れるラケットラインと袖口のラインは、埼玉県のカラーを意識した赤色を使用。胸に白で「Saitama」の文字と胸番号、左袖にペットマーク、右袖に埼玉県章が入っている。ユニフォームに県章を用いるのは日本プロ野球では初のこととなる[121]。なお、翌2014年も継続して使用[122]
  • 2015年 ホーム用の胸ロゴが前ビジター用の「Lions」ワードマークのみに変更された。胸番号はなし。右袖のエンブレムは左袖のペットマークと組み合わせる形で移動し、これを「プライマリーマーク」と命名。右袖には西鉄時代を含む日本一の数「13」を☆に散りばめた西鉄ブラック・先代ライオンズブルー・レジェンドブルーの3色のフラッグエンブレムに「i believe lions.」のスローガンが下部に入る「コンセプトマーク」が新たに入った。選手名・背番号ロゴは「ライオンズの力強さ」をイメージした新タイプに変更。ビジター用は前年までの3rdユニフォームに変更。これも選手名・背番号ロゴはホーム用と同じである。新たな3rdユニフォームは制定せず。
  • 2016年よりユニホームがナイキ社製からマジェスティック社製になる[123]。基本的なデザインは、ホーム・ビジターともに2015年シーズンのものと同じであるが、右胸のナイキのロゴがマジェスティックのロゴとなる他、選手名・背番号の字体がヒューストン・アストロズ(2013年にアメリカン・リーグへ移動した直後の)仕様に変更される。
    • 2016年よりパンツ部分に広告が入り、そごう・西武のプライベートブランド「リミテッド エディション」の広告が入る[124]
    • 2017年シーズンよりロゴが昇華プリント方式に変更された。
    • 2018年より群馬県甘楽町に本社を置く食品会社「ヨコオデイリーフーズ」とキャップスポンサー契約を締結し、同社が運営する「こんにゃくパーク」のロゴが入ったキャップを着用する。キャップへの広告掲出は球団初の取り組みとなる[125]。また、ユニフォームの左袖には埼玉移転40周年ロゴが入れられた。
    • 2019年、6年ぶりにサードユニフォームが導入。「球団創立70年を迎え、伝統と栄光、そして悲願のリーグ制覇が融合した時代(カラー)を身に纏い、新たなる戦いへと挑むユニフォーム」として、身頃はレジェンドブルーを基調に、両肩には西鉄ライオンズのブラック(右側)と西武ライオンズのブルー(左側)がグラデーションで入れられている。胸ロゴは「Seibu」の右上に小さく「Saitama」と入れられたものが白文字で入れられた。キャップとヘルメットもブラック、ブルー、レジェンドブルーの三色を取り入れたほか、ツバの右側には西鉄時代を含む日本一の回数を示す13個の星が入れられた(通常のホーム・ビジター用ヘルメットとは異なり、つや消し加工はされていない)。また、新たに『ビクトリーエンブレム「WE ARE ONE」』が導入され、2019シーズンのホームユニフォーム及びサードユニフォームの右袖に刻み込まれることになった[126]
    • 2021年、ビジター用が再び前年までのサードユニフォームに変更。新たなサードユニフォームは制定せず。
  • 2023年、右胸のロゴがマジェスティックから親会社のファナティクス・ジャパンに変更、キャップ右側にもつけられた。同時にホームユニフォームをマイナーチェンジ。ユニフォームの中心に「Legend Line」と名付けられた西鉄ブラック・先代ライオンズブルー・レジェンドブルーがグラデーションで描かれた一本線。袖とパンツには「Legend Circle」と名付けられた先代ライオンズブルーとレジェンドブルーが入った二本線。キャップとヘルメット側面、右袖には15年ぶりにレオマークが復活(キャップとヘルメットはシルエット)。またキャップつばのふちの色が先代ライオンズブルーとなり、背番号、胸番号(ビジターのみ)およびネームも変更となった[127]

ユニフォーム(二軍)

  • 1976年 - 基本的に前年と同じものを使用。帽子は同年の一軍と同じくTLマークを入れたものを使用。
  • 2005年 - 2006年 - 二軍の球団名がインボイスに変更され、帽子のマーク・ホーム用の西武百貨店マークがインボイス社の社章に変更。ロゴも「INVOICE」となる(書体は従来と同じ)。
  • 2007年 - 二軍の球団名がグッドウィルに変更。胸のロゴが「GoodWill」となり、ホーム用は、一軍ビジター用のグレー部分と背中を白にしたもの(背番号のロゴは一軍ホーム用と同じ)が使用され、ビジター用は、一軍のものから首のラインをはずしたものがそれぞれ使用された。帽子マークはグッドウィルの社章に変更。

期間限定ユニフォーム

  • 2007年に夏季特別企画として、7月10日から8月30日の主催ホームゲームで特別ユニフォームと1979年から1996年まで使用されていたビジターユニフォーム(いわゆるライオンズブルー)の復刻版を使用。特別ユニフォームはフロント・わきの下の部分が水色、背中と肩の部分が白。胸ロゴの「LIONS」と背番号・胸番号は赤縁に白。背中にライオンの牙をモチーフにした赤い模様が入ったもの。
  • 2008年に交流戦限定ユニフォームを着用。肩から袖にかけての部分と脇からわき腹にかけての部分が白、それ以外の部分がライオンズブルー。右胸に所沢移転30周年記念ロゴのワッペン、肩の上には黒縁に白の☆、背番号の下に2008年のスローガン「No Limit!」をあしらったもの。
  • 2008年より「ライオンズ・クラシック」が開始され、期間中は復刻版のユニフォームを着用している。詳細は、ライオンズ・クラシックを参照。
  • 2012年、球団の親会社である西武鉄道の設立100周年を記念し、全国の小中学生からユニホームのデザイン案を募集[128]。採用案がデザインされたユニホームを、8月11日・12日の日本ハム戦と同月17日 - 19日の楽天戦で着用した[128]。その後、ファンから「もう一度、100周年記念ユニフォームで戦って欲しい」という要望が多かったため、9月25日 - 27日の楽天戦でも着用した[129]
    • 採用案のタイトルは「4000系とスマイルトレインユニフォーム」[128]。西武鉄道が保有する鉄道車両である4000系電車ならびに30000系電車「スマイルトレイン」の車体塗装をモチーフとし、スマイルトレインの帯色であるブルーとグリーンのグラデーションをベースに胸部分には「SEIBU」ロゴ(2003年までのビジター用のものと同一)をあしらい、首・袖周りには4000系電車の帯色である青・赤・緑3色のライオンズカラーが入る[128]。原案においては右袖に西武鉄道のコーポレートロゴがあしらわれていたが、同部分についてはリーグ規定により通常ユニフォームと同様「saitama seibu」ロゴが貼付される[128]
    • 8月11日についてはライト外野自由以外のすべての入場者に対してレプリカユニフォームのプレゼントが行われた[130]
  • 2013年、パリーグ6球団共同企画「レジェンド・シリーズ2013」において、1980から1990年代にかけてライオンズ黄金期にホーム用として使用したユニフォームの復刻版を着用。ただし、復刻ユニフォーム左胸には、ナイキのマークが付く。
  • 2014年、西武鉄道100年アニバーサリー企画の一環として、手塚プロダクションデザインの「ジャングル大帝ユニフォーム」を着用。球団旗やマスコットなどをデザインした漫画家の手塚治虫の代表作でもある『ジャングル大帝』をモチーフに、球団マスコットのレオが描かれている。ネイビーをベースに球団マスコットのレオが胴部と右肩にあしらわれており、右肩と背中に地平を駆けるレオ、左胸の下にはたけだけしくほえるレオがデザインされた[131]。チーム及び背番号ロゴは独自にデザインされたものとなり、選手ネームは入らない背番号のみのスタイルとなった。
  • 2015年、西武鉄道100年アニバーサリー企画の一環として、西武鉄道の車両カラーとして長く親しまれている西武イエローをメインカラーとして、西武が現在所有する2000系電車(いわゆる「黄色い電車」)をモチーフにしたユニフォームを着用。シャツや帽子のロゴ等に黄色を配した。チームロゴ・背番号などは2002年から2008年のビジター用と同一のもので、色は濃紺に白色の縁取りとなる。ちなみに、黄色のユニホームは球団史上初であった[132]
  • 2016年、西武鉄道100年アニバーサリー企画の終了に伴い、新たに「ライオンズ フェスティバルズ 2016」の開催を発表。それに伴い7月18日‐8月21日の公式戦28試合(ビジターゲーム含む)とイースタン・リーグ12試合(ホームゲームのみ)において、西武プリンスドーム周辺の木々や多摩湖狭山湖の湖面といった大自然を表現した『エメラルドユニフォーム』を着用する。テンプレートはラケットラインがない以外はホームユニフォームとほぼ同様。この企画では西武鉄道がキャップスポンサーとなり、選手が着用するキャップには西武鉄道のコーポレートメッセージ「あれも、これも、かなう。西武鉄道」が入ったロゴが掲げられる[133]。なお、開催期間中のチーム成績が好調だったことから、9月17日‐19日の3連戦において再び使用された[134]
  • 2017年、前年に引き続き「ライオンズ フェスティバルズ 2017」を開催。それに伴い7月21日‐8月17日の公式戦24試合(ビジターゲーム含む)にて、球団歌「地平を駈ける獅子を見た」の歌詞の一節である「空青く、風白く、地は緑、炎の色の獅子を見た」に由来する赤色の“炎獅子【えんじし】”ユニフォームを着用する[135]。このユニフォームを着用してから、球団が西武になってからは初めてで、西鉄時代の1958年以来となる13連勝を記録した[136]。結果は20勝4敗、勝率.833と好成績を残した[137]
    • 東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、楽天側がビジターユニフォームだと見分けがつかないため、楽天がホームユニフォームを着用する。
    • 上述したとおり、好成績を残したことから8月27日、9月13日~9月21日の公式戦8試合での炎獅子ユニフォーム再着用が発表された。
    • 10月8日、4年ぶりに進出したクライマックスシリーズ(CS)に向けて、選手や監督からの要望により、CSファーストステージとファイナルステージ(進出の場合)で再々着用することが発表された(レギュラーシーズンと異なりファーストステージの対戦相手となる楽天はビジターユニフォームを着用するため同系色のユニフォームでの対決となる)。限定ユニフォームでCSを戦うのはクライマックスシリーズ創設以来初めてのこととなる。
  • 2018年、「ライオンズ フェスティバルズ 2018」の開催に伴い、7月20日-8月16日の公式戦21試合(ビジターゲーム含む)にて、2016年から続く「ライオンズ フェスティバルズユニフォーム」三部作の集大成として、球団歌「地平を駈ける獅子を見た」の歌詞"空青く、風白く"に由来する、ブルーを基調とし、白き風と無数のチャンピオンフラッグがデザインされた『獅子風流≪ししぶる≫ユニフォーム』を着用する[138]
  • 2019年、「ライオンズ フェスティバルズ 2019」の開催に伴い、7月19日-8月15日の公式戦24試合(ビジターゲーム含む)にて、「平成時代の王者だったライオンズが、新たな時代(令和)においても王者であり続けるように」という願いを込めた『令王≪レオ≫ユニフォーム』を着用する。球団歌「地平を駈ける獅子を見た」をテーマにしたユニフォーム3部作の完結に伴い、メインテーマをチームの象徴である「ライオン」に定め、胸ロゴと背番号にライオンのたてがみをイメージしたゴールドを使用。胸元には躍動する青き獅子を配置した他、チームがファンと一つになって戦う姿をライオンの群れになぞらえ、頭文字の”L”を躍動感あるデザインで柄として採用した[139][140]
  • 2020年、ライオンズ命名70周年を記念した2020シーズン中の16試合において「ライオンズ70周年シリーズ」を開催し、当該試合において9度のリーグ優勝を達成した1985~94年の”黄金期”を彷彿とさせる「70周年ユニフォーム」を着用すと発表[141]。長年ファンに親しまれた水色基調のライオンズブルーをベースに、胸には筆記体の「Lions」ロゴ(胸番号、背番号と共にライオンズブルーからネイビーへのグラデーション仕様)が入り、左袖には70周年仕様のレオマーク、右袖にはビクトリーエンブレム「WE ARE ONE」があしらわれた[142]。後に日程変更で15試合での着用となった[143]2021年も継続して使用(試合数未定)。
  • 2021年、2年ぶりに「ライオンズ フェスティバルズ 2021」を開催。それに伴い7月13日-8月29日の公式戦17試合(ビジターゲーム含む)にて、「『最高』の結果を出し、彩の国で再び王者に返り咲くこと」への想いを込めた、色鮮やかな「彩虹(さいこう)ユニフォーム」を着用する[144]。球団歌「地平を駈ける獅子を見た」の歌詞"激しく 雄々しく 美しく たてがみ虹の尾をひいて"をもとに、ライオンの誇りであるたてがみに、選手たちの多様な個性を、今年のライオンズフェスティバルズ全体のテーマである「SDGs」の色等でカラフルに表現した[145]。胸ロゴと背ネーム・番号は白抜き文字、袖はレジェンドブルーで、袖口とサイドにはゴールドのラインが入れられている。
  • 2022年、「ライオンズ フェスティバルズ 2022」の開催に伴い、7月22日-8月21日の公式戦24試合(ビジターゲーム含む)にて、「WILD WILD SUMMER 野性に還る夏」をテーマにした「WILD WILD ユニフォーム」を着用する。大自然のワイルドさ、灼熱のサバンナを想起させるカーキを基調とし、逞しい獅子の強さを表す爪痕や、仲間と競い合い、しのぎを削るグラウンドを颯爽と駈ける選手をイメージしたデザインとなった[146]
  • 2023年、公式戦6試合において「西武特急シリーズ」を開催。これに伴い、チームスローガンである「走魂」と西武鉄道の新型特急「Laview」をモチーフとしたデザインのユニフォームを着用する(イースタン・リーグでも4試合で着用)[147]。全身は車体をイメージした白銀を基調とし、ロゴ・ネーム・番号は内装をイメージした黄色となった[148]
  • 同年の「ライオンズ フェスティバルズ 2023」では、8月1日-27日の公式戦23試合とイースタン・リーグ18試合(いずれもビジターゲーム含む)にて「蒼空ユニフォーム」を着用する。「突き抜けろ。蒼く、強く、高く。」をコンセプトに定め、晴れ渡った夏の蒼空を表現したライオンズブルーの下地に、飛行機雲を想起させるライオンズ初の「ピンストライプ」を採用した[149]
  • 2024年、公式戦9試合において「西武ブルーシリーズ」を開催。当該試合では、球団創立時から脈々と受け継がれてきた伝統と誇りの色である“ライオンズブルー”をコンセプトにした限定ユニフォームを着用する(イースタン・リーグでも2試合で着用)[150]。胸元のLionsロゴのほか、背番号や背ネーム、キャップからストッキングに至るまで、ライオンズブルーを所々にあしらった他、ストッキングには白のラインが追加された[151]

  1. ^ 日付はシーズン途中で就任した場合のみ記載。
  2. ^ 日付はシーズン途中で退任した場合のみ記載(休養は含まない)。その他は原則として年度末退任。
  3. ^ 登録上は1951年 - 1952年も監督だが、その間は三原が総監督を務めた。
  4. ^ 1965年4月19日 - 5月10日は病気療養のため深見安博が監督代行。1969年5月23日 - 6月13日と、10月9日以降は鬼頭政一が監督代行。
  5. ^ 1997年7月11日 - 13日までは須藤豊が監督代行。
  6. ^ 6月5日から休養し、シーズン終了までは田邊徳雄が監督代行を務めた。

注釈

  1. ^ かつては「インボイス」、「グッドウィル」という二軍独自の球団名が使われたことがあった。
  2. ^ 戦後の大洋ホエールズとは無関係。
  3. ^ 戦後のライオンズとは後述の事情もあり、球団としての系譜のつながりはない。
  4. ^ その後も航空物流事業は西鉄の経営における重要部門として存在し、2022年度決算においては西鉄グループ全体の連結営業収益約49億円の45%にあたる23億円が物流事業で占められ、そのうち95%が国際物流事業となっている。
  5. ^ 設立日については『魔術師 三原脩と西鉄ライオンズ』では28日、「プロ野球12球団全選手百科名鑑」シリーズ(2000年代途中頃までの発行分)では29日となっている。
  6. ^ 西日本新聞の体面を考え「吸収合併」ではなく「球団合併」だったが、事実上の吸収合併であった。
  7. ^ チーム名は西日本新聞紙で募集し、1週間で53,000通の応募があったとされる。
  8. ^ 8月22日から9月21日にかけて18連勝。9月22日の西鉄戦に2-7で敗れた後、翌日から8連勝。
  9. ^ 達成当時はヴィクトル・スタルヒンの40勝がシーズン最多勝とされ、稲尾が新記録とされていた。
  10. ^ 池永の他には与田順欣益田昭雄村上公康船田和英基満男
  11. ^ 池永は2005年に復権。
  12. ^ 船田と村上はシーズン活動停止処分、基は厳重注意。
  13. ^ 当時の西鉄は軌道線路面電車)である西鉄福岡市内線の収支が悪化したため、その廃止とバス転換(同時に福岡市交通局が地下鉄を建設)という、本業の輸送部門での事業再編が迫っていた。福岡市内線は1973年に一部、1979年に全線が廃止された。
  14. ^ 2013年、434本のアンドリュー・ジョーンズが来るまで、日本プロ野球に来るまでのメジャーリーグ最多本塁打記録。
  15. ^ クラウンガスライターは6月に関東クラウン工業、廣済堂印刷と合併し、廣済堂クラウンに社名変更した。
  16. ^ この年は米国でのキャンプ。オープン戦も国内で開催しない異例の日程となっていた。
  17. ^ この時競合したのは、近鉄、南海、日本ハム、阪神、中日。
  18. ^ この当時の巨人の主力選手の1人であった原辰徳は、「苦手を通り越してコンプレックス。トラウマ的なものさえ感じる」と、巨人監督として迎えた2002年の日本シリーズ直前の合宿地で印象を述べている。『巨人軍5000勝の記憶読売新聞社ベースボールマガジン社、2007年。ISBN 9784583100296。p.86
  19. ^ この年以後、同一チームの日本シリーズの連覇は2014年-2015年に福岡ソフトバンクホークスが達成するまで23年間なかった。また、この年はゴールデングラブ9部門中、西武は8部門を独占。
  20. ^ 同年、一時期は2位であってもマジックが点灯していたことがある。これは西武の残り試合数が日本ハムの残り試合数よりも多かったことによるもので、一時期は3位転落でもマジックが点灯していたことがある。現時点では3位球団におけるマジック点灯は同年の西武しか前例がない。
  21. ^ 西武だけでなく、日本ハム以外のパ・リーグ各球団が主催する札幌ドームでの試合は2004年以降行われず、2009年の巨人主催を最後にセ・リーグ球団各球団が主催する札幌ドームでの試合は行われていない。
  22. ^ 日本ハム以外のパ・リーグ球団の東京ドームでの主催試合に関しては、西武は2007年にオリックス、2012年にソフトバンク、2014年に楽天の主催試合の対戦相手として行ったことがある。また交流戦では巨人主催試合での対戦相手として行われている。
  23. ^ a b 他球団への移籍を1度も挟むことなく、球団名に「埼玉」がつく前の旧・西武時代から一貫して西武に在籍し続けているフランチャイズ・プレイヤーでもある。
  24. ^ a b c ただし、2010年にクライマックスシリーズを年間勝率3位から制し、そのまま日本一になっているのは千葉ロッテマリーンズで、最後の年間勝率1位によるリーグ優勝をした上での日本シリーズ出場はロッテオリオンズ時代の1970年まで遡る。
  25. ^ 同年に行われた1998 FIFAワールドカップ・フランス大会アジア最終予選のアジア第3代表決定戦、後に「ジョホールバルの歓喜」と呼ばれたイラン代表との対戦で、延長で「ゴールデンゴール」を決め、日本代表を史上初めてFIFAワールドカップ本大会出場に導いたことへの表彰。
  26. ^ (プレーオフで最終順位を決定していた年次を除き)通年の勝ち星で優勝チームを2勝以上、上回りながら優勝を逸した例は、1982年巨人・1986年巨人・当年西武・2014年オリックス・2021年阪神の史上5例しかなく、24年ぶりの出来事であった。
  27. ^ 球団はロッテなどのように、平日のデーゲームでの検討も行ったが、照明なしでのプレーは白球が見えづらく、西武ドームでは困難と判断した。
  28. ^ 4月中は、4月12日からの開幕2連戦を西武ドームから日本ハム本拠地の札幌ドームに変更し、ホームゲームは滋賀県皇子山球場の2試合(うち1試合は雨天中止)のみ行われた。
  29. ^ 2位の巨人が663得点で93得点差と圧倒。
  30. ^ 源田は、本大会における小指の骨折を理由に本シーズン開幕一軍を見送られた。
  31. ^ 年間最高勝率は下記から1982年と2004年を除く21回。
  32. ^ 1982年は日本ハムとのプレーオフを制して優勝(年間最高勝率は日本ハム)。
  33. ^ 2004年はレギュラーシーズン2位ながら、プレーオフで3位・日本ハムを2勝1敗、1位・福岡ダイエーを3勝2敗でそれぞれ破り優勝(年間最高勝率はダイエー)。
  34. ^ 2021年は新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から延長戦が無かった。延長戦がある年では1959年・1978年の14分が最多。
  35. ^ 参照:千葉ロッテマリーンズ主催試合の地方球場一覧
  36. ^ 1980年代から1990年代の一時期、子供のレオ(レオの子供のルネとも解釈可。)の着ぐるみが登場したこともあった。
  37. ^ 2021年9月4日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で達成。
  38. ^ 秋山幸二清原和博和田一浩など西武でプロのキャリアをスタートさせた彼らはそれぞれ移籍先で達成しており、西武球団のみで2000本安打を達成したのは栗山が初めてとなった。
  39. ^ これには当時の球団社長、坂井保之の「番号はファンへの認識を大事にしたい」「この情報化時代ユニフォームの球団名なんか不要」という意向によるものであった[116]
  40. ^ 「ライオンズ・クラシック」等の復刻企画では広告ステッカー貼付の都合上この仕様通りに再現されない場合がある。
  41. ^ 24番から変更した当初は「_」のないユニフォームを着用していた。「_」付いた時期は不明。その後秋山との交換でダイエーから加入した佐々木誠も、当初は「_」の付いた書体のユニフォームを着用したが、オープン戦途中で「_」のない物に変更された。一方、秋山はダイエー移籍当初「_」がなかったが、その後「_」のついた物に変更された。
  42. ^ 紐部がマジックテープ留めとなる場合はそれも濃紺となる。
  43. ^ このマークは広告扱いのため、交流戦ビジターゲームで着用するユニフォームには入らない。
  44. ^ 実際は夏期などに西武ドームでのホームゲームでも着用した。
  45. ^ この当時のロゴが2017年まで西武球場前駅プラットホーム上に残されていた。
  46. ^ このロゴを「ワードマーク」と命名。
  47. ^ テレビ埼玉ではTBSテレビTBSビジョンとの提携関係にあったとき(1990年代初めまで)に、TVSライオンズアワーの中継において、この楽曲を中継のエンディングテーマソングとして使ったことがある。
  48. ^ 当時の報道では「ブラデントン」という表記が一般的であった。
  49. ^ 太平洋からクラウンに球団名が変更された後も、同じデザインのキャラクター(帽子のマークを変えて)を使用。
  50. ^ 読売ジャイアンツヤクルトスワローズ日本ハムファイターズの3球団であった。2004年以降は日本ハムが札幌に移転したため、東京都を保護地域とする球団は現在ではセ・リーグのみの2球団である。
  51. ^ 例として、ファンブックなどで国土計画の旧クラウン球団買収を「ライオンズ球団の誕生」と記述していたため、「福岡時代からライオンズを名乗る球団が存在したのに、新たに創設されたかのような記述はおかしい」と指摘され、この記述については「西武ライオンズ球団の誕生」と改めた。1986年のパ・リーグ優勝の際に発売された西武鉄道の優勝記念乗車券では「西武ライオンズは1986年度パ・リーグ公式戦優勝。4度目の制覇を達成することができました。皆さまのご声援ありがとうございました。」を全文とする感謝の意を示し、西鉄が達成した5度のリーグ優勝には触れなかった。ただし、マスメディアでは「西武として◎度目の優勝、球団創立からは(「西鉄時代を含めると」という表現などもあり)△度目の優勝」という報道がなされた。
  52. ^ 1962年限りで国鉄スワローズ(現:東京ヤクルトスワローズ)へ移籍し、監督・コーチとしての西武在籍経験もない豊田泰光は上記に該当する元選手の一人であり、ラジオ中継で西武贔屓の解説を続けながらも、現在の西武球団から自分の存在価値を認められない元選手は行き場や精神的故郷がないという球団批判を行っていた。なお、豊田は2016年8月14日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため、81歳で死去した。
  53. ^ 西鉄時代から在籍していた東尾修と大田卓司や、その他相当数残っていた太平洋・クラウン時代から在籍した選手(鈴木葉留彦立花義家など)は球団生え抜きとは扱われず、クラウンから「トレード」された扱いであった。
  54. ^ 1978年にはクラウンに在籍したが、1979年には阪神に移籍し、西武としての在籍経験がない真弓明信のように、1978年にクラウンに在籍したが1979年以降は西武としての在籍経験がない選手などは西武における球団のOBとしては認められていなかった。
  55. ^ その後、2008年のドラフト会議千葉ロッテマリーンズからドラフト1位で指名されて入団したが、現在は引退している。
  56. ^ 旧・朝日ニュースター
  57. ^ 1965年-1968年は、本来福岡県をカバーする日本テレビ系だったテレビ西日本がフジテレビ系にネットチェンジした後も、特例で対巨人のオープン戦などフジテレビ系がローカルセールス枠となるデーゲームを中心に、日本テレビ系向けの中継を制作し、1969年の福岡放送移行まで継続した。

出典

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