仙台空港 歴史

仙台空港

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歴史

1984年度(昭和59年度)撮影の国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。写真の中で左右に通っているのがB滑走路、斜めに通っているのがA滑走路。この当時、B滑走路が2,000mで、AおよびB滑走路の中間に駐機場があった。

かつて仙台市で飛行機の離着陸に使われた場所として、宮城野原川内追廻などがあった。1933年(昭和8年)になると、仙台市街地の南東に逓信省所管の仙台飛行場が設置された。仙台飛行場は東京と札幌を結ぶ定期便の経由地となっていた[24]。この飛行場は、戦後に進駐軍に接収された後、陸上自衛隊の霞目駐屯地となった。

一方、1940年(昭和15年)、名取郡玉浦村下増田村に跨る地域に陸軍が飛行場を設置し、ここに熊谷陸軍飛行学校増田分校教育隊が配置された[24][25]。この飛行場は戦後に進駐軍に接収された後、1956年(昭和31年)に日本へ返還されて、運輸省防衛庁の共同管理地となった[24]。この飛行場は仙台飛行場と呼ばれた[26]。翌1957年(昭和32年)には、仙台飛行場と東京国際空港(羽田)を結ぶ定期航路が、日本ヘリコプター輸送(後の全日本空輸)により開設された。1962年(昭和37年)になると、航空自衛隊がこの飛行場から移転したことで、運輸省単独管轄の施設となった。1964年(昭和39年)になって、空港整備法に基づき第二種空港の指定を受け、この時に名称が仙台空港となった[24]

仙台空港として発足した1964年(昭和39年)の時点で、仙台空港は1200メートルの滑走路1本を持っていた。この頃は日本の高度経済成長の時期に当たり、航空需要の増大から、日本では航空機材の大型化やジェット化が進んでいた時代でもあった。それに対応するために滑走路の整備が日本全国で行われた。運輸省は1967年度(昭和42年度)に「第一次空港整備五箇年計画」を策定し、これにより、仙台空港では2000メートルの滑走路整備が行われることになった。この2000メートル滑走路は、旧来の滑走路とは別に新設され、仙台空港では旧来のA滑走路と新設のB滑走路、合わせて2本の滑走路が併存する形となった。B滑走路が完成したのは1972年(昭和47年)で、この年にジェット機が仙台空港へ就航した[27]

開港以来、仙台空港の利用者は毎年、増え続けていた。1981年(昭和56年)における仙台空港の旅客総数は約150万人だった。しかし、1982年(昭和57年)に東北新幹線が大宮駅と盛岡駅の間で暫定的ながら開業すると、仙台空港の利用者は減少に転じ、1985年(昭和60年)に新幹線が上野駅まで延伸すると、さらに利用者数は落ち込んだ。所要時間や運賃を比較すると、仙台・東京間の移動については、航空機が不利で、鉄道が有利だった。これにより、全日本空輸の仙台・羽田便は1985年(昭和60年)に廃止された[28]

滑走路の2500メートル化は、昭和から平成に変わる時期に行われた。1987年(昭和62年)に国が策定した第四次全国総合開発計画では、東京一極集中を避けて、地方への分散、国土の多極化が目的とされた。この中で、国際化のために地方空港の機能拡充が盛り込まれ、仙台空港がその対象とされた。このような状況の中で、仙台空港への国際定期便の就航を目指す動きが起こった。当時の仙台空港には、国際チャーター便はあったが、国際定期便はなかった。1988年(昭和63年)に、東北経済連合会や宮城県などからなる「仙台 - ソウル定期便開設促進連絡会」が結成され、この会員が何度か韓国を訪れて定期便開設へ協力を求めた。これに応えたのがアシアナ航空で、1990年(平成2年)に仙台空港と韓国の金浦国際空港の間に定期便が就航した。この後も、仙台からグアムやシンガポール、香港、大連などへの定期便の就航が続いた[29]。滑走路の2500メートル化は1992年(平成4年)に竣工し、これを記念して全日本空輸と日本航空はそれぞれボーイング747によるフライトを行った[26]。1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて新しい旅客ターミナルビルの供用が始まり、1998年(平成10年)にはB滑走路が3000メートルとなった[30]。2007年(平成19年)には空港連絡鉄道である仙台空港鉄道仙台空港線が開業した[25]

東日本大震災

震災翌日の仙台空港の空中写真。2011年(平成23年)3月12日撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

2011年(平成23年)3月11日14時46分、東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生し、空港では震度6弱を観測した[31]。滑走路は直ちに閉鎖され[32]、ターミナルビルには旅客、周辺住民、従業員ら約1400人が避難した。

15時56分、地震による津波が到達し空港および関連施設は冠水した。ターミナルビルは3.02メートルの高さまで冠水し、施設の1階部分には自動車や瓦礫が大量に流れ込み、漏洩したガソリンに引火して貨物棟が炎上した。仙台空港はこの日、国内線約80便、国際線8便が発着を予定しており、旅客機の駐機がゼロになるのは1日3 - 4回で、それぞれ数分から20分程度の間隔でしかなかったが、定時運航であれば本震発生の1分前の14時45分に到着予定の大阪発仙台行日本航空2209便が天候不良のために遅れていたため、奇跡的に滑走路に旅客機はなかった[33]海上保安庁航空大学校の練習機や民間の小型機やヘリコプターなど計67機[34] は、格納庫の扉が破損して外に出せなかったり、格納庫内での接触で損傷するなど離陸できないまま津波によって被害を受けた[32]。この内、海上保安庁のDHC-8-315「みずなぎ」のみ修理された[注 2]が、他の機体の修理は断念された[35]

地震直後に管制塔から管制官が退避したことで航空管制は停止したが、東邦航空東北地方整備局から運航を委託されていた災害対策用ヘリコプター[36]と、NHKと契約しているオールニッポンヘリコプターの機体は偶然被害を免れ、航空管制を受けずに独自の判断で離陸し、被害状況の情報収集や襲来した津波の映像を中継している[37][32][38]

乗客や老人ホームなどの地域住民、空港職員ら1659人がターミナル3階に避難し、空港ラウンジが開放され、土産物屋に陳列されていた水や菓子が配布された[39]。3月12日午後に救急車マイクロバスなどが到着、避難者の退避が開始され、3月16日までに空港職員を除く全員が空港を離れた[35][40]。避難者の中で外国人は東北大学のシンポジウムに出席していたアメリカ人の天文学者マイケル・メンディロだけであった[39]

3月13日、アメリカ空軍の太平洋特殊作戦コマンドが、山形空港からヘリコプターを出して上空から被災地を偵察した。アメリカ軍は、道路・鉄道・港湾の運輸インフラがいずれも甚大なダメージを受けている中、仙台空港を空輸による復興支援活動の拠点とすべく、翌14日の朝に2日間でB滑走路の瓦礫を撤去し、1500mのクリアランスを確保するよう日本側に要請し、これを受けて滑走路のメンテナンスを担う前田道路[41] による復旧作業が急ピッチで行われた。津波が引いた当初の滑走路の光景は、散乱する瓦礫や自動車のみならず、遺体も横たわる痛ましいものであったという[35][42][43]

3月16日、アメリカ合衆国連邦政府福島第一原子力発電所事故の影響を考慮し、在日米軍を含む自国民に対して同原発から50マイル(80 km)圏外に退避するよう勧告した。仙台空港はその境界線上であった。その最中において、アメリカ軍による仙台空港啓開作戦が開始された。アメリカ空軍第320特殊戦術飛行中隊(嘉手納飛行場駐留)の戦闘管制員を乗せて早朝に横田飛行場を飛び立った第17特殊作戦飛行隊の輸送機MC-130Pが、航空自衛隊松島基地の副滑走路に降り立った。戦闘管制員らはそのままハンヴィーに分乗し、自衛隊の誘導のもと仙台空港に向かった。仙台空港でバックパックラジオ(可搬型無線機)による即席の管制体制が確立されると、14時30分に復旧用の機材と第353特殊作戦部隊の兵員らを搭載したMC-130HがB滑走路に着陸を強行した。僅か1500メートルのみが確保されている滑走路への着陸を成し遂げたパイロットの腕前に、見守っていた関係者らは驚嘆したという。当のパイロットは「あのフライトがこれまでで一番怖かった」と述べている。その後、仙台空港の管制権は4月5日まで米軍の管理下に入った[44]。さらに3月19日までに、キャンプ・キスナーに常駐するアメリカ海兵隊からなる戦闘支援連隊が到着し、キャンプ富士の米海兵隊が重機とともに陸路で空港入りし、3月20日には大型輸送機C-17が着陸できるまでに機能回復した。3月23日には、相模総合補給廠からアメリカ陸軍第35兵站任務部隊が、仙台空港の復旧作業(瓦礫や約3,000台の破損車両の撤去等)に空軍・海兵隊を引き継ぐ形で派遣された[42][43][45]。復旧活動に携わったアメリカ軍部隊は、3月31日にごみ拾いをした上で撤収した[46]

アメリカ軍はこの空港を使って200万トン以上の食料や水、毛布を被災地に輸送するなど、4月7日までアメリカ空軍・同海兵隊・自衛隊による日米合同救援活動「トモダチ作戦」の拠点として使用された。

4月3日、仙台空港近くの海岸に流木を用いて作られた「ARIGATO」の文字が、仙台空港復旧作業の司令官であったロバート・トス空軍大佐に発見され、後の手記で仙台空港の復旧に力添えできたことを光栄に思う、と言及した[47][48]

被災直後には「機能回復には少なくとも半年はかかるだろう」と見られていた仙台空港は、アメリカ軍と前田道路の共同作業により33日という驚異的な早さで復旧し[49][50]、4月13日に日本航空が第1便を再開して以降[注 3][51][52]、日本航空・全日本空輸AIRDOIBEXエアラインズが臨時便を運航。7月25日に全日本空輸・AIRDO・IBEXエアラインズ[53]9月1日に日本航空の定期便が再開[54]。国際線も、9月25日のターミナルビル完全復旧と共にソウル/仁川線(アシアナ航空)の定期便が再開し、その後順次、運航が再開され、2012年(平成24年)7月30日の長春線(中国南方航空)再開をもって全路線が復旧した[55]

仙台空港鉄道は、空港敷地内のトンネルが水没するなどの被害を受け、4月2日以降バスによる代行運転を行った。10月1日仙台空港駅の営業を再開し、同日仙台空港線は全線復旧した[56]

空港民営化

年表

画像外部リンク
仙台飛行場
仙台空港駅に停車する仙台空港アクセス線の車両(2008年1月)

注釈

  1. ^ 民営化後も空港法に基づく区分は国管理空港から変更はない。
  2. ^ 2024年令和6年)1月2日に発生した日本航空516便衝突炎上事故によって全損。
  3. ^ アメリカ軍は民間機の運航再開に立ち会うことなく撤収した。空港再開当日、作戦に従事した一人は「俺たちがいたことは、誰にも知られなくていい。だけど、最後まで見届けたい。今日は一人だから、ビールを飲みながら民間機が飛ぶのを(テレビで)見る」と現地での調整役を務めた自衛隊幹部に伝えた。
  4. ^ 羽田便の運航は1985年(昭和60年)以来26年ぶりとなった。
  5. ^ 11年前の東日本大震災でも大きな窓ガラスは割れなかったという[76]
  6. ^ ジェイエアの機材・乗務員で運航
  7. ^ ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり
  8. ^ 大連経由。
  9. ^ 定期便としては運航終了したが、地震等の災害で東北新幹線が全線又は一部区間が不通になった場合に、臨時便として運航される事がある(詳細は上記『年表』を参照)。
  10. ^ 冬季運行便

出典

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