ヨーガ インドの歴史

ヨーガ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/06 17:06 UTC 版)

インドの歴史

ヨーガ以前

紀元前2500-1500年頃の彫像

ヨーガの起源には不明な点が多く、その成立時期を確定することは難しい。ヨーガの起源を最も古くに見るものは、紀元前2500年-1800年のインダス文明に、その遠い起源を持つとするもので、これは20世紀初頭の考古学者達によって考え出されたものである[78]。1921年にモヘンジョ・ダロハラッパーの遺跡を発掘した考古学者のジョン・マーシャルらは、発掘された印章に彫られた図像を、坐法を行っているシヴァ神の原型であると解釈した[78]。そこから宗教学者エリアーデも、これを「塑造された最初期のヨーガ行者の表象」であるとした[78]。近代に至るヨーガの歴史を研究したマーク・シングルトンは、この印章がのちにヨーガと呼ばれたものであるかは、かなり疑わしいものであったが、古代のヨーガの起源としてたびたび引用されるようになった、と述べている[78]。日本で出版されているヨーガに関する書物でも、インダス文明にヨーガの起源をみるとする立場を取るものも多い。

しかし、佐保田鶴治も指摘するように、このような解釈は、あくまで推論の域を出ないものであるという[79]。インダス文明には、文字らしきものはあっても解読には至っておらず、文字によって文献的に証明することのできない、物言わぬ考古学的な史料であり、全ては「推測」以上に進むことはできない、と佐保田は述べている[79]。また、インド学者のドリス・スリニヴァサンも、この印章に彫られた像をシヴァ神とすることには無理があり、これをヨーガ行法の源流と解することに否定的であるとしている[80]。近年、このようなインダス文明起源説に終止符を打とうとした宗教人類学者のジェフリー・サミュエルは、このような遺物からインダス文明の人々の宗教的実践がどのようなものであったかを知る手がかりはほとんど無いとし、現代に行われているヨーガ実践を見る眼で過去の遺物を見ているのであり、考古学的な遺物のなかに過去の行法実践を読み解くことはできないとしており[81]、具体的証拠に全く欠ける研究の難しさを物語っている。

インダス文明は、アーリア人のインド侵入とともに衰退したともいわれる。アーリア人が紀元前12世紀頃に編纂した『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダの時代には、「ヨーガ」やその動詞形の「ユジュ」といった単語がよく登場するが、これは「結合する」「家畜を繋ぐ」といった即物的な意味で、行法としてのヨーガを指す用例はない[82]。比較宗教学者のマッソン・ウルセルは、「ヴェーダにはヨーガはなく、ヨーガにはヴェーダはない」(狭義のヴェーダの時代)と述べている[83]。その後、先住民(ドラヴィダ人)の土着信仰がアーリア人の正統バラモン思想圏に取り入れられる中で、瞑想や修行を基礎とする宗教的な行為としてのヨーガの思想実践が発展していったと思われる[16]

広義のヴェーダ文献の最後に当たるのが、ウパニシャッド(奥義書)であり、バラモン教の一群の聖典を指す言葉である[84]。ウパニシャッドの基本思想は、多様多彩で変化し続けるこの現象世界には、唯一不変の実体(ブラフマン、梵)がその本質として存在し、人間の個体の本質(アートマン、我)はブラフマンと同一であるという梵我一如の思想である[84]。個人の本体は大宇宙の本体と同一であり、何らかけたところのない自身の本体を把握する者は、大宇宙の本体を我が物とできると考えられた[84]。こうした実感は、ウパニシャッドの哲人たちにより詩のような形で断片的に語られていたが、徐々に論理的に整理されていった[84]

ウパニシャッドの時代では、単語としての「ヨーガ」が見出される最も古い書物は、紀元前500年-紀元前400年の「古ウパニシャッド初期」に成立した『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』である[85]。この書では、ヨーガという語は「ヨーガ・アートマー」という複合語として記述されているが、そのヨーガの意味は「不明」であるという[85]。紀元前6世紀から4世紀に成立したと考えられる『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』では、ヨーガの実践はまだ明確に定義されていない[86]

紀元前5世紀には、ガンジス川平地で政治的経済的な発展があり、小さな国の首領だったものクシャトリア(王族・武士)階級は、新たに生まれた都市の支配者層になり、ヴァイシャ(商人)階級は、経済発展に伴って富を蓄積し力を得た[87]。世襲の祭祀階級であったバラモンは、諸神崇拝の祭祀・呪術を担っていたが、その祭祀主義は形式化し、それまでの権威を失っていた[87]。クシャトリアとヴァイシャは、バラモン階級の人々と同様またはそれ以上の社会的地位を彼らに与える新しい宗教に関心を持った[87]。世俗を離れて出家しさまざまな新しい思想を展開する宗教者たちが現れ、彼らは沙門(サマナ、励む人の意味)と呼ばれた[87]。このような中生まれたのが、仏教ジャイナ教であり、開祖のブッダ(ガウタマ・シッダールタ、釈迦。紀元前5世紀頃)とマハーヴィーラはともにクシャトリヤ出身で、紀元前5世紀頃の人物である[87]。仏教とジャイナ教は、ともに正統バラモン教からは異端とされている。

仏教

ブッダの像

ブッダは当時禅定の第一人者と言われていた二人のバラモンから、無所有処定(心を静めて何らこだわるところがないという禅定(精神集中のヨーガの瞑想))と、非想非非想処定(何かを心の中に思っているのではなく、また思っていないのでもないという禅定)に学び、すぐに師と同じレベルに達した[88]。しかし、この種の精神集中のヨーガ、集中による無念無想の無思考は、心理的な心の鍛錬ではあり、瞑想の間だけは無欲望になるが、それ自体は盲目的であり、瞑想中にあたかも「不動の境地を得た(悟り)」または「不動の真理に合一した」と感じても、瞑想が終われば再び心は動揺してしまう[89][90]。一時的なものであり、ブッダはこのやり方では安らぎの境地(涅槃)、世界存在の根本を貫く真実である悟りに達することはできないと感じ、師の元を離れた[88][89]

続いて6年の間、禅定と並ぶ実践修行であった苦行(タパス)を行った[88]。呼吸の抑制法、断食などの苦行と共に瞑想も行い、これまで以上に精神統一を行ったが、満足できる境地に至ることはできなかった[91]。青年時代に父と主に農耕の祭りに外出した際に、樹の下に坐して初禅(身心一致し安定した状態)に達したことを思い出し、体を癒し、菩提樹の木の下で瞑想し、悟りに至った[88]

心の働きを止滅させるヨーガの瞑想を「(サマタ)」と呼ぶが[22]、ブッダはこの行法により、人間の「苦」の根本原因が「無明」であることを自覚し、「十二因縁」を順逆に観想する「(ヴィパッサナー)」によって「無明」を脱したとされる[22]。経蔵中部の『聖求経』に説かれるところによると、ブッダが悟りに至るまでの段階は、尋(省察作用)・伺(考察作用)・喜(喜び)・安楽(安らぎ)のある瞑想から、不苦・不楽・自然清浄に至るまでの4段階の四禅と、無変な虚空を思い念ずる境地(虚空無辺処)、認識作用の無辺さを思い念ずる境地(識無辺処)、無所有を思い念ずる境地(無所有処)、非想非非想処定、思いや感覚の働きが止滅し、智慧によって観じ煩悩が完全に滅した境地(想受滅)までの9段階に整理されるであろうと考えられる[92]。ブッダの悟りの内容には複数の伝承があるが、要するに、智慧慈悲心を獲得し、解脱に至ったとされている[88]。学者達によって色々の説が有るが何を悟ったのかは今日まで不明である。

仏教は、ヴェーダの祭祀思想を個人化、内面化した先に成立した[93]。当時の修行者の多くは、呪力の獲得、天界への再生、無限の至福の獲得といった現実的で個人的な目的をもって修業を始めたが、ブッダは「善」という抽象的かつ普遍的なものを求めて出家し、そこには個人的救済観を超えた普遍性があった[94]。これは、彼が王子であったことが大きく影響していると思われる[94]。ブッダの意識の中に倫理性を問題としない現世利益や来世利益を追求する呪術的なヨーガはなかったと思われ[95]、仏教はバラモン教のような祭祀を認めず、祭祀文献は一切受け継がなかった(ただし、のちにタントラを取り入れた密教は祭祀を行うようになった)[93]

呪術性が強く、集中の行であったヨーガは、ブッダによって、徹底観察・考察を目指す、智慧の獲得のための行というパラダイムの転換がなされた[89][91]。仏教の瑜伽行(ヨーガ)は、ブッダが悟った「止」と「観」が同時に行われる止観である[22]。ヨーガ観法(瞑想法)を取り入れて、この祈りと瞑想の技術が多様に発展したことが、仏教の特徴であるといえる[96]。また、バラモン教に先行して、哲学的思索を深め教理体系(論蔵=アビダルマ)を作り上げている[93]

仏教で出家者は、日常生活において従うべき実践的規律「(シーラ)」を守り身心を拘束することで欲望の制御を学び、瞑想すなわちヨーガ観法「(サマーディ。静慮、禅那、禅定、思惟修とも)」を実践するという2つの「修行」の過程を経、仏教哲学の理論「」(パンニャー、般若)を学ぶ[97]。この「三学」によって悟りを得ることを目指す[97][96]。仏教では、悟りに導く智慧(聞思修、洞察)を修行の段階によって分類しており、他人から教えを聞いて了解する智慧(聞所成慧)、道理を考察して生ずる智慧(思所成慧)、瞑想の実践によって体得する正しい智慧(修所成慧、観想)の3つがある[98]。悟りは思考で到達できるものではなく、瞑想の実践によって生じる智慧によって到達できると考えられているため、修所成慧が最も重視されている[98]

瑜伽行唯識派の開祖といわれるマイトレーヤナータ(弥勒)

西暦前3世紀半ばからの約550年間、根本分裂の後に生まれた部派仏教の繁栄と、大乗仏教の発展がみられた。3 - 5世紀のインドの大乗仏教では、ヨーガの実修を好む瑜伽師(ゆがし、ヨーガ行者)によって、般若の思想と、修行者のヨーガ行の最中の体験、外界の存在や心象が消えうせ根源的な心識のみが唯一の実在として残る(唯識)体験を教義のベースとした思想体系が生まれた[22]。この学派は瑜伽行唯識派(瑜伽行派、ヨーガチャーラ)と呼ばれ(ヨーガ学派と呼ばれることもあるが、バラモン教のヨーガ学派とは別である[32])、中観派と並び大乗仏教思想の中核の一であった(中観派では観行という行法が行われた)。瑜伽行唯識派の基本的論書として『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ(瑜伽師地論)』がある[28]。『ヨーガーチャーラ・ブーミ・シャーストラ』では「信・欲・精進方便」がヨーガであるとされ、正行(悟りを得るために実践しなければならない正しい修行)の要件がすべて含まれるとされる[62]

瑜伽行唯識派は、外界の対象の存在を否定し、人間が日常的に経験する事象はすべて心が作り出したイメージ(相)にすぎず、心そのものは存在せず、全てはイメージを作るものと作られるものの仕組みに還元されるという徹底した主観的観念論の哲学体系を作り、諸事象を現象せしめる原動力としてアーラヤ識(阿頼耶識、根本蔵識)を創案した[29][22][28]。瑜伽行者の止観行の深まりのプロセスとして、「資糧位」・「加行位」・「通達位」・「修習位」・「究竟位」の「五位」が説かれた[99]

瑜伽行唯識派は、中国の玄奘を通じ、日本の法相宗の伝統に連なる[29][22]

7世紀の法相宗の僧である円測(玄奘の門下)は『解深密経疏』で、一切乗(上座部仏教と大乗仏教)の境(対象)・行(方法)・果(結果)のすべてが広義の瑜伽に含まれ、狭義には止観であるとしている[62]

ジャイナ教

古典ヨーガ以前

ヨーガを本格的に扱うウパニシャッドは、仏教の影響を受けて成立しており、ブッダ以後に成立した「中期ウパニシャッド」では、ヨーガの技法と初期ウパニシャッド以来の形而上学が合わさり、ウパニシャッドで初めて禅定三昧などの行法が記載された[100][101]紀元前350年-紀元前300年頃に成立したのではないかとされる「中期ウパニシャッド」の『カタ・ウパニシャッド(カータカ・ウパニシャッド)』には、ヨーガの最古の説明が見い出すことができる[102]。ヨーガが初めて内面的修養法をはっきりと指すようになり、知覚器官、マナス、ブッディが徹底的に統御された状態がヨーガであり、それが最上最高の境地であり[20]、自己認識がヨーガの崇高なる目的であるとされている[86]。『その原因が、サーンキヤとヨーガによって到達されるべきものである神と知って、一切の束縛から解放される。』という記述があり、サーンキヤとヨーガが解脱へ導く方法の一つであると考えられていたと推察される[103]。その後、後期ウパニシャッドの 『Cvetacvatara-Upanisad』において、呼吸の統御について書かれ、コントロールが困難な馬を繋いだ車を御するようにマナスを抑制し、呼吸を統御し、整えながら、鼻から息を吐くという方法が示された[20]

『バガヴァッド・ギーター』はヨーガの聖典でもあるが、ヨーガ行者は一人で修業すべきであり、節度ある生活をし、ヨーガ修行が進んで心が統一されると、理想的な寂静に至ると説かれている[104]。仏教と同じく苦行は否定されており、ウパニシャッドよりもさらに中庸である[104]。『バガヴァッド・ギーター』では、カルマ・ヨーガ(行為の道)、ジュニヤーナ・ヨーガ(知の道)、バクティ・ヨーガ(信の道)が説かれ、これらは独立した道として説かれていると思われがちだが、3つのヨーガの総合が理想として提示されている[105]

しかし、ヨーガの目的が崇高なものであるとされるにもかかわらず、宗教学者のエリック・デントンによると、ほとんどの初期のサンスクリット文学では、ヨーガによって超自然力(シッディ英語版、超能力)を備えたヨーギーたちは、悪役として描かれている[86]。ヨーガを通して「アートマンとブラフマンが同一である」と悟る前に、かなりの超自然力が身につくと考えられており、ヨーギーが持つ力として、人間や動物の体や死体に入り込んでコントロールする力がよく知られていた[86]。他に、飛ぶ、心を読む、透明になる、過去の命を呼び覚ますといった能力を持つヨーギーが描かれているが、超自然的な力はほぼ悪用されて描かれていた[86]。17世紀までヨーギーは、おおむね黒魔術師や魔法使いとして描かれており、恐れられていたことが伺える[86]

古典ヨーガ

パタンジャリの典型的な像

ウパニシャッド聖典において(カルマ)と解脱の思想が確立してからは、それにさまざまに哲学的解釈が試みられ、紀元前後にはヴェーダの権威をある程度認めるブラフマンたちによって、古典ヨーガを体系化し実践したヨーガ学派、ヨーガ学派の兄弟学派といわれるサーンキヤ学派など、いくつかの学派(宗派)が成立した[106][106]。(これらは正統バラモン教とも呼ばれるが、ヴェーダ聖典の権威と明確に対立していない学派に対するおおざっぱなくくりであり、名目的な分類に過ぎない[106]。ヨーガ学派は、現代ではダルシャナ(インド哲学)のうちシャド・ダルシャナ(六派哲学)の1つに位置づけられている。六派哲学という言葉は古いが、もともと取り上げられる六派は一定しておらず、サーンキヤ学派、ヨーガ学派、ミーマーンサー学派、バイシェーシカ学派、ニヤーヤ学派、ヴェーダーンダ学派を六派哲学と呼ぶことは、おそらくフリードリヒ・マックス・ミュラー木村泰賢に始まると思われる[107]。)

記録に残るヨーガの最初の体系は、『マイトリー・ウパニシャッド』に記されている六支の体系であると考えられる[20]。六支はプラーナーヤーマ(調気法)、プラティヤーハーラ(制感)、ディヤーナ(静慮)、ダーラナー(凝念)、サマーディ(三昧)の5つがのちの『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』の八支と共通で、ヤマ(禁戒)、ニヤーマ(抑制)、アーサナ(座法)は存在せず、代わりにタルカ(思慮)が含まれる[108]。つまり、元々ヨーガ行者が生活において守るべき節制や瞑想を行う際の外的な条件はなく、後から付け加えられたということである[108]

紀元後4-5世紀頃には、『ヨーガ・スートラ(瑜伽経)』が編纂された[109][110]。同書はヨーガ学派の教典である。瞑想を主な命題とし、簡潔な短文で構成されており、4章から成る。この書の成立を紀元後3世紀以前に遡らせることは、文献学的な証拠から困難であるという[109]。『ヨーガ・スートラ』の編纂者はパタンジャリとされているが、彼のことはよくわかっていない。『ヨーガ・スートラ』は、ヨーガの萌芽がみられた紀元前6-7世紀から1000年以上後に成立しており、ヨーガ学派のヨーガには様々な瞑想体系が取り入りこまれている[20]。内容は様々な素材や群小教典をまとめたものと考えられ、主に心の形而上学的問題を扱う第4章は、仏教、特に大乗仏教瑜伽行唯識派(瑜伽行派、ヨーガチャーラ)への反論がなされているため、ほかの3章より後にできたという意見もある[111]

サーンキヤ学派の世界観。プルシャの観照を契機にプラクリティから現象世界(物質世界)が展開している。ヨーガ学派は、ヨーガによりプルシャとプラクリティの関係を断ち独存の状態に戻すことを目指す。

ヨーガ学派のヨーガの目的は、ヨーガにより輪廻から解脱することである。ヨーガ学派の世界観・形而上学は、大部分をサーンキヤ学派に依拠しており、プルシャ(純粋精神、神我)とプラクリティ(根本物質、自性)の二元論である。ヨーガ学派では最高神イーシュヴァラの存在を認める点が、サーンキヤ学派と異なっている[2]。『ヨーガ・スートラ』と同時期と思われる4-5世紀に編纂されたサーンキヤ学派の『サーンキヤ・カーリカー』が残されており、これが現存するサーンキヤ学派の最古の原典である[112]。ヨーガ学派には、仏教、ジャイナ教、サーンキヤ学派の影響がみられ、さらに最高神イーシュヴァラへの祈念であるイーシュヴァラ・プラニダーナ英語版に念神思想が認められ、非常に複雑な成り立ちであることが分かる[113][111]。『ヨーガ・スートラ』の思想は、仏教思想からも多大な影響や刺激を受けており[114][115]、仏教の理論はヨーガの体系の構築に用いられた[32]。石橋丈史はヨーガ学派と瑜伽行唯識派の文献を分析し、両者に親密な交流があった可能性を指摘している[116]

『ヨーガ・スートラ』は、現代のヨーガへの理解に多大な影響を与えており、国内外のヨーガ研究者や実践者のなかには、この『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」であるとするものがある。マーク・シングルトンは、『ヨーガ・スートラ』は当時数多くあった修行書のひとつに過ぎないのであって、かならずしもヨーガに関する「唯一」の「聖典」のような種類のものではないと指摘し、『ヨーガ・スートラ』をヨーガの「基本教典」とする理解に注意を促している[117]。佐保田鶴治は、サーンキヤ・ヨーガの思想を伝えるためのテキストや教典は、同じ時期に多くの支派の師家の手で作られており、そのなかでたまたま今日に伝えられているのが『ヨーガ・スートラ』であると述べている[118]雲井昭善は、ヨーガ学派の設立には、ヴィヤーサ(Vyasa、5 - 6世紀)の註釈書『ヨーガ・バーシャ』(バーシヤ、Yoga-bhashya)の影響も大きく、同書は『ヨーガ・シャーストラ』と呼ばれ『ヨーガ・スートラ』と同じくらい重んじられたと述べている[119]。『ヨーガ・バーシャ』や、これに対するヴァーチャスパティ・ミシュラ英語版(10世紀頃)の復注である『タットヴァ・ヴァイシャーラディー』には、仏教、ジャイナ教と共にサーンキヤ学派の影響が濃くみられる[120]。ヨーガ学派は、『ヨーガ・スートラ』とこれらを含めた数多の注釈類を含めて言うのが一般的である[120]

『ヨーガ・スートラ』では、ヨーガを次のように定義している。

ヨーガとは心の作用を止滅することである (『ヨーガ・スートラ』1-2)
その時、純粋観照者たる真我は、自己本来の姿にとどまることになる (『ヨーガ・スートラ』1-3)[121]

心の作用を止滅することは、古典ヨーガのオリジナルの教えではなく、インドにおいては早くからウパニシャッドに見られ、仏教やサーンキヤ学派(数論派)など、伝統ある多くの教えで重要な課題として取り組まれてきた[122]。心の働きを止滅させると、感覚器官(五官)によって認識される外界の対象、物理的現実、身体が消え去り、次いで苦楽や欲望などの内的な対象も感じなくなり、内官(「私」という意識の拠り所としての自我意識)も、内官の活動によって生じた「私」という意識も消え去り、主客未分の境地に至る[123]。心の作用を止滅し、根本物質(プラクリティ)から生じた心作用がプルシャ(純粋精神)であるとする誤認を正し、心作用と同化しているプルシャ(純粋精神)を清めて本来の在り方に立ち返らせ、プルシャがプラクリティと無関係になり独存することで、輪廻からの解脱に至ると考えられた[124]。ヨーガ学派は、絶えず揺れ動く心の作用について探求し、記憶や意識下の潜在印象が煩悩を形成する原因になると考えて、潜在印象についても深く考察した[125]。上記の引用でいう心の作用は、日常経験の心の作用とそれを形成する潜在印象(サンスカーラ)、(カルマ)の潜在余力(カルマサーヤ)、および残存印象(ヴァサーナ、薫習)も含めた、いわゆる現代の用語でいう広義の深層心理での心の作用を意味する[113]

ヨーガ学派のヨーガは、主に観想法(瞑想)によるヨーガ、静的なヨーガであり、それゆえ後世では「ラージャ・ヨーガ」(=王・ヨーガ)と呼ばれるようになった。

『ヨーガ・スートラ』は、次の3系統の瞑想説が複合的に統合されていると考えられる[20]。後ろ2つは、三昧の状態に関する系統の異なる2つの教説であり、仏教の瞑想説との関わりが深い[20][126]

  • 八支(アシタ・アンガーニ。アシュターンガ・ヨーガ、八階梯のヨーガ):心作用の止滅と規定されたヨーガであり、八つの段階的な実践と瞑想への展開を想定し、マニュアル的な構成になっている[20]。八支ヨーガは、ヤマ(禁戒)、ニヤーマ(抑制、勧戒)、アーサナ(座法)、プラーナーヤーマ(調気法、呼吸法を伴ったプラーナ調御)、プラティヤーハーラ(制感、感覚制御)、ダーラナー(凝念、精神集中)、ディヤーナ(静慮、瞑想)、サマーディ(三昧)の8つの段階で構成される[121][127]。仏教の八正道を基礎にまとめられていると考えられ、少なくとも八正道と八支には強い類似性がみられる[128]。『ヨーガ・スートラ』には仏教と重複する用語が頻出し[113]、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディなどの言葉は仏教では同義語としてあまり区別されずに使われていたが、『ヨーガ・スートラ』では明確に区別されている[20]。この3つは同一の対象に行われるのでサンヤーマ(綜制)と総称される[20]。サンヤーマは純粋に心的な行法であり、心の作用の止滅に直接に働く。三昧が最も心の作用の止滅に関して重視され、ディヤーナと同じ対象だけが顕れていて、本性が無くなったかのような状態であるとされる[20]。注釈者のヴィヤーサは、「ヨーガは三昧である」と述べている[124]。『マイトリー・ウパニシャッド』の六支ヨガ、正統思想の伝統的な瞑想を引き継いでおり、瞑想が体系的に発展する前の原初的な姿を残していると考えられる[20]
  • サンプラジュニャータ・サマーディ(有想三昧)・アサンプラジュニャータ・サマーディ(無想三昧):三昧に関する教説で、心の諸作用を「止滅させる想念」を修習する、またはイーシュヴァラ・プラニダーナ(自在神祈念、念神)によって、自意識などの想念がまだ残っている有想三昧から、想念はなくなったが未だ潜在印象の残る無想三昧へと進む[20][126]。『ヨーガ・スートラ』では無想三昧が最も存在感を持って語られており、中心的位置づけとなっていると思われる[20]
  • サビージャ・サマーディ(有種子三昧)・ニルビージャ・サマーディ(無種子三昧):三昧に関する教説で、心の境位(心の状態)が詳細に説明されている。煩悩を作る原因がまだ残っている有種子三昧(さらに4段階に分かれる)から、対象がすべてが消え去った無種子三昧へと進む[20][126]。有種子三昧の段階を上り詰めると三昧知(直感知)が生じ、これからも潜在印象が生じるが、すでに煩悩が消滅しているため、心の作用が生じることはなく、これが無種子三昧であり真の解脱であるとされる[126]

八支ヨーガにおける三昧は「対象だけが顕れていて本性が無くなったかのよう」と説明されているが、これは有種子三昧のなかの無尋定(ニルヴィタルカ・サマーパティ)とまったく同じ表現である[20]。八支ヨーガの三昧は、無種子三昧の外的部門とされている[20]

瞑想への直接的な手段作法、三昧(無想三昧)に至る手段として、イーシュヴァラ・プラニダーナ英語版(自在神祈念、念神)スヴァディアーヤ英語版(読誦)が説明されている。イーシュヴァラ・プラニダーナ(自在神祈念、念神)とは、最高神イーシュヴァラへの祈念であり、クリヤー・ヨーガ(実践ヨーガ、行事ヨーガ)、ニヤーマ(抑制、勧戒)のひとつの方法である[113]。自在神祈念と読誦に苦行(タパス)を加えたものが、ラージャ・ヨーガに対してクリヤー・ヨーガ(実践ヨーガ、行事ヨーガ)と呼ばれる[113]。イーシュヴァラ・プラニダーナは三昧(無想三昧)に到達する方法の一つであり、最も手近な方法であるとされる[113][129]。イーシュヴァラは、ヨーガ行者にとって理想像であり、古の師たちの師、行者にとっての師であり、行者が合一を目指したり一切の行為をゆだねる対象ではない[113][129]。イーシュヴァラは業(カルマ)や果報の影響を受けない特殊なプルシャであり、聖音「オーム」に象徴されるもので、心を集中させるために念ずる一実在、対象であると考えられる[113][129]。よって、イーシュヴァラ・プラニダーナはダーラナー(凝念)と同列に考えることができる[129]

スヴァディアーヤ(読誦)とは聖句を声に出して低く唱えることであり、解脱へ導く聖典を学習することである[113]。『ヨーガ・スートラ』の注釈書『ヨーガ・バーシャ』では、聖句を唱え、その対象、意味を念想することで、1つの対象に心を深く統一する心一境性が可能になるとされる[113]。自在神祈念によって無想三昧に到達し、読誦によって心一境性が実現すると考えられた[113]

アーサナ(座法)プラーナーヤーマ(調気法)は、瞑想への架け橋であると明言されていないが、文脈からそうであろうと考えられる[113]

『ヨーガ・スートラ』には、後のハタ・ヨーガのような一元論的な、個我と真我(アートマン)が合一し全ての観念が消え去った状態という明確で普遍性を持った解脱の感覚は見られない[130]。一章を丸々使ってヨーギーに備わる超自然力(シッディ)の説明がされているが、ヨーガの目的はあくまで「心の作用を止滅すること」とされており、超自然力の習得が最重視されているわけではない[86]

イーシュヴァラ・プラニダーナは、熱狂的な神への帰依である後世のバクティとは別系統の思想であると考えられるが、のちに注釈家たちによってバクティやサンニヤーサ英語版(行為の厭離・放擲(ほうてき))、行為の結果への無関心と関連づけて解説された[113]。10世紀には古典インド哲学体系が完成したが、それを作り上げた哲人の一人ヴァーチャスパティ・ミシュラ英語版(9-10世紀)による『ヨーガ・スートラ』の註解には、ハタ・ヨーガの述語が使われており、ハタ・ヨーガ的解釈が施されている。ヴァーチャスパティ・ミシュラは、『ヨーガ・スートラ』で説明される3種類のプラーナーヤーマは、ハタ・ヨーガのレーチャカ、プーラカ、クンバカに当たるとしている[131]。ただし、こうした注釈家たちの後世の思想に引き寄せた『ヨーガ・スートラ』の解釈は正確な理解とはいいがたく、問題があると指摘されている[113][129]

古典ヨーガの世界観のベースである二元論のサーンキヤ学派の思想は、インドの宗教哲学の初期には根本的な影響を与え、隆盛したが、6世紀を過ぎると徐々にその思想を拒否する者もあらわれ、10世紀を過ぎると衰退した[103]。後世にヨーガ学派やサーンキヤ学派を名乗った修行者たちの多くは、シヴァ神ヴィシュヌ神を信仰していたことが知られている[132]。サーンキヤ学派の思想は、種々の思想と折衷され、有神論的一元論に傾斜して一元論のヴェーダーンタ学派の教義に融合されていき、統合的で包括的なヒンドゥー教の「超越的体系」が完成されていった[103]ヴィシュヌ派シャクティ思想の文献には、サーンキヤ学派の二元論とヴェーダーンタ学派の一元論が共に取り入れられ、シャクティを讃える言葉として用いられた[103]

『ヨーガ・スートラ』は15世紀にはほとんど忘れ去られていたが、イギリス人インド学者のヘンリー・トーマス・コールブルック(1765年 - 1837年)の著作によってふたたび知られるようになった[48]

『ヨーガ・スートラ』は、ヨーロッパ人研究者の知見に影響を受けながら、20世紀になって英語圏のヨーガ実践者たちによって、また、ヴィヴェーカーナンダH・P・ブラヴァツキーなどの近代ヨーガの推進者たちによって、「基本教典」としての権威を与えられていった[117]

中世

チャクラ、ナーディが描かれた瞑想するタントラ行者の図

バラモン教で説かれた解脱には、膨大なヴェーダ聖典の学習が必要であり、学習は上部3カーストの男子にしか許されていなかった。ヴェーダの祭式は王侯や司祭階級バラモンたちが独占し、ウパニシャッドに説かれる自己と宇宙に関する深遠な哲学は、知的エリートだけのものであり、民衆と女性は救いへの道から締め出されていた[133]。農業生産拡大政策で農民であるシュードラ(隷属民)の人口が増大し、彼らの重要性が増したが、領主へと成長を遂げていたバラモンや仏教の比丘僧院は、シュードラの成長を抑圧し、彼らからの租税徴収のために、自分たちに比べシュードラがいかに宗教的資質に劣っているかを説き、彼らを救済の儀礼の枠から遠ざけることによって自らを正統化しようとした[36]。こうした聖職者たちに反発し、彼らの行いを批判し、農民を中心とするシュードラなどの下層民に救済の道を開こうとする宗教運動として、神に絶対的な敬愛を捧げひたすらに称えることで恩寵により解脱に至るとするバクティ運動(人格神への献身の道であるバクティ・ヨーガ英語版(バクティ・マールガ、信愛の道))や、現世を肯定し欲望を解脱のエネルギーに変換しようという民衆のタントラが盛り上がっていったのである[36]

仏教で瞑想修業は出家者のみに求められることだったが、大乗仏教が発展すると、世俗で生きながら仏教の修行を行う「居士(こじ)」が現れ、その生き方が称賛を得るようになっていった[134]。バクティ運動の指導者である新鋭のバラモンや民衆密教の指導者である脱俗の修行者は、シュードラなどの下層民もバラモンあるいは比丘と同等の宗教的境地へ到達することができると考え、シュードラ出身の成就者(シッダ)も多く記録されている[36]。『バガヴァッド・ギーター』においてバクティは解脱に至る三つの道のうちの一つにすぎなかったが、南インドに伝わって土着の「地上の神」観念と結びついて、神々に熱烈な参加をささげる宗教詩人たちが生まれ、彼らの中には下層出身者や女性も含まれていた[135]。バクティ思想は現象世界を神の力の顕れたものと見るタントラ思想と結びつき、10世紀頃には人格神との情熱的な愛情関係こそが最高の境地であるという『バーガヴァタ・プラーナ英語版』が生まれた[135]。絶対者への個人の存在の解消という従来の解脱観は意義を失い、バクティ思想は民衆的な宗教思想として完成し、ナータ派が浸透していた北インド各地を席巻した[135]。バクティ運動は盛り上がり、バクティがヒンドゥー教の主流となった[133]。バクティにはヴィシュヌ派の信徒が多い[133]

日本の密教の曼荼羅(マンダラ)。密教の曼荼羅などは、ヨーガの実修によって体感された瞑想世界を表現したもの[136]

インドではグプタ朝(320年から550年頃)以後ヒンドゥー教が興隆し、仏教の勢力は下降していたが、ヒンドゥー教と重複する様々な民衆宗教の要素を取り入れる仏教再興への挑戦が起こり、ヒンドゥーの思想やタントラ、土着の信仰を取り込んだ密教が大乗仏教から生じた[137]。密教は瑜伽教、密教の真言宗は瑜伽宗または瑜伽密宗、または相応宗とも呼ばれる[32]。密教では、修行者自らが象徴的に仏そのものになり、仏と合一することがヨーガ(瑜伽)であるとされ、中期インド密教では、真言(マントラ)、印契(ムドラー)やマンダラを用いる三密行を通して仏となることができるとする瑜伽の思想と実践がみられた[62]。大乗仏教、特に密教では、儀礼の執行、呪術的な密教儀式が非常に隆盛したが、ヨーガの修行で超自然力(シッディ、神通力、呪術的能力)を得た人間が行うことで呪術的儀礼が効果を持つと考えられ、修行による超自然力の獲得が重視され[138]、ハタ・ヨーガのチャクラの理論を含む擬似生理学的な行法や性的行法が密教に取り入れられた。密教(仏教タントラ)がヒンドゥー教のタントラの様々な教派より先行して発展おり、密教の神々がのちにヒンドゥーの神々に同化されたと考える学者が多い[42]

8世紀になると、ヒンドゥー教シャークタ派のタントラやシャクティ(性力)信仰から影響を受けたとされる、男性原理(精神・理性・方便)と女性原理(肉体・感情・般若)との合一を目指す密教が登場した。これを後期密教といい、後期密教は無上瑜伽密教、タントラ仏教と呼ばれる。なお、後期密教は儒教の強い中国では左道密教と批判され受け入れられなかったため、日本には伝わっていない[139]

ヤブユム(男女合体尊)、18世紀チベット
チベット密教シチュー派の開祖でチュー英語版の行法を創始したマチク・ラプドゥンマ英語版 (1055 - 1143)。仏教の宗派の開祖になった唯一の女性。タムパ・サンゲ英語版(? - 1117)のパートナーとして性ヨーガを実践し彼女自身も悟りを得た、または無名の男性行者との性ヨーガを通し圧倒的な霊的力を開花させたとも伝承される。[69]

世俗のあらゆる存在は、無分別を性質とし絶対的な「清浄」さを持つ「真実在」、「空なる心性(心の本来的なあり方)」(空性)を内に持っている、つまり世俗内の存在は全て清浄であり、生まれながらにして真理を内に持っていると考えられるようになり、この「心性」の性質を知り、その中へ「帰入」することが悟り・成就であるとされた。インドには、性の恍惚境の感受であるカーマは万人が経験でき万人の内にあるという意味で遍在しているという「遍在するカーマ」の観念」があり、真実在は伝統的に性の恍惚の境地と結びついており[36]、後期密教の諸タントラにおいて、多くの場合「真実在」への到達、悟り・成就は、性的合一をモデルとした性ヨーガによって達成されると考えられた。

後期密教は、解脱のためにあらゆる手段が肯定される解脱至上主義であり、酒と肉食(悪食)、糞や尿といった不浄物の摂取、貪欲行(性ヨーガ)などの儀礼を行う秘密集会が仏教の正統な修法・行法として定期的に行われた。性ヨーガは、男女の集団で、または師と弟子とマハームドラー(カルマ・ムドラー英語版、明妃、ヨーギニー、瑜伽女。性ヨーガの相手として選別された被差別階級(不可触民、アウトカースト)の女性)、修行者とマハームドラーによって行われた。8世紀の『秘密集会タントラ』の冒頭では、「ブッダは、一切如来たちの身語意の源泉たる諸々の金剛女陰に住したもうた(ブッダは女性たちと性的ヨーガを行じておられた)」と説かれ、1000年頃のインドではこの経典を典拠とする聖者流の修行法が流行した[69]。男性修行者たちが女性との性ヨーガを必要としたのは、女性の生命力で自身の生命力を活性化し過酷な修行を乗り切るため、また、究極の把握対象であり、死ぬときに現れ、その把握にはたとえようもない快楽が伴う「歓喜」であるとされた「空性」を、男女の性行為が孕むであろう「死の先取り」を通して体得するためであると考えられる[69]。性ヨーガなどを行う秘密集会に専心することで、死後ではなく生きている間に悟ることができる(即身成仏)と説かれ、象徴を用いた儀礼が悟りに有用であるとされ、象徴するものと象徴されるものとは同一であり、自己の構造を象徴操作を通じて絶対者と相似な状態に再構築することで自己が絶対者と合一(ヨーガ)することができると考えられた[137]

男性と女性の性的ヨーガの状態が、そのまま悟り(菩提)を象徴されるようになり、チベット密教では悟りそのものを男女の性行為の形態で象徴的に表現する像や図が作成された[137]。8世紀以降の仏教では、男性の精液は「菩提心」(悟りを求めようとする根源的な心)の象徴であると考えられたため、射精は菩提心の放出であるとみなされ、密教の修行者は、師の僧が性ヨーガの女性パートナーと性交し、精液と女性の愛液の混ざったものを菩提心として弟子の口の中に入れる灌頂儀礼の他は、射精することは強く禁止されていた[69]

1000年頃のインドでは、修行者たちは『秘密集会タントラ』等に書かれた通りの行を実践していたようである[69]。おそらく仏教では女性が悟りを得ることは元々考えになかったが、性ヨーガを実践する場合は女性パートナーの力が大きく関与したため、後期密教は他の仏教と女性に対する見解が異ったと思われ、性ヨーガでの女性の優れた指導者や女性の成就者(悟った人)の記録が残されている[69]。密教の修行者には、家庭と世俗の職業を捨てた脱俗の行者(遊行者)、家庭や職業を持つ在俗の行者、頭を剃って出家し仏教僧院の中で瞑想に専念する比丘(僧)がいた。出家者が行う性ヨーガは性的な観念を用いたもので実際の性行為は伴わないと考えられるが、こうした性行為の形態の仏像の姿を再現し性行為を伴う性ヨーガを行うこともあったといわれる[140]。性的実践は主に在家の密教行者によって行われていたと考えられているが、出家者が女性在家信者に性ヨーガの相手を強要することもあったといわれる[140]

後期密教の、どのような身分の人であれ「真実在」と神秘的合一を達成するならば、出家せずとも、在俗のままでも等しく解脱できるという考えは、バクティと同じく下層民に救済の道を開こうとする宗教運動の一部をなしている。

ハタ・ヨーガの祖ゴーラクシャナータ(およそ11-12世紀)
マユラサーラ(孔雀のポーズ)。ナータ派のヨーガ行者の壁画(19世紀初頭)
チベット仏教寺院におけるバクティの様子

『バガヴァッドギーター』にも『ヨーガスートラ』にもアーサナの記述はあるものの、10世紀に入ってからアーサナの詳しい説明のある文献が現れた[86]。ハタ・ヨーガは、ちょうど後期密教と同時期に現れた。ヒンドゥー教でもタントラが隆盛し、12世紀-13世紀には、タントラ的な身体観を基礎として、動的なヨーガが出現した。これはハタ・ヨーガ(力〔ちから〕ヨーガ)と呼ばれている。内容としては印相(ムドラー)や調気法(プラーナーヤーマ)などを重視し、超自然力(超能力)や三昧を追求する傾向もある。

教典としてはスヴァートマーラー『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』(16 - 17 世紀)、『ゲーランダ・サンヒター英語版』(16 - 17 世紀)、『シヴァ・サンヒター英語版』がある。「心のはたら きの止滅」の土台作りのための身体技法(アーサナ、呼吸法、浄化法、食事法など)がまとめられた『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』に記載された具体的なアーサナは、座法も含めて15種類、『ゲーランダ・サンヒター』でも32種類に過ぎず、これらの教典で示されるアーサナは、あくまでも三昧に至る道程の一部に過ぎない[49]。どちらの経典にも、現代ヨーガでよく実践されるアーサナ(頭立ちのポーズ、肩立ちのポーズ、バックベント等)の記述は全く存在せず、ハタ・ヨーガは動的といっても、一種の瞑想法であり、今日のような様々なポーズによる体操的な身体技法が中心であったわけではない[49]

仏教徒であったといわれるマッツェーンドラナート英語版の弟子で、ヒンドゥー教シヴァ派の一派ナータ派英語版の開祖であるゴーラクシャナータ英語版(ゴーラクナート)が、ヨーガの実修法を整備してハタ・ヨーガの体系を確立した[141]。ゴーラクシャナータの史料はほとんどなく、実像はほぼ不明だが、仏教側の伝承等からおよそ11-12世紀の人物と考えられ、8世紀のシャンカラの後に中世において最大の影響力を持った聖者である[142]。ゴーラクシャナータは師の認識論、宇宙生成論をほぼそのまま受け継ぎ、純粋精神である「最高のシヴァ神」に創造の意欲という「シャクティ」が生じ、その結果としてこの二大原理から因中有果論に従って残りの原理が展開し、「束縛されたシヴァ」が個我(ジーヴァ)として顕現するとした[142]。人間は個我を形成するレベルの低次のシャクティによって体を維持しており、会陰部に「クンダリニー」(とぐろを巻いた蛇)として眠るこのシャクティをハタ・ヨーガによって目覚めさせ、頭頂にあるとされる「至高のシヴァ神」の元に上らせ、この二元を合一させ至高の歓喜を得ることを説いた[141]。マッツェーンドラナートはヨーガの実修に女性を伴い禁忌とされた五種の物質を使用する左道派となったが、ゴーラクシャナータが師をそこから救い出したと伝えられ、左道化していたヨーガ行を純化し立ち直らせた業績を讃える伝承であると思われる[141]。ナータ派は仏教とシヴァ派が混然となったような形態で、正統派のヒンドゥー教の儀礼や巡礼を形式主義と批判したこともあり、社会における階層は低い[39]。バクティの在家の宗教詩人たちは、ナータ派の思想の流れを汲んでいる[39]

ハタ・ヨーガの考え方の基礎には、性的エネルギーの変換と昇華によって悟りに至るという考え方がみられ、人間の体にあるチャクラという見えない輪に意識を集中して瞑想し、低級な性的エネルギーである「オジャズ」(生理学的に解釈するなら「精液」)を宇宙的な創造の力である「シャクティ(性力)」に変換することを原則とする[143]。人体を宇宙と同一視し、ヨーガによって人体に眠るクンダリニーの蛇(シャクティ)を目覚めさせ、シャクティとシヴァを合一させることで梵我一如を実体験し、解脱することを目指し、これはタントラ・ヨーガと呼ばれる[144]

ハタ・ヨーガでは、人間の強い性的な欲望は、神々の境地に昇華されるためのエネルギーと位置付けられ、肯定されている[145]。シャクティとシヴァの合体はしばしばセックスにたとえられ、またはセックスそのものであるとされ、タントラ・ヨーガはセックス・ヨーガとも呼ばれる[144]。タントラを構成する4つの主要な要素として、礼拝の次第に関する「チャリヤー」、神像や寺院の作成に関する「クリヤー」、セックス・ヨーガの実践に必要な心身を準備するための「ヨーガ」、セックス・ヨーガやヤントラ英語版マントラ(真言)などを用いて宇宙精神そのものを直接認識し、自身を神そのものと同一化して神を供養する「ジュニャーナ」がある[144]。経典には実際の性行為を含む儀礼が記載されている[145]。ただし、そうした性儀式が文字通りに実践されていたかは不明であり、否定的な見方もある[145]

他に中世ヒンドゥー教のヨーガの流派としては、古典ヨーガの流れを汲むラージャ・ヨーガ、社会生活を通じて解脱を目指すカルマ・ヨーガ英語版(カルマ・マールガ、行為の道)、哲学的な思索の道であるジュニャーナ・ヨーガ英語版(ジュニャーナ・マールガ、知識の道)があるとされる[146](カルマ・マールガ、バクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガは19世紀末にヴィヴェーカーナンダによって、『バガヴァッド・ギーター』の三つのヨーガとして提示された[147])。

8世紀にはイスラームのインドへの波及が始まり、11世紀のガズナ朝から本格化、16世紀のムガール帝国がほぼ北インドを征服した[148]。仏教は僧院中心主義であり、世俗的な儀礼にも否定的であったことから、ヒンドゥー教隆盛の一方世俗の世界での魅力を失い、仏教再興の試みもあったが、イスラームのインド侵攻で僧院が破壊されると、インドでは急速に衰退した[24]。北インドでは10世紀からイスラーム政権による実質支配が続き、イスラーム神秘主義のスーフィーの活動がバクティ運動と結びついてインドで受け入れられた[148]。また、イスラームの「アッラーの前にすべての人間は平等である」という教えは、インドの民衆にとって、カーストやヒンドゥー教と結びついたさまざまな習慣による抑圧から解放してくれるという面もあり、インドにおけるイスラームを一概に否定的のとらえることはできない[148]。イスラーム商人との交易で都市が広がり、ムガール帝国ではインド=イスラーム文化が栄えた[148]。ムガール帝国は19世紀まで存続した。

近現代

18世紀後半の時点で、インドにおけるサンスクリット語や聖典、古典の研究は事実上途絶えており、サンスクリット語を理解できる人はほとんどいなくなっていた[149]。19世紀半ばには、インドの伝統的なヨーガの実践と、『ヨーガ・スートラ』の体系のつながりはすでになくなっており、古典ヨーガの体系について教えることのできるインド人の学者はいなかったという[150]。インドはイギリスの植民地として支配下に置かれ、インド人知識人たちはそこから抜け出そうともがき、西欧人に蔑視されるインドにも誇れる文化があることを示そうと、西洋の知的伝統によってインド哲学のヨーガ学派、古典ヨーガの有効性を示そうと試み、『ヨーガ・スートラ』はインドの文化的ナショナリズムと関わる形で注目され、復権し、重視されるようになった[150]

インドには、ヨーガで心身を鍛えた戦闘的サンニヤーシン(托鉢修行僧、遊行者)の長い伝統があり、ハタ・ヨーガと武術訓練とは結びついていた[151]。15世紀頃にナータ派から武装した宗教集団が登場した[152]。彼らはカーストにも社会秩序にも縛られず野放図な振る舞いをし、異様とも見える苦行で心身を鍛え、裸体で武器をもって略奪を行った[152]。交易ルートを支配して、18世紀にはムガール帝国からインドの支配権を奪いつつあったイギリス東インド会社を脅かすほどの勢力となっていた[152]。伊藤武は、マーク・シングルトンは彼らを武装したヨーギーの集団としているが、ナータ派に帰依した土豪の兵というのが正しいと思われ、イギリスの侵略に対する抵抗運動であると述べている[153]。ナータ派武装集団による略奪行為、抵抗運動は失敗に終わった[153]

棘の上に座り苦行を見せるヨーギー

ヨーギーは支配層からは忌み嫌われ恐れられ、1773年にはベンガルで最初にヨーギーの放浪が規制されて、警察の監視下で非武装化と定住化が促進されるようになり、ヨーガはサーカスのような見世物として生き延び、怪力や綱渡り、心臓停止などがヨーガとして行われていた[152]。インドを訪れたヨーロッパ人たちには、貧しく奇妙ないでたちのヨーギー達は、物乞いや貧民と区別できず、ヨーギーはしばしば黒魔術、性的放蕩、不潔さ、飢餓などのイメージがもたれ、これはヨーロッパ人が暗黒時代と呼ぶ中世ヨーロッパのイメージとも重なるものがあったようである[49]。イギリス人や西洋的教育を受けたインド人の知識人から見れば、ヨーギーは「曲芸を見せてお金を取り、淫らな悪巧みをする社会的パラサイト」であった[152]。これらの行者のなかには、かなり暴力的な方法で物乞いをする者達もおり、一般の人々から恐れられていたという[154]。正統派ヒンドゥー教徒、西洋人やインド人の知識人たちからは、社会の寄生虫として蔑視され、インド文化の陰の部分として忌まれていた[154][152]

ヴィヴェーカーナンダ
オーロビンド・ゴーシュ

マーク・シングルトンによれば、こうした経緯により近代インドでは、ハタ・ヨーガは望ましくない、危険なものとして避けられる傾向にあった[155]。ヨーロッパの人々は、現在ではラージャ・ヨーガと呼ばれる古典ヨーガやヴェーダーンタなどの思想には東洋の深遠な知の体系として高い評価を与えたが、行法としてのヨーガとヨーガ行者には不審の眼を向けた。それは、17世紀以降インドを訪れた欧州の人々が遭遇した現実のハタ・ヨーガの行者等が、不潔と奇妙なふるまい、悪しき行為、時には暴力的な行為におよんだことなどが要因であるという[154]。インド研究の第一人者マックス・ミュラーは、ハタ・ヨーガのポーズを自らへの「拷問」と呼んで糾弾し、文献のなかのサーンキヤ学派やヴェーダーンータ学派の深遠な哲学から卑俗な実践へと退化しており、「ハタ・ヨーガ」の「いかさま行者」達こそ、本来のヨーガ思想を堕落させたと批判した[49]

インド人は、こうしたヨーガの負のイメージを払拭しようと様々に努力した[49]ヴィヴェーカーナンダオーロビンド・ゴーシュラマナ・マハルシら近代の聖者とされる指導者たちは、ラージャ・ヨーガやバクティ・ヨーガ、ジュニャーナ・ヨーガなどのみを語っていて、高度に精神的な働きや鍛錬のことだけを対象としており、ハタ・ヨーガは危険か浅薄なものとして扱われた[155][† 7]。このように、19世紀末から20 世紀初頭において、身体技法としてのヨーガの実践は、西洋人にとっては深遠な教えの堕落であり、先進的なインド人にとっては取り除きたい過去の遺物という扱いだった[49]

『現代ヨーガの歴史(A History of Modern Yoga)』の著者で宗教学者のエリザベス・ド・ミシェリス(Elizabeth de Michelis)は、主にインドの宗教に関心のある西洋人と西洋の影響を受けたインド人との相互作用によって過去150年間に形成されたヨーガの潮流を「現代ヨーガ」(modern yoga)と呼び、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー(おそらく超絶主義者ラルフ・ワルド・エマーソンの図書室でヨーガを知ったと思われる)が「私もヨーギーである」と友人への手紙に書いた1849年と、ヴィヴェーカーナンダが『ラージャ・ヨーガ』を出版した1896年を、「現代的ヨーガ」の重要の節目であるとみなしている[158][159][160]

西洋で講演し人気を博したヴィヴェーカーナンダは、シャンカラ的な幻想主義的一元論のアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想(不二一元論)に基づく普遍主義的な教えを説き、「インド人には鉄の筋肉と鉄の心が欠けている」として身体鍛錬文化を支持し、西洋を外遊しインドに帰国した後「筋肉的ヒンドゥー教」ともいえる立場を取り、影響を与えた[161][162]

また、インド独立運動の志士であったオーロビンド・ゴーシュ(1872 - 1950)は、シャンカラ的なアドヴァイタ・ヴェーダーンタ思想に基づいて、絶対者ブラフマンを有・知・歓喜が統合されたものであると考え、インテグラル(綜合)・ヨーガを創始した[162]。彼はインドの精神的伝統の正統な後継者を自任したが、インド嫌いの父によって完全に英語でイギリス風の教育を受け、大学生になるまでインド的なものに触れる機会がなく、彼のヨーガは西洋の進歩的歴史観、当時西洋で流行していた俗説的進化論をベースにしている[163][164]。人類はブラフマンをヨーガによって体験することで、自己が変容してさらなる進化を遂げ超人になることができ、病気や苦痛、死から解放され、あの世や天国ではなくこの世で天国的な永遠の生を得ることができると説いた[164][162]。このような超人が世に増えることで、世界が救済されるという[162]。オーロビンドは国際的に有名となり、アジア東洋学院の教授ハリダース・チョードリ英語版によってアメリカでわかりやすく紹介された[165]

左からスワミ・サッチダーナンダ英語版B.K.S.アイアンガーアムリット・デサイ英語版、クマラ・スワミ、ディレンドラ・ブラフマチャリ英語版、B・I・アートレーヤ博士。科学的ヨーガに関する世界会議(the World Conference on Scientific Yoga)、1970年、ニューデリー
多くのヨーガの流派で行われている弓のポーズ。1934年のシヴァーナンダ英語版の本により広く普及した[166]

19世紀後半から20世紀前半に、西洋で身体鍛錬英語版運動が発達し、20世紀初めまでに植民地下のインドにスウェーデン体操などの西洋式体操が導入された[49]。アーサナを健康体操としてとらえようとする動きが生じ、アーサナがスウェーデン体操などと比較して解説され、またヨーガをボディビルとして、ボディビルをヨーガとして捉えようとする者もあらわれた[49]。身体鍛錬運動に由来するさまざまなポーズ(アーサナ)がインド独自のものとして「ハタ・ヨーガ」の名によって体系化されたが、この時点では、西洋的な体操的技法をインド古来の文化のなかから見出して編纂した「インド流スウェーデン体操」のようなものだった[49]。このヨーガ体操が近現代のヨーガのベースとなっており、現在世界中に普及しているヨーガは、この新しい「現代のハタ・ヨーガ」がベースとなっている。現代ヨーガの立役者のひとりであるティルマライ・クリシュナマチャーリヤ英語版(1888年 - 1989年)は、アーサナを西洋式体操に取り入れたハリー・クロウ・バック英語版らのYMCAの体育教育の影響も受け、西洋式体操を取り入れてハタ・ヨーガの技法としてアレンジした[49][43][† 8]

インド伝統のエクササイズ(健康体操)と喧伝されることで、アーサナが中心となったハタ・ヨーガの名前が近現代に復権することになった[167]。医療人類学者のジョセフ・アルター英語版は、体を動かす運動としてのヨーガの発展に、ヒンドゥー至上主義民族義勇団の影響があると指摘している。

バンキム・チャンドラ・チャートパーディヤーエ英語版の愛国小説『アノンドの僧院英語版』(1884年)やV・D・サヴァルカール英語版のノンフィクション『1857年インド独立戦争(セポイの乱)』(1908年)などの作品もあり、外国の勢力と戦うヨーギーのイメージは高まった[161]。身体文化の活動家でヨーガで鍛え怪力を得たというK・ラマムルティ英語版や世界チャンピオンになったインド人レスラーは、自由への闘争の英雄的シンボルになった[161]。ヨーガ、身体文化の実践者たちは、西洋の身体文化とインドの伝統的な鍛練法であるヨーガを融合し、それを身体文化と見ることもあれば、ヨーガと捉えることもあり、全てインド由来と主張しインドの身体文化の方法の優越性を説くこともあった[161]。ヨーガの指導、練習は戦闘訓練の隠れ蓑としても行われた[161]

アーユルヴェーダ・ヨーガ・伝統医学を担当する「AYUSH省」[† 9]のロゴ

2016年、ユネスコが推進する無形文化遺産にインド申請枠で登録された[168]。それに先立つ2014年、モディ政権は政府に「ヨーガ・アーユルヴェーダ・伝統医学担当省」(AYUSH省)[† 9]を設立するとともに、国連加盟各国に働きかけて夏至の6月21日を「国際ヨガの日」として国連総会で定めることに成功した[169]。インドの身体文化の世界的盛況は、年間約450万人の外国人観光客が訪れるインド国内の観光産業にも波及しており、インド政府は観光資源の最大の目玉と位置づけ、「国家プロジェクト」として、旅行者の誘致をしている[170][55]。インド政府観光局のキャンペーン・ポスターには、ヨーガのポーズをした女性の写真が使われることが多くなっている[55]

グローバルに展開する現代のヨーガの流行は、ヨーガの発祥地であるインドにも影響を与えている[55]。インドにおいてヨーガは伝統的に、宗教の修行者やヒンドゥー教の僧侶、上位カーストのバラモン階級などにほぼ限定された宗教文化であり、インドでは修行者のような一部の人々に実践され、一般の人々からは近寄りがたく思われ敬遠されていた[55]。近年、欧米の流行からの逆輸入としてヨーガが再評価され、肥満問題の深刻化する都市部の新興富裕層や中産階級を中心に、ヨーガのリバイバルが起きている[55][170]。ヨーガ指導者のラムデヴ英語版(1965年 - )は、ヨーガの難解な理論をあえて避けてわかりやすく教えを説き、簡単なポーズを1日30分実践する手法を提案して健康やストレス解消を求める中産階級を取り込んで、ヨーガを一般の人々に広めた[55]。彼は、経験豊富な師から指導を受けるべき非初心者向けの秘儀的実践と考えられてきた複雑なプラーナ―ヤーマ等を、慣例を破ってヨーガ・キャンプで初心者に教えた[55]。糖尿病やエイズ、がんを患う人に、現代治療を受け高い治療費を払うよりプラーナ―ヤーマを実践することを勧めた[55]アーユルヴェーダビジネスを積極的に展開し、何百万ものインド人が彼のアーユルヴェーダ薬を利用しており、ヨーガ道場や薬局チェーンの経営で約200億円の事業収入を持つといわれる[55][171]。人々がラムデヴに教わったヨーガでよい効果があったと語ることで、彼の「病を治癒する」という権威が高まり、現代インドのヨーガのカリスマとなった。彼はテレビでもヨーガを教え、インドのテレビ業界で最も視聴率を稼ぐことができる人物の一人とみなされている[55]

欧米で改良されたエクササイズ的なヨーガは、今日ではインドでも広く受け入れられており、インド都市部の中間層向けのヨーガ教室やフィットネスジムは、「NY 直輸入」「NY スタイル」「ハリウッドスタイル」等と称して人気を集め、街の書店ではヨーガのDVDやアメリカのヨーガ専門誌が並んでいる[49][55][170][172]

また、現代ではインドのカトリック教会でもヨーガが取り入れられ、クリスチャン・ヨーガとして実践されている[173]


補注

  1. ^ 禅定はヨーガの一種であるが[14]禅宗の坐禅とインドの古典ヨーガの瞑想は、思想・方法とも、必ずしも同じというわけではない[15]
  2. ^ 唯物論チャールヴァーカと祭事に専念するミーマーンサー学派を除く[2]
  3. ^ カタ・ウパニシャッド」では、「感官(感覚器官)の彼方に対象あり、対象の彼方に意あり…未顕現の彼方に純粋精神あり。純粋精神の彼方には何ものもなし。」とサーンキヤ哲学(数論学派。ヨーガ学派との関係が深い)の諸原理が説かれており、今西順吉によると、これはヨーガによる精神の沈潜の深まりに対応すると考えられる[13]
  4. ^ ただし、日本語の長母音はサンスクリット語の三倍母音なので長くのばしすぎるのも問題である。インド人の発音を聞くとヨゥガと言っているように聞こえる。
  5. ^ マヌ法典』では、女性はどのヴァルナ(身分)であっても、入門式(ウパナヤナ)を受けてヴェーダを学ぶ男子として「再生」するドヴィジャ(二度生まれる者、再生族)ではなく、入門式を受けられず一度生まれるだけのエーカージャ(一生族)とされていたシュードラ(隷民)と同等視され、女性は再生族である夫と食事を共にすることはなく、祭祀を主催したり、マントラを唱えることも禁止されていた[67]
  6. ^ 伊藤武によると、ヨーギニーという言葉は本来、尸林英語版(シュマシャーナ)で土俗信仰の女神を祀り特異な儀礼にたずさわった巫女たちを指す言葉で、魔女の意味合いを帯びるようになった。その多くは被差別カーストの出身であった[68]。性ヨーガの相手をする女性たちは特殊な階級に属し、母から娘へと特殊な性的テクニックを伝承する娼婦だったともいわれる[69]。母系制社会を形成していた彼女たちは、中世インドの後期密教の時代にヨーギニー(瑜伽女)またはダーキニー(拏吉尼)と呼ばれた[70]。密教で説かれる性ヨーガの相手のステレオタイプは16歳の処女であるが、男を食い殺すような獰猛な女とも描写される[69]。経典では同時的に複数の女性を愛せとも説かれるが、実践者の記録では、おおむね一人の女性と長期的に性ヨーガを行ったようである[69]。彼女らは男性行者を導く師の役割を演じることもあり[71]、9-12世紀頃のインドの後期密教時代に活躍した大成就者英語版たちの伝記である『八十四成就者伝』には悟りを得た女性が5名登場する[72][69]。後期密教の性的儀礼における男性行者の相手の女性はムドラー(印契)とも呼ばれた[73]。『ハタヨーガ・プラディーピカー』は、ヴァジュローリー・ムドラーでラジャス(性分泌物と解される)を再吸収し、保持することのできる女性をヨーギニーと呼んでいる[74]
  7. ^ 例えば、近代インドを代表する聖者であるラマナ・マハルシ[156]の『あるがままに - ラマナ・マハルシの教え』は、修練方法としてジュニャーナ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガを勧めている。ラマナは、霊性の向上は「心」そのものを扱うことで解決ができるという基本的前提から、ハタ・ヨーガには否定的であった。また、クンダリニー・ヨーガは、潜在的に危険であり必要もないものであり、クンダリニーがサハスラーラに到達したとしても真我の実現は起こらないと発言している[157]
  8. ^ 伊藤雅之はこれを1920年代から1930年代のこととしているが、シングルトン 2014によれば、少なくともクリシュナマチャーリヤに関して言えば1930年代以降のことである。伊藤論文では西洋式体操から編み出された近代ハタ・ヨーガをひとりクリシュナマチャーリヤのみに帰しているような記述となっているが[43]、シングルトンによれば同時代のスワーミー・クヴァラヤーナンダ英語版シュリー・ヨーゲーンドラ英語版も重要であり、クヴァラヤーナンダの活動はクリシュナマチャーリヤに先行している。また、伊藤は近代ハタ・ヨーガにはインド伝統武術に由来する要素もあるとしているが、シングルトンの著書にはそれを示唆する記述はない。
  9. ^ a b AYUSHは、次の頭文字をとった略語。AはAyurveda(アーユルヴェーダ)、YはYoga&Naturopathy(ヨーガとナチュロパシー=自然療法)、UはUnani(ユナニ医学)、SはSiddha(シッダ医学)、HはHomeopathy(ホメオパシー)。
  10. ^ 宗教学者の大田俊寛は、「シャクティーパット」を一言でいうと催眠術であり、フランツ・アントン・メスメルメスメリズム(動物磁気療法)の方法と酷似していると述べている[237]
  11. ^ オウム真理教犯罪被害者等を救済するための給付金の支給に関する法律に基づき給付金の支給を受けた被害者数(公安調査庁
  12. ^ アシュタ=8つ、アンガ=枝、支分、部門。
  13. ^ 伊藤武の解釈するところによると、『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』のいうラージャ・ヨーガはハタ・ヨーガの奥義を意味し、ラヤ・ヨーガ(クンダリニー・ヨーガ)のことを指している[264]
  14. ^ 印度哲学研究者の山下博司によると、これは通俗語源的な解釈である。
  15. ^ ゴーラクシャを山下は10-12世紀[10]、伊藤は12世紀前半の人物とする[11]

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