時計産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 02:45 UTC 版)
詳細は「時計産業」を参照 時計産業は、17世紀には手工芸的な産業であり、イギリス、フランス、スイスによって激しい技術競争が起こっていた。このうちフランスにおいてはナントの勅令がルイ14世のフォンテーヌブローの勅令によって1685年に廃止され、ユグノーが多かった時計職人たちは迫害を逃れてスイスへと移住し、まずジュネーブで、ついでその北東に位置するヌシャテルにおいても時計産業が栄えるようになり、この2都市がスイス時計産業の中心となっていった。先発であるジュネーブが高級時計を主力としたのに対し、ジュネーブからの職人移住によって形成された ヌシャテルやジュラ山地の時計生産においては廉価な時計の生産が主力となっていた。 時計の制作は複雑なため、個人ではなく職人たちがチームを組んで分業により制作する方式を採用していたが、これには一つ一つの部品が正確に製作され、それが組み合わされて狂いなく動作することが必要であり、この職人集団は結果として正確な機械製作技術を身につけることとなった。この技術は他の機械製作にも応用されるようになり、産業革命の技術的基礎となった。 このころまでの時計は、航海の安全に直結するクロノメーターを除けば、ほとんどは装飾品に過ぎなかった。しかし産業革命時代に入ると、正確な時間を知ることが必要になり、それまでの装飾品としての時計から実用品としての比重が急速に高まった。このころはいまだそこまで正確な時計は完成していなかったが、アメリカ西部開拓時代になると、正確かつ規格化された鉄道時計の需要が生まれ、精度の高い時計が求められるとともに、アメリカに開発・生産の重心を移していった。ところが労働コストの上昇などにより、アメリカの時計産業は20世紀前半までには衰退した。19世紀末から労働コストが安いスイス・ドイツなどが時計産業の中心となった。 日本での工業としての時計生産は、明治時代中期(1880年代)以降に東京、大阪、名古屋周辺で掛時計、置時計の製造が始まったのが嚆矢であるが、懐中時計・腕時計などの精密時計の大量生産は20世紀に入ってから始まった。1927年にはアメリカにおいてクォーツ時計が発明されていた が、1960年代には急速に改良が進んで実用化されるようになり、1969年にはアナログ式クォーツ腕時計が日本において初めて商品化され、さらに1970年代以降のデジタル化へのシフトにより、スイスの時計産業は衰退し、日本へとその主軸を移していった。20世紀末には生産地がさらにアジア諸国にシフトしていった。 この頃には、クロノメーター時代の最高精度の何倍もの精度の時計が廉価で買えるようになり、デジタル時計なども実用的にはこれ以上進歩のしようがなくなった。 スイスの時計産業は、1970年代~1980年代にはクォーツによる時計技術の激変に乗り遅れ、またそこに経済危機も追い打ちをかけ、産業規模が著しく縮小した。スイスの時計産業従事者は1970年にはおよそ9万人だったのに、1984年にはわずか3万人あまりにまで減少。だがその後、産業構造の改革を断行しスイスの時計産業はふたたび世界の注目を浴びるようになり、従業者数も再び増加して、2013年には57300人レベルとなった。スイスの時計産業は、かつてとは異なり、現在では数十ドルほどの安価な若者向けのものから、中価格帯の時計、そして金や宝石で装飾されコンプリケーション(complication。複雑な機械的機構)を備えた数十万ドルの値段の(つまり日本円なら数千万円相当の超高級な)機械式時計まで、実際のところあらゆる価格帯の時計を製造するようになっている。なおスイスは、もともと得意とする高級品だけでなく安価な時計の市場でも復活した。具体的には、日本にすっかり奪われた世界シェアを取り戻すべくニコラス・G・ハイエックがファッショナブルで安価なスウォッチを開発し1983年に発売し、これが世界的に人気を得たおかげでスイス時計産業は低価格帯品の世界シェアにも食い込むことに成功した。現在、スイスの時計はその95%が輸出されている。2013年時点の総輸出売上高は、218億スイス・フラン。金額ベースでその輸出先を分析すると、スイスの腕時計輸出額の53%がアジア向け、31%が欧州向け、14%が北米向けとなっている(金額ベースでは、富裕層向けの数百万円 - 数千万円の高級時計の売上が主たる影響力をもつ。その結果、金額ベースの輸出先は、富裕層が多数いるアジア、欧州、北米向けが主となる)。それに対して、アフリカ、オセアニア向けはそれぞれわずか1%にすぎない。メーカーに所属せず個人や小規模な工房で製作する独立系の時計職人もおり、トゥールビヨンなど複雑な機構を有した腕時計が富裕層向けの宝飾品として評価されている。1985年に独立時計師アカデミーが結成された。 2009年、スイスのラ・ショー=ド=フォンは時計産業と都市計画の結びつきが評価され、ラ・ショー=ド=フォンとル・ロックルとして世界遺産に登録された。
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