時計製造専業時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 21:00 UTC 版)
「鶴巻時計店英工舎」の記事における「時計製造専業時代」の解説
1916年(大正5年)に創業した株式会社鶴巻時計店(時計卸)が、1919年(大正8年)に株式会社鶴巻時計店英工舎を設立した。 東京府北豊島郡滝野川町(現在の東京都北区滝野川)に本社を置き、本社工場以外に東京府赤羽、埼玉県鴻巣、埼玉県北本宿(現在の北本市)、秩父、朝霞、群馬県桐生に工場を構えていた。 1927年(昭和2年)に置時計や目覚し時計の製造を開始し、1935年(昭和10年)に腕時計の製造を開始した。かつて製造していたブランドには、「センター」、「ニューエイコー」が挙げられる。 第二次世界大戦中は他の時計製造メーカーと同様に、滝野川の製造拠点を赤羽、桐生、秩父、取手の4か所へ分散疎開させている。 戦後は腕時計の製造を行ってきたが、セイコー、シチズンなどの大手競合メーカーの生産再開による競争激化と販売部門(英工商事)売上回収の悪化、品質低下により急激な経営悪化を招いた。1950年(昭和25年)の戦後混乱期の大不況によって、市場から姿を消した。
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