高校卒業後 - 1990年代
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「斉藤由貴」の記事における「高校卒業後 - 1990年代」の解説
1985年4月放送開始のフジテレビ系『スケバン刑事』で連続ドラマ初主演。スケバン刑事が一世を風靡し、一躍トップアイドルへと上り詰める。また同年12月には初の主演映画『雪の断章 -情熱-』が公開され、各映画賞の新人賞を受賞した。 1986年4月からNHK連続テレビ小説『はね駒』のヒロインを演じ平均視聴率40%を記録するヒット作となり、人気と知名度を全国的に定着させた。同年3月にリリースした『悲しみよこんにちは』が約30万枚の売上を記録し、年末の『第37回NHK紅白歌合戦』へ初出場し当時最年少の紅組キャプテンを務めた。同年に発売された、7枚目のシングル『青空のかけら』オリジナル・アルバル『ガラスの鼓動』が、共にオリコン週間チャートでの第1位を獲得した。 1987年1月、ドラマ『あまえないでヨ!』(フジテレビ)に主演。スペシャル版が同年9月に放送された。同年8月黒柳徹子の自伝エッセイを映画化した『トットチャンネル』に主演。監督・脚本の大森一樹とは『恋する女たち』(1986年)および『「さよなら」の女たち』(1987年)でもタッグを組んでいる。この“三部作”で東宝青春映画のスターの地位を確立。斉藤は芸術選奨文部大臣新人賞、『恋する女たち』と『トットチャンネル』により第11回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞し司会も務め、『レ・ミゼラブル』で初舞台を踏む。 1988年、雑誌『月刊カドカワ』の連載『運命の女』ファムファタルがスタートし(1988年5月号から1996年8月号まで連載された)女優活動のみならず、詩、小説、エッセイなどの著作がある。同年7月公開の主演映画『優駿 ORACIÓN』はフジテレビ開局30周年記念作品として制作され、240万人超を動員する興行成績を残す大ヒット作となった。また第12回日本アカデミー賞では『「さよなら」の女たち』・『優駿 ORACIÓN』で2年連続優秀主演女優賞を受賞した。 1989年1月、ドラマ『はいすくーる落書』(TBS)に主演。スペシャル版が同年12月放送され、翌1990年7月 - 9月にパート2が放送された。同年4月、主演ドラマ『湘南物語』の主題歌として井上陽水のカバー曲『夢の中へ』をリリースする。オリコン週間シングルチャート第2位、1989年度年間第14位となり、自身最大のヒット曲となった。その後も渡邊孝好監督『君は僕をスキになる』 (1989年)、金子修介監督『香港パラダイス』 (1990年)、森田芳光監督『おいしい結婚』(1991年)と、数々の映画作品に主演した。 1990年7月、オリジナル・アルバム『MOON』を発表、斉藤自身がプロデュースを初めて行い作詞全曲も担当した(訳詞含む)。楽曲中では斉藤自身のナレーションによる語りも収録されている。作詞家としてもミュージカル『ローマの休日』(1998年上演)に使用された楽曲の作詞を担当(1998年度芸術祭賞受賞)。初演から22年ぶりの再演(2020年上演)でも引き続き、斉藤が作詞を担当した他、東宝ミュージカル「シンデレラストーリー 」(2003年上演 - 作詞担当)や、アーティストへの楽曲提供も行なっている。 1993年10月、主演ドラマ『同窓会』(日本テレビ)に出演。それまでの役柄とは正反対ともいえる役が話題となった。 1995年、三谷幸喜脚本による舞台『君となら〜Nobody Else But You 』(PARCO劇場)に主演。1997年にも再演され、2014年には 竹内結子主演で再々公演された。以後、多くのパルコ・プロデュース作品に出演する。 1998年、映画『雪の断章 -情熱-』から13年ぶりに相米慎二監督、映画『あ、春』に出演。作品は1999年度キネマ旬報ベストテンの第1位に選出されたほか、第49回ベルリン国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。
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