高校卒業後〜アテネ五輪前とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 高校卒業後〜アテネ五輪前の意味・解説 

高校卒業後〜アテネ五輪前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:40 UTC 版)

渋井陽子」の記事における「高校卒業後〜アテネ五輪前」の解説

1997年高校卒業後は大学には進まずに、当時三井(現・三井住友海上火災保険入社女子陸上部入部20世紀中は、トラック競技駅伝長距離走で力を蓄えていった。 2001年1月第20回記念大阪国際女子マラソン初マラソンだったが、いきなり2時間2311秒の当時初マラソン世界最高記録達成して初優勝当時1位記録を3分以上更新)、衝撃的なマラソンデビューを果たしている。同年8月の、世界陸上選手権エドモントン大会女子マラソン代表に選出された。 そのエドモントン世界陸上女子マラソンでは、本番前風邪体調崩しながらも、リディア・シモンルーマニア)、土佐、スベトラーナ・ザハロワ(ロシア)らと先頭集団最後まで争い惜しくもメダルあと一歩の4位に入賞土佐礼子銀メダル獲得併せて日本女子マラソン団体優勝貢献する世界陸上では国別団体戦行われているため)。一躍2004年8月開催アテネオリンピックの代表有力候補として注目されるようになった。 翌2002年5月には、アメリカパロアルト競技会女子10000m日本記録更新挑戦当時川上優子の持つ31分0946タイム20秒以上更新する日本女子初め30分台に突入する304889日本新記録達成した2位ディーナ・カスターアメリカ合衆国)も当時アメリカ新記録を樹立)。この記録は、新谷仁美2020年12月4日302044新記録を出すまで18年間にわたって日本記録であった同年10月シカゴマラソンでは、日本記録更新期待されていた。序盤からポーラ・ラドクリフイギリス)、キャサリン・ヌデレバケニア)らのハイペース付いて行き終盤はややペースダウンとなるが2時間2122秒の3位入り自己記録大きく更新した2003年3月第24回名古屋国際女子マラソン出走予定だったが、エントリー発表直前に足を故障出場断念2003年8月世界陸上選手権パリ大会は、マラソンでは無く10000m出場した周回遅れとなり、結局31分4201記録14位に終わる。 翌2004年アテネ五輪女子マラソン代表選考レースだった、同年1月第23回大阪国際女子マラソンでは、前半思わぬスローペース惑わされる10Km過ぎから渋井自ら先頭集団引っ張る形となり、27km地点付近大阪城公園内で千葉真子飛び出しには何とかついたが、優勝した坂本直子30km地点から猛烈な高速スパートには全くついていけなかった。その後は完全にスローダウンとなり後続選手次々抜かれ結局ゴール順位は9位と完敗だった。 2004年6月アテネ五輪陸上競技選考会だった日本陸上選手権では、長距離トラック代表で五輪選出目指したものの、女子10000mは9位、女子5000m12位に終わり目標だったアテネ五輪出場はならなかった。

※この「高校卒業後〜アテネ五輪前」の解説は、「渋井陽子」の解説の一部です。
「高校卒業後〜アテネ五輪前」を含む「渋井陽子」の記事については、「渋井陽子」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「高校卒業後〜アテネ五輪前」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「高校卒業後〜アテネ五輪前」の関連用語

高校卒業後〜アテネ五輪前のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



高校卒業後〜アテネ五輪前のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの渋井陽子 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS