飛行士の選抜と訓練
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 06:42 UTC 版)
「マーキュリー計画」の記事における「飛行士の選抜と訓練」の解説
宇宙飛行士の資格を満たす者は、当初はあらゆるリスクを引き受ける覚悟がある男あるいは女であれば誰でもよいだろうと思われていたが、アイゼンハワーの主張により、アメリカ人で最初に宇宙に乗り込む者は当時508名いたテストパイロットの中から選抜されることになった。しかしながら軍のテストパイロットの中には女性はいなかったため、必然的に飛行士はすべて男性で構成された。またこのときNACAでX-15のテストパイロットをしていた、後に人類初の月面着陸をすることになるニール・アームストロングは、民間人であるという理由で除外された。さらに選抜条件の中には、25歳から40歳までで身長1メートル80センチ以下、さらに科学または技術の分野で学位を持っていることという項目が加えられた。学位の条件が追加されたことにより、実験機X-1の飛行士で人類で初めて音速を突破したチャック・イェーガーなども除外されることになった。イェーガーは後にマーキュリー計画に対しては批判的になり、特に猿を使って実験したことをひどく軽蔑した。 気球で高度31,330メートルの成層圏からスカイダイビングをした世界記録 (当時) を持つジョゼフ・キッティンジャーはすべての条件をクリアしていたが、彼が当時関わっていた超高空ダイビングのプロジェクトを進行させることを選んだため応募しなかった。有資格者の中には、有人宇宙飛行がマーキュリー計画の後にも継続されるとは信じられなかったため辞退した者たちもいた。508名の中から110名が面接で選ばれ、さらにその中から32名が体力および心理テストでふるい分けられた。残った候補者は健康面、視力、聴力が検査され、騒音、振動、加速度、孤独環境、熱などに対する耐性も検査された。特殊な隔離室では、混乱した状況の中で課題をこなす能力があるかを調べられた。また候補者たちは自身に関する500以上の質問を受け、様々な画像を表示され何が見えるかを答えさせられた (白紙を見せられることもあった) 。ジェミニおよびアポロで飛行したジム・ラヴェルは、体力試験で落とされた。これらの試験の後、最終的には6名まで絞り込む予定だったが、7名のままにすることになった。 飛行士らが受けた訓練の中には、選抜試験の項目と重複するものもあった。海軍航空開発センターにある遠心加速器では、発射および帰還時に経験する重力加速度の変化をシミュレーションし、6G以上の加速度を受けたときに必要とされる特殊な呼吸法などを習得した。航空機を使用しての無重力訓練も行われ、初期の段階では複座式戦闘機の後部座席を使用し、後期の段階では貨物機の内部を改造し壁や床にマットを敷き詰めたものが使われた。ルイス飛行推進研究所にある「多軸回転試験慣性装置 (Multi-Axis Spin-Test Inertia Facility, MASTIF)」と呼ばれる設備では、船内にある操縦桿を模したコントローラーを使用して宇宙船の姿勢を制御する訓練が行われた。この他にもプラネタリウムやシミュレーターを使用して、星や地球を基準にして軌道上で正しく姿勢を制御する方法などを学んだ。通信や飛行手順の訓練にはフライトシミュレーターが使用され、最初の段階ではトレーナーが一対一でサポートし、後の段階では飛行士自身でコントロールセンターと連絡を取る訓練をした。着水訓練にはラングレーのプールが使用され、後には実際に海に出て潜水士がつきながらヘリコプターで回収される訓練が行われた。 ナヴァル空軍基地における耐G訓練。1960年 C-131輸送機を使用しての無重力訓練 ルイス研究センターのMASTIF ケープ・カナベラルにおける飛行訓練 ラングレー調査センターにおける降機訓練
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