間違った時期の間違った車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:28 UTC 版)
「エドセル」の記事における「間違った時期の間違った車」の解説
エドセルに不利に働いた外的要因として、1957年の後半から米国が陥ったアイゼンハワー不況(英語版)が挙げられる。 エドセルの複合した問題としては、既にビッグスリーの中で地位が確立したブランドであるポンティアック、オールズモビル、ビュイック、ダッジ、デソートだけでなくフォード・モーター自身の姉妹部門であるマーキュリーとも競合しなければならない事実があった上、エドセル自身は購買者との間のブランド・ロイヤルティが無いままこれらのブランドに立ち向かわねばならない悪条件が重なっていた。 仮に1957年から1958年の不況が無かったとしても、エドセルは縮小するフルサイズという市場に参入しなければならなかったであろう。1950年代の初頭、Eカーが開発の初期段階にあった頃、フォード・モーター副社長アーネスト・ブリーチは、フォード・モーター経営陣に対して中間価格帯に未開拓の大きな市場が眠っている事を提示して理解を得た。当時のブリーチの分析は概ね正しかった。1955年にはポンティアック、ビュイック、ダッジが200万台を販売した。しかし、エドセルが参入した1957年秋までに市場の構成は大幅に変化していた。戦前の1920年代以来の伝統があり、1930年代初頭の世界恐慌期の大量倒産を潜り抜けてきた中間価格帯分野の独立系メーカーはこの時期軒並み破産に向かいつつあり、その窮地からの逆転を望み、パッカードはスチュードベーカーと合併したが、経営陣は1958年を最後にパッカード・ブランドの下での自動車生産を取り止める決定を下した。1957年から1958年に掛けてのパッカードは、スチュードベーカーよりも遙かに少ない台数しか販売できなかった。アメリカン・モーターズはエコカーを求める新興購買層に対応するため、コンパクトカー専門のランブラーを立ち上げ、合併前から存在した中級車ブランドのナッシュとハドソンの廃止を1957年のモデルイヤー後に決定した。クライスラーが販売したデソート部門も1957年から1958年に掛けて50%以上と劇的に売り上げを落とした。デソートはこの売り上げの低下が1959年も回復せず、ミシガン州ハイランドパーク(英語版)での製造とブランド廃止を1961年に決定した。1958年の不況は期間こそ短かったものの、米国自動車産業にもたらした影響は1930年代の世界恐慌後の独立系メーカーの大量倒産に並ぶ程巨大なものであった。 確かに殆どの自動車メーカー、例え新しいモデルを導入していないブランドですらも売り上げは減少した。米国内メーカーの中では、唯一ランブラーとリンカーンのみが1957年と比較して1958年に販売台数を伸ばした。顧客の間では燃料効率(英語版)の高い車、即ち燃費の良いエコカーを購入する動きが始まり、この受け皿となったフォルクスワーゲン・ビートルは1957年以降年間5万台を超える勢いで売り上げを伸ばしていた。エドセルはパワフルなエンジンを搭載しており、加速は強力であったが、プレミアムガソリンを必要とし、市街地走行での燃費は1950年代後半の車の中では貧弱な部類であった。また、エドセルが選択したフルサイズという巨大な車体は高速走行には適していたが、市街地での取り回しには難があり、こうした点でも輸入される小型車に対する劣位となった。元よりアメリカ車の中でもフルサイズという車体ジャンル自体、1950年代を頂点に次第に衰退していく傾向があったが、エドセルが登場した1958年のモデルイヤーは、エンジン性能や高速走行時の信頼性などの面でアメリカ車にはまだ全く太刀打ちできない状況ではあったものの、ダットサン・1000やトヨペット・クラウンなどの日本車の輸出が正式に始まった年でもあり、1950年代の米国自動車文化(英語版)を形作った1950年代の米国自動車産業(英語版)全般に見られた、ハイパワー・大排気量一辺倒のアメリカ車の地位が根本から揺らいでいく兆しが現れた時期であった。 フォード・モーターは適切なマーケティング調査こそ行っていたが、フォードとマーキュリーのギャップを埋めるには誤った製品がリリースされた。1958年までに、顧客はエコカーに夢中になり、エドセルのような大型車は購入して所有するには高価すぎると見なされた。フォード・モーターが1960年にファルコンを導入した時、最初の年だけで40万台以上を売り上げた。フォード・モーターはエドセルの失敗を真摯に受け止め、エドセルに早期の段階で見切りを付けた上で、生産工場の拡張とエドセルの廃止により余剰となった製造施設に追加投資を行う事で、ファルコンとその後の成功が可能となった。 1965年、中間価格帯の市場は1958年以前の水準に回復し、フォード・モーターが満を持して投入したのがギャラクシー500・LTD(英語版)であった。大衆車ブランドであるフォードの名を冠しながら、ハイパワーなエンジンと豪奢な内外装、高級車に比肩する静粛性を備え、高い付加価値のある製品となったLTDの成功はシボレーにも影響を与え、1965年のモデルイヤー中期にシボレー・カプリスのトリム・オプション(英語版)として4ドアハードトップの最高級モデルにインパラを追加させる事となった。
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