重要文化財指定に至るまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:09 UTC 版)
現橋の架橋70周年を迎えた1999年(平成11年)、萬代橋を管理する建設省新潟国道事務所(当時)は「温故知新・新潟まちづくりワークショップ」を開催。行政と市民が萬代橋や街づくりに関する意見を交わすなど、市民が萬代橋の価値を再認識する契機となり、翌2000年(平成12年)には新潟国道事務所を中心とした「万代橋協議会」が、また市民有志による「万代橋を愛する会」がそれぞれ設立・結成され、橋の清掃などといったボランティア活動を通じて萬代橋と街づくりに関する啓発活動をはじめた。 土木学会は2002年(平成14年)11月23日、萬代橋を土木学会選奨土木遺産に認定した。この選奨土木遺産とは、明治時代から昭和時代初期の戦前にかけて建設された文化的価値の高い近代土木遺産に関して、その保存と活用を促進するために顕彰する制度で、萬代橋は、日本人技術者による初の空気潜函工法を用いた点、充腹アーチ橋として建設当時の国内最大の支間長を有している点、新潟地震に耐えて市民の生活を支えた点が評価された。 そんな中2003年(平成15年)、国土交通省は萬代橋の改修工事を検討する旨を発表した。萬代橋の欄干は高さ約850 mmと低く、国の現行基準である1,100 mmを満たしていなかったため、歩行者・自転車など歩道部の利用者の安全性を考慮した歩道部の補修と併せて、欄干高さも基準値に改良することを図ったものであった。 現橋の欄干高さは全体的なバランスや景観まで考慮してデザインされたものであり、この改修工事計画が公表されると、直後から「(欄干かさ上げによって)市民が慣れ親しんだ萬代橋の景観が損なわれる」と危惧する意見が市民から数多く寄せられ、市民側の「愛する会」は萬代橋の文化財指定を検討するよう、行政側に対し働きかけを開始し、同年10月30日には新潟市と国土交通省新潟国道事務所に対し、20以上の市民団体の連名による「萬代橋の景観保全についての要望書」が提出された。これを受け、萬代橋の改修を巡って市民側と行政側が議論の場を設けて意見交換を行うこととなり、「万代橋とにいがたのまちづくりを考えるワークショップ」が開催され、議論は萬代橋の改修や景観、街づくり等に及んだ。この改修計画の是非について討論を行った結果「基準値を満足しなくとも、市民の自己責任によって橋を利用する」という前提で『現状の高さを維持すべきである』とする結論を得た。 その後、この議論を機に「愛する会」を改組して結成された市民団体「万代橋ワークショップ」などが、萬代橋を重要文化財に指定することを目指して要請活動を始め、また新潟市長からも国へ要請が出されるなど、重要文化財指定への機運が徐々に高まっていった。 この結果、現橋の架橋75周年を迎えた2004年(平成16年)4月16日、文化審議会は、橋梁デザイン史上における価値の高さと、技術的達成度を示す遺構として貴重である旨を評価して、萬代橋を重要文化財に指定する答申を行い、同年7月6日付で正式に指定された(官報号外第147号、文部科学省告示第120号)。一般国道の橋梁が重要文化財に指定されたのは日本橋(東京都中央区)に次いで全国で2例目、新潟県内の土木構造物が指定されたのは初のことであった。また重要文化財のうち、鉄筋コンクリートの構造物としては全国最大である。 指定範囲は橋梁本体に加え、両側鉄筋コンクリート造側径間および高欄(親柱を含む)付、橋詰壁面(隅柱を含む)2所附属、旧橋詰階段親柱2基および橋詰隅柱1基で、架橋時のすべての構造物が指定された。 また重文指定に際して、正式な橋梁名を新字体の「万代橋」から、建設時よりの橋名板表記である「萬代橋」に復し、地図や道路標識の表記も順次当初の表記に変更された。なお、萬代橋に隣接する柳都大橋の架橋や、広小路の道路拡幅や街路整備などを行う国土交通省の事業名称は、萬代橋の表記変更後も「一般国道7号 万代橋下流橋」のまま変更せず、事業が継続された。この他、東詰側の町名や、新潟駅の出入口などの表記についても「万代」を維持している。
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