重要文化財指定の申し入れと抜き打ちの取壊しとは? わかりやすく解説

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重要文化財指定の申し入れと抜き打ちの取壊し

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:01 UTC 版)

三菱一号館」の記事における「重要文化財指定の申し入れと抜き打ちの取壊し」の解説

1967年昭和42年9月文部省文化財保護委員会三菱地所対し文化財指定申し入れ行い三菱地所無断取り壊すことはしない旨を示したため、文化財指定見送られた。しかしその後文化財保護委員会文化財保護法強制指定適応検討していたが、三菱地所1968年昭和43年3月21日解体工事開始する旨、一方的に文化財保護委員会宛て通告した後、突如その翌日同年3月22日夜間足場架設し丸の内地区人通り少なくなる土曜日同年3月23日選んで解体工事強行した。 この三菱地所解体工事強行した理由について、2010年1月号の「建築雑誌によれば三菱地所のある役員は、1968年当時三菱地所解体工事発注する立場にあった社長より、丸の内企業とその連結企業売り上げ日本GDP20パーセント程度であり、企業活動の場を多く提供することが丸の内使命であったことから、また、現在のような都市計画上の支援制度などもなかったため「東9号館」を解体することになったなどと説明受けた、としている。役員自身も、当時保存要望応じられなかった理由は、丸の内社会的状況制度問題だったと思う旨発言している。 なお、この1968年当時の「制度問題」について、建築史家太田博太郎によれば後ろに高い建物を建てれば、もし面積的に損であるというのならば、何か特例東京都にかけあって設けてらうとかそういう運動ならいくらでもするからと言ったんだけど」太田博太郎建築史先達たち』 彰国社 とも記されている。 一方三菱地所発行社史丸の内百年のあゆみ:三菱地所社史によれば申し入れ受けた三菱地所が「東9号館」の耐久性調査行った結果不同沈下により外壁亀裂生じるなど耐力的に限界であることが再三確認され、さらに敷地隣接した地下トンネル横須賀線工事による地盤変化倒壊恐れさえあり、危険であることなどが解体理由であると記されている。

※この「重要文化財指定の申し入れと抜き打ちの取壊し」の解説は、「三菱一号館」の解説の一部です。
「重要文化財指定の申し入れと抜き打ちの取壊し」を含む「三菱一号館」の記事については、「三菱一号館」の概要を参照ください。

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