運用の終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)
本系列の廃車は1976年から開始された。1977年前半までは、首都圏に新製車を投入して捻出した新性能車両を、首都圏から本系列の運用線区に転入させて本系列を捻出し、他線区の老朽車両取替えや輸送力増強に充当する玉突き転配を実施していた。その後、1977年後半からは本系列運用線区に直接新車を投入して本形式を廃車する「直接置換え」に変更した。この時期には首都圏への新車投入が一巡していた一方で、本系列も初期車両を中心に老朽化が進行していたためである。 1977年には、阪和線用で最後まで運用された4両、仙石線で1両のみ残留していたモハ70形、三鷹配置で波動輸送用として残留していたクハ76形がモハ72形と同時に廃車となった。以後は以下の要領で新性能電車への置換えが進行した。 信越本線長野地区 1976年1-2月の豪雪の際に信越国境の急勾配区間で本系列が空転を発生させ、多くの普通列車が遅延や運休した事態を憂慮した当時の長野鉄道管理局が国鉄本社に対して置換えを要請し、国鉄本社が当時推進していた地方線区近代化の一環として耐寒耐雪構造を強化した115系1000番台が松本運転所に配置となり、1978年1月に置換えを完了した。 新前橋電車区 1977年から115系1000番台への置換えを開始し、1978年3月までに両毛線・吾妻線内の運用が置換えられ全車廃車。一部インターネット記事によると、末期に同電車区に所属していたクハ76066が廃車後解体のために大船工場に送られ、その後しばらく解体されずに保管されていたが、後に民営化を前にして解体されている 新潟地区 置換えは以下の2回で実施された。 1976年秋に首都圏地区の冷房化促進のために投入された115系300番台により捻出された0番台車が長岡所に転入し、本系列の一部車両が廃車となったほか、少数が信越本線長野ローカル用に転出し、置換えによる運用減で清水トンネルを通過する高崎までの運用がなくなった。 1977年以降に長岡所に115系1000番台を新製投入し、115系0番台は80系置換えのために広島地区に転出し、本系列は廃車となった。 当初は1978年7月までに置換え完了の予定であったが、同年5月に発生した信越本線関山 - 妙高高原間での地すべりと6月の集中豪雨による柏崎駅冠水により計画が遅延し、開通区間運用のため、急遽休車中だった本系列で以下の通りの4M2Tの6両編成を組成して関山 - 直江津間で運用した。 ← 関山 直江津 → クハ76049モハ70016モハ70011モハ70102モハ70022クハ76064同年7月以降は115系の投入が順調に進み、8月23日に上記編成によるさよなら運転を実施し、新潟地区での運用を終了した。 中央西線 1978年7月から神領電車区に113系2000番台を配置して同年10月から岡多線に投入し、12月には全車を置換えた。同月17日に中津川 - 名古屋間でさよなら運転が実施された。なお、同時期に飯田線のサハ75形も廃車となった。 広島地区 呉線・山陽本線では1978年9月から広島運転所の2000番台などの115系で本形式を置換え、同年12月に営業運転を終了した。一時期モハ71001が広島工場内において保管されたが、後に解体された。 福塩線 105系の投入によって1981年3月1日に運用が終了し、これをもって本系列の30年にわたる営業運転が終了した。
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