運用の計画と実際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/15 17:04 UTC 版)
試作艇である「蛟竜」の試験結果を踏まえ、機動艇15隻を陸戦部隊とあわせて、上陸作戦専門部隊である海上機動旅団を編成する基本計画がつくられた。しかし、1943年11月に発令された海上機動旅団の編制では、旅団輸送隊に配備される機動艇の定数は3隻に減らされ、代わりに大発多数が配備されることになっていた。実際には、この3隻の機動艇すらも配備が実現せず、徴用した機帆船などで代用された。 完成した機動艇は、海上機動旅団への配備に代わり、機動艇1隻とその乗員により構成される機動輸送中隊に配備されることになった。終戦までに30個中隊が編成された。これらの機動輸送中隊は、機動輸送隊の隷下に置かれて輸送任務にあたる建前とされたが、ほとんどの場合は作戦可能な中隊ごとに適宜前線へと送られ、現地所在の船舶兵系列部隊の指揮下に行動することとなった。フィリピンの戦いなどで敵制空権下での部隊や物資の輸送任務に活躍したが、多くが失われた。
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