退職の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 10:01 UTC 版)
9月場所後の9月25日、日本相撲協会を退職することを表明した。 同日17時から行われた記者会見の場で、3月9日に元日馬富士の傷害事件に対する相撲協会の対応が適切ではなかったとして内閣府の公益認定等委員会に提出した告発状の件を理由として述べている(その後貴公俊の暴行事件が発生し、3月28日に取り下げ)。夏巡業中の8月7日に、貴乃花は相撲協会から外部弁護士の調査による「告発状は事実無根の理由に基づいてなされたもの」と結論づけられた書面を渡された。同月下旬に「事実無根ではない」と回答したが、9月場所中の9月13日に年寄会(役員以外の全親方で構成)から文書で同月27日の年寄総会に出席しその意図について説明するように求められ、そのやりとりの中で相撲協会から圧力を受けたとして「事実無根を認められなければ、親方を廃業せざるを得ないなどの有形、無形の要請を受け続けた」と主張した。 貴乃花の会見を受けて、同日に日本相撲協会の芝田山広報部長はマスメディアからの取材に応じ、「告発状が事実無根であると認めなければ親方を廃業しなければならないと協会が貴乃花に圧力をかけた事実は一切ない」とした上で「一門に入ってこれからもいっしょにやっていこうと阿武松理事が貴乃花を再三にわたり説得していた」と述べた。この12代阿武松からの説得を貴乃花は「圧力」と受け取った可能性があると16代大嶽(貴闘力)は指摘しているが、12代阿武松本人は「私は心から説得しているつもりだった」とその無念を語っている。また説得にあたっては告発状のことには一切触れておらず「最終的な決定を聞かないまま、こうなってしまった。残念でならない」とコメントしている。 退職届が不受理でも決意は変わらないと記者会見の場で述べていたが、弁護士を通して協会に提出された「引退届」と所属部屋力士の所属部屋変更願がすぐ受理されなかったのは書類不備が原因であった。相撲協会の芝田山広報部長は、貴乃花が提出したのが相撲協会を退職する際必要な「退職届」ではなく親方の「引退届」であったこと、所属部屋変更願は貴乃花が移籍先に希望した20代千賀ノ浦の捺印がなかったと説明している。このため退職表明の翌26日、電話で貴乃花から要請を受けた20代千賀ノ浦が貴乃花部屋を訪れ、貴乃花部屋の8力士の受け入れに同意したことと必要書類に捺印したことを明らかにした。協会の書式に準じた「退職届」ではない「引退届」については、27日に弁護士から「引退を退職と読み替えてほしい」とする上申書が協会に提出された。しかし所属部屋変更願は原本のコピーに20代千賀ノ浦が署名したものであったため再び不受理となり、29日に不備の無い書類を協会弁護士が受け取るかたちとなった。 10月1日、日本相撲協会の臨時理事会で、貴乃花の退職意向による部屋所属力士ら協会員の千賀ノ浦部屋への転籍が承認され、貴乃花部屋が消滅した。所属先変更願(移籍届)に部屋付き親方としての申請がないため、自動的に協会員としての資格を失効し、貴乃花は日本相撲協会を退職となった。八角理事長は同日の記者会見で、20代千賀ノ浦を通じて面会を打診したものの1時間半の説得にも関わらず貴乃花に断られたことを明かしている。 元横綱が停年前に退職したのは1961年(昭和36年)に年寄停年制が施行されて以降では北の富士、輪島、2代若乃花、曙、3代若乃花に次いで6人目(不祥事による引責引退で相撲協会を離れたのは双羽黒、朝青龍、日馬富士)。曙、3代若乃花とは「花のロクサン組」の同期であり、この同期3横綱が揃って停年前に相撲協会を去る異例の事態となった。「花のロクサン組」で現在も協会に在籍しているのは魁皇のみとなってしまった。 貴乃花の退職で、相撲協会に在職する元横綱が4人と過去最少となってしまった(北勝海、大乃国、旭富士、武蔵丸)。このため、今後において横綱の正しい伝承(横綱土俵入りの型の継承など)が行われていくのかが危ぶまれていた。しかし、当時の現役横綱のうち稀勢の里は2019年1月場所限りで引退して16代荒磯を襲名、2021年8月に荒磯部屋(同年12月に二所ノ関部屋へ改称)を興して部屋師匠となっている。鶴竜は2020年に日本国籍を取得し、翌年3月場所に引退して鶴竜親方として、白鵬も2019年に日本国籍を取得し、2021年9月場所終了後に引退して21代間垣を襲名して、それぞれ後進の育成に尽力している。 現在は相撲協会に在職する元横綱は前述の4人を含めて7人となっている。また、現在の現役横綱である照ノ富士も2021年7月場所後に横綱昇進直後に日本国籍を取得しており、引退後は親方として相撲協会に残ると思われる。
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