退職と独立、交通事故死
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1996年8月15日、任天堂東京支社(東京都台東区浅草橋)で行われた『NINTENDO64』の業界向け発表に出席した後、任天堂を退職。開発第一部部長の後任は出石武宏。 元々「50歳を過ぎたら好きな事をする」と語っており、自主退社だったが、日本経済新聞が「バーチャルボーイの不振の損失の責任を取るために辞任」と報じたため、横井は反論として『文藝春秋』1996年11月号で『私はなぜ任天堂を辞めたか』を執筆した。 退社後、より自分のやりたい商品開発を目指し、株式会社コトを設立。『くねっくねっちょ』等の携帯ゲームや玩具などを企画した他、『ワンダースワン』の開発にもアドバイザーとして参加。ワンダースワン用のパズルゲーム『GUNPEY』は横井の監修によるもので、ワンダースワン用ソフトとしてはかなりのヒット作となった。 独立から1年後の1997年10月4日、石川県能美郡根上町(後の能美市)の北陸自動車道上り線で、知人男性が運転していた車が前の軽トラックに追突する事故を起こし、その追突した軽トラックを動かすため車外へ出たところを後続の乗用車にはねられ、同日午後9時半に搬送された小松市民病院で外傷性ショックのため、56歳で死去した。 2003年にゲーム・デベロッパーズ・チョイス・アワードにおいて、Lifetime Achievement Award(特別功労賞)を受賞。
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