近・現代の再評価
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『三国志演義』の影響によって悪役としての評価が定着した曹操であるが、1950年代以降に入ってからは、再評価が進んでいる。 近代の中国においては、西洋の進出に対してその劣位が明白になり、幾度となく近代化を目指しては失敗した背景に、思想的な儒教・華夷思想への偏重などがあったと反省され、思想的な枠組みを超えて合理性を追求した曹操の施策が、魯迅など多くの知識人によって再評価された。 特に曹操再評価を盛り上げたのは毛沢東で、彼の主導の下、曹操再評価運動が大々的に行われた。郭沫若が戯曲において曹操を肯定的に評価したのもこの頃である。また、文化大革命の時の批林批孔運動でも、曹操は反儒教の人物として肯定された。 批林批孔運動では、儒法闘争史観が主張された。これは中国思想を儒教の系譜(孔子・孟子などが中心)と、道家・法家・兵家・墨家(老荘・韓非子・孫子・墨子等)や王充の二つに分け、儒家を悪の権化として法家を善玉とする史観である。中国共産党からすれば、これら二つの思想は「革命」の段階的進行であった、と説明されている。身分制度を重視し、男女差別を人倫の基とした儒教の系譜に対しては否定的な評価がなされ、合理性を追求した法家の思想には甘い評価が為される傾向がある。その中で、曹操は法家の重要人物として高い評価を与えられた。そのため、曹操も単なる「悪役」から多少味のある「悪役」程度には評価を変えてきているようになり、京劇の隈取りも善玉のものに変えるよう政府から指示されたという(前述竹内論考)。 日本では吉川英治が小説『三国志』において曹操を悪役ではなく作品前半の主人公の一人として描き、新たな曹操像を提示した。1962年に吉川幸次郎が『三国志実録』において曹操の再評価を行い、特に文学の面での功績を高く評価した。またそれまで日本語訳の無かった『正史三国志』に着目し、曹操の事跡を正史によって詳しく紹介した。長年かけ弟子の井波律子らが完訳した。 陳舜臣作『秘本三国志』は、『三国志演義』に依拠しない、新しい史実解釈を用いた小説として、大きな影響を与えた。のちに作者は『曹操』とその続編『曹操残夢』を著した。この他曹操を主役格に据えた作品として、北方謙三作『三国志』がある。漫画作品では吉川英治『三国志』を漫画化した横山光輝作『三国志』や、李學仁原案(原作)・王欣太作画『蒼天航路』が登場し、またコンピュータゲームでもコーエー(現・コーエーテクモゲームス)から『三國志曹操伝』が発売されている。 歴史学的には、まず中国における郭沫若らの曹操論争があって文学的な評価が進み、その流れを受けて日本でも、京都大学の谷川道雄・川勝義雄らによる曹操集団および曹魏政権に対する再評価が進んだ。曹操の政策として知られる九品官人法は魏晋南北朝時代の貴族制度の前史として言及されることが多い。川勝らの曹操ないし曹魏政権、魏晋南北朝理解に対して、越智重明・矢野主税などとの間では1950年代から1970年代の間に活発な議論があった[要出典]。また後漢が建国の経緯から豪族のと知識人を糾合した政権であり、統治機能が失われた黄巾の乱以降に、いち早く豪族と知識人を糾合することに成功したのが曹操であり袁紹であった。曹操が袁紹に勝利した要因には上述の九品官人法のような現実的な人材登用制度の採用がある。また屯田制は豪族が土地と農民を所有する制度に対抗するために導入したが、結果として全ての土地が曹氏のものとなった。これはのちの西晋の占田・課田制とそれに続く均田制をかんがみると公地公民制度の端緒といえる。
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