近現代のニワトリ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 14:59 UTC 版)
明治期に入ると食生活の変化が進み、そのなかで鶏卵および鶏肉の利用は急拡大していった。明治10年代には鶏卵は国内生産では不足して輸入に頼っていたこともあり、養鶏が奨励されて各地でニワトリの飼育は増大していった。欧州と同じく、日本においてもまずニワトリの利用で拡大したものは鶏卵であった。明治21年には910万羽だった日本のニワトリ飼育数は、大正14年には約4倍の3678万羽にまで達していた。またこの時期に、旧来の地鶏の多くは欧州などからの移入種に押されて生産が減少していった。在来の品種と移入種とのかけあわせも盛んに行われ、名古屋コーチンなどの品種が誕生したのもこのころのことである。 第二次世界大戦において一時的に日本のニワトリ飼育数は急減したものの、昭和33年(1958年)に戦前の水準を再び超えるようになり、以後経済の成長とともにニワトリの飼育数も増加の一途をたどった。このころまで日本で飼育されるニワトリはほぼ卵用種であり、肉用には主に卵を産まなくなった廃鶏が回されていたが、1949年ごろに小規模なブロイラーの飼育がアメリカからの肉用種の移入とともに開始され、徐々に生産が拡大していった。この生産拡大を受け、1964年にはブロイラーの飼育統計が卵用種とは分けて出されるようになった。このときのブロイラーの飼育頭数は卵用種の6分の1程度に過ぎなかったが、昭和40年代を通じてアメリカからの優良品種移入などを通じブロイラー生産は急拡大を続け、卵の生産とは別にひとつの産業としてこの時期確立した。ただし卵用種の飼育も伸びは鈍化したものの微増傾向にあり、ブロイラーの飼育数が卵用種を上回ることはなかった。
※この「近現代のニワトリ」の解説は、「ニワトリ」の解説の一部です。
「近現代のニワトリ」を含む「ニワトリ」の記事については、「ニワトリ」の概要を参照ください。
- 近現代のニワトリのページへのリンク