近現代のブタ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 02:22 UTC 版)
明治維新以後、肉食は一般化していった。まず普及したのは牛鍋(すき焼き)にみられるように牛が圧倒的であり、豚肉の需要はすぐには伸びなかった。豚の飼育は増えたものの、これは東京近郊の農家が肥料を得るためで、食用が主目的ではなかった。しかし、日本政府が富国強兵策として1900年より養豚事業を開始し、1904年の日露戦争開戦により兵士に支給される食肉が増加、それに伴う牛肉の不足からの豚肉食の奨励が行われた。また大正元年(1912年)にコレラの流行が起きると、警視庁がコレラの流行を食い止めるために魚の生食を制限し、火を通すことが前提である肉食を奨励した。この際、上述のように豚が多く飼育されていた東京や関東地方において安価であった豚肉が注目された。これによって、それまで牛肉が主であったカツレツが豚に置き換えられて豚カツが誕生するなど豚肉料理がこの時期に多く誕生し、豚肉の需要が急増して、ブタも日本各地で再び飼われるようになった。特に関東大震災後に関東地方で養豚ブームが起き、供給量が増えて安価になった。琉球の島豚は1902年にバークシャー種、ハンプシャー種が入り純粋種はなくなったが名護市や奄美大島などで復元されている。
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