近現代のカザンとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 近現代のカザンの意味・解説 

近現代のカザン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 03:02 UTC 版)

カザン」の記事における「近現代のカザン」の解説

19世紀初頭アレクサンドル1世カザン大学印刷所カザン創設した1801年カザン最初にクルアーン印刷された年で、カザンロシアにおける東洋学研究の拠点となった19世紀末までにカザンヴォルガ中流産業中心に発展し周囲農村から職を求め人々カザン集まった1875年には馬車鉄道市内走り1899年市電開通した一方でクリミア半島始まったムスリム知識人改革運動ジャディード運動カザン達しカザンロシアにおけるイスラーム復興運動改革運動政治運動拠点ともなった1905年ロシア第一革命以後、ようやくタタール人カザンタタール文化中心として復興させることを許された。タタール劇場タタール語新聞もこの時に出現したミールサイト・スルタンガリエフのようなムスリム社会主義者活動し1920年代初頭まで、ソ連政治において大きな役割果たした1917年8月14日にはカザン火薬工場火災発生し爆発起こり市内被害広がった工場は完全に破壊され火は24日まで消えなかった。ロシア革命後ロシア内戦では、1918年タタール人らによりイデル=ウラル国カザン首都として樹立されたが、まもなくボルシェヴィキ軍により滅ぼされた。1918年8月にはチェコ軍団カザン占領している。1920年タタール自治ソビエト社会主義共和国カザン中心に建設された。 1920年代から1930年代にかけてカザン重工業拠点となったが、同時に多くモスク聖堂破壊された。第一次世界大戦後国際的な孤児となったドイツ軍部ヴァイマル共和国軍)は、同じく共産主義国家として国際的に認められないソビエト連邦秘密協定を結び、カザン戦車開発訓練基地 (Inspektion 6 Kraftfahrwesen) を設け赤軍と共にヴェルサイユ条約禁止する戦車研究開発1933年まで継続した。これはナチス体制下ドイツ国防軍急速な軍備拡大種子となっている。第二次世界大戦ではロシア西部から多く工場カザンへも避難しており、軍需産業中心となって戦車戦闘機などの製造おこなわれたカザン戦後軍需産業重工業中心となり、爆発的に人口増加しアパート立ち並ぶようになった1980年代末から1990年代ペレストロイカソビエト連邦の崩壊により、カザンは再びタタール文化復興見たが、一方でタタールスタン独立宣言によりロシア連邦タタール分離主義者との間の緊張発生した2000年より市内大規模な修復作業進行した。特にカザン・クレムリンでは、1552年カザン陥落破壊されクル=シャーリフ・モスクと、1562年完成したものの1930年ソ連当局により破壊され生神女福音大聖堂ブラゴヴェシェンスキー大聖堂)の双方再建された。2005年7月29日にはカザンカ川架かる長さ831メートル斜張橋ミレニアム開通し同年8月27日には地下鉄開業した。これらは2005年カザン建都1000年合わせた事業であった。しかし「建都1000年」の年号恣意的決められ部分もある。

※この「近現代のカザン」の解説は、「カザン」の解説の一部です。
「近現代のカザン」を含む「カザン」の記事については、「カザン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「近現代のカザン」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「近現代のカザン」の関連用語

1
4% |||||

近現代のカザンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



近現代のカザンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのカザン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS