クル=シャーリフ・モスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:33 UTC 版)
「カザン・クレムリン」の記事における「クル=シャーリフ・モスク」の解説
上述したように、カザン・クレムリンには元来、イスラム教を信仰していたカザン・ハン国によってクル=シャーリフ・モスクが建てられていたが、イワン雷帝のカザン侵攻によって破壊された。そのモスクがヨーロッパ最大級のイスラム教建築として再建されたのが、2005年6月24日のことである。再建に当たっては、17世紀にモスクのあった敷地(士官学校の敷地になっていた)が選定された。 この4つのミナレットを備えたモスクが完成したことに対する祝賀会には、約40ヵ国から1万7000人もの人々が参集した。 この他、カザン・クレムリン内の重要な建築としては、コンスタンチン・トーン(トン Konstantin Thon)設計によるタタールスタン共和国大統領宮殿(大統領官邸、もとのカザン県知事宮殿)がある。大統領宮殿が建つ場所はかつてのカザン・ハーンの宮廷があったと推定される。大統領宮殿とスュユンビケ塔に挟まれる場所に宮殿教会がある。中世期にはモスクがあった。 カザン・クレムリンの北側の城壁には、もう一つ門が備えられた塔がある。この塔は、秘密の上水道を備えていたことからタイニツカヤ(秘密)塔の名が付けられている。タイニツカヤ塔も城門があり、クレムリンへ入ることができるが、車両の出入りは緊急時のみに制限されている。
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