越智重明
越智重明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 13:08 UTC 版)
越智の族門制論は、六朝時代に上級士人(郷品一・二品)・下級士人(三-五品)・上級庶民(六-九品)・下級庶民層が形成されており、上から甲門・次門・後門・三五門と名づけた。甲門・次門などの階層区分は元々は岡崎によって為されたものであるが、岡崎がこれらを自然に形成されたものとするのに対して、越智はこの階層が「国家制度に組み込まれた存在」であるとするのが大きな違いである。甲門は通常20歳-24歳で任官の権利を得て、官品六品の秘書郎や著作佐郎などの最高の清官から起家する。次門は25歳-29歳で奉朝請・太学博士・王国常侍・王国侍郎などの濁官で起家し、後門は30歳で、流外官から起家する。 越智は貴族たちの郷論を尊重し、それを皇帝側が政権の中に組み込んだ結果生まれたのがこの族門制であるとする。つまり越智は、当時の貴族勢力が官職の最高位を独占し、ある程度の自律性を持っていたことは確かであるが、それと同時に皇帝権が確固として存在しており、貴族たちに統制を利かせようとしていたことを主張するのである。
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