貴族制理解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 13:08 UTC 版)
日本における貴族制理解には、概ね二つの大きな流れがある。 一つは内藤が示した「既に君主となれば貴族階級中の一の機關たる事を免るゝ事が出來ない。即ち君主は貴族階級の共有物で、その政治は貴族の特權を認めた上に實行し得るのであつて、一人で絶對の權力を有することは出來ない。」という言葉に最も端的に顕れている。つまり貴族制全盛の時代にあっては貴族制が政治のみならず社会・経済・文化全てを覆っており、皇帝すら貴族制の中の一機関に過ぎず、貴族の都合によって左右される存在であったとするものである。 もう一つは貴族をあくまで政治的存在と見るものである。この考えでは貴族制の外に皇帝や兵戸・武将などがあり、貴族は強力な権力を持ちはしても、あくまでこれらと並立する存在でしかない、とするものである。 前者を採るのは内藤湖南・川勝義雄・谷川道雄らであり、後者を採るのは岡崎文夫・越智重明・矢野主税らである。 前者の考え方を採る場合、一つの疑問が浮かび上がる。貴族制が皇帝すら包括するものであり、貴族は皇帝権に拠らず貴族であるのならば、何故貴族は皇帝の僕たる官僚になっているのかである。この点を指摘したのが谷川のこの言葉である。 「当時の支配層が国家権力の存在によって初めて成立し得ているという意味で官僚的であるのか、それとも、支配層は国家権力の存在を前提とせずにそれ自身として支配者であるが、ただその存在形態において官僚的性格を帯びるのかという問題に帰着する」 前者を採るのが越智・矢野であり、後者が川勝・谷川である。 矢野は貴族の生活の糧は俸禄にあり、官僚であることによりその生活を支えているとする。また越智は貴族の身分制が国家の制度の中に組み込まれているとする。両者とも皇帝の存在が貴族の存在に不可欠であると考える。 川勝・谷川の考えにおいては貴族は皇帝・国家に対して自律性を持ち、王朝はその地位を官職を与えることにより承認する承認機関に過ぎないとする。では貴族の自律性を支えるものは何であろうか。川勝・谷川においてはそれは郷党との関係であり、郷党からの支持こそが貴族に支配者としての地位を保証すると考える。
※この「貴族制理解」の解説は、「貴族 (中国)」の解説の一部です。
「貴族制理解」を含む「貴族 (中国)」の記事については、「貴族 (中国)」の概要を参照ください。
- 貴族制理解のページへのリンク