財政難の深刻化と改革の試みとは? わかりやすく解説

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財政難の深刻化と改革の試み

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 21:16 UTC 版)

薩摩藩の天保改革」の記事における「財政難の深刻化と改革の試み」の解説

薩摩藩では年貢収公率が高く、約三分の二収公されていたが、その上に困窮していた下級武士救済策とされていた輪番制蔵役人による「重み米」、「落散米」と称する収奪加わり実質負担率は約80パーセント超えていたと考えられている。その上農民たちは様々な労役駆り出されていた。薩摩藩では農村部に暮らす在郷家臣等厳し監督指導のもとで農民たちを農作業従事させていったものの、農業生業としない武士層の指導指示農業現場をより混乱させていた。薩摩藩農業からの収入増加策として菜種ハゼノキタバコ、そして奄美諸島砂糖など、商品作物栽培強制した上で強制買い上げ行い藩による専売行った。しかし農民自立度が低く生産性が低い薩摩藩領で商品作物栽培強制することは、米の生産十分な手が回らなくなることに直結した。結果として発生したのが農民大規模な逃散広範囲農村荒廃であり、薩摩藩農業生産深刻な悪循環に陥っていた。 薩摩藩財政難は、木曽三川宝暦治水事業代表される幕府によって賦課された国役事業や、度重なる藩邸焼失安永8年1779年)に起きた桜島安永大噴火などの災害、そして江戸から鹿児島までの遠距離往復要した参勤交代出費等で拍車かかった財政難の中で、藩当局藩士たちの知行高に応じて賦課する出米の賦課率を引き上げていく。これは中位から下位藩士の生活を直撃して藩政対する不満を高め藩士間の内部対立激化するようになった。そして宝暦治水事業による負担増のあおりを受けて財政窮乏化進行する中で、18世紀後半安永から天明期に藩主島津重豪主導藩政改革進められた。重豪の改革はまず徹底した倹約藩士領民対す身分制度強化生活様式統制介入といった引き締めが行われた。一方でハゼノキコウゾウルシ等の商品作物栽培進め商業活動活性化させるために薩摩藩外からの商人養子縁組認め、「繁栄方」という商業、サービス業振興を図る部署設けたりした。これは閉鎖的であった薩摩藩経済活動門戸開放によって活性化させ、藩収入増やす政策であった。 しかし藩主豪による改革成果挙げられなかった。これは前述農村疲弊に対して何ら有効な対策講じられなかったためであった。その上厳し財政難苦しめられていた藩は、不作凶作時に農民たちに対す支援行おうとせず、農村荒廃は更に進んでいく。また、繁栄方」の商業、サービス業振興策質実剛健旨とする薩摩藩士風著しくゆがめたとの批判高まっていく。藩財政高利藩債発行によって賄わざるを得なくなり財政難は更に深刻化していた。このような財政危機的状況農村社会荒廃、そして主に中位下位藩士鬱積した藩政当局対する不満を背景に、抜本的な藩政改革取り組んだのが重豪の跡を継いで藩主となった島津斉宣であった

※この「財政難の深刻化と改革の試み」の解説は、「薩摩藩の天保改革」の解説の一部です。
「財政難の深刻化と改革の試み」を含む「薩摩藩の天保改革」の記事については、「薩摩藩の天保改革」の概要を参照ください。

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