財政難の時代(1992年-2002年)
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チーバスが新時代に入る前の1990年代初めには、1990-91シーズンに準決勝進出、1991-92シーズンに準々決勝進出、1992-93シーズンに13位となるなど、可も不可もない成績を残した。しかし、チーバスは1980年代末までに財政問題に見舞われ始め、クラブ内部にラ・プロモトーラ・デポルティーバと呼ばれる特別財政部門を設立した。石油会社の重役であるサルバドール・マルティネス・ガルサが特別財政部門やチームの責任者となり、1992年から10年計画の財政管理が行なわれた。1993年にはゲーラ(1986-87シーズンの優勝監督)を再び監督に起用し、1990年代初頭のチーバスの象徴となるミサエル・エスピノーサ、アルベルト・コジョーテなどを獲得した。スクールチーム(下部組織とは異なるサッカースクール)出身の若手有望株を信頼することとし、パウロ・チャベス、ホエル・サンチェスなどの有望株が羽ばたいた。1993-94シーズン初め、報道陣とファンは新生チーバスにラス・スーペルチーバスというニックネームを与えた。しかし、期待の大きさとは裏腹に、同シーズンのチームはリギージャで早々に敗退した。1994-95シーズンにはラモン・ラミーレスが加入し、いっそう大きな変化が起こった。シーズン初め、クラブの経営陣は全ての放映権をテレビサに売却したが、テレビサはライバルのクルブ・アメリカの所有者だったことから、ファンから強い批判を浴びた。1993-94シーズンのレギュラーシーズンは首位となったが、リギージャの準決勝でクルブ・ネカクサにあと一歩及ばず敗れた。1995年にはゲーラ監督が去り、オズワルド・アルディレスなどが短期間指揮を執った後、オランダ人のレオ・ベーンハッカー監督が就任したが、1995-96シーズンはリギージャ進出を逃した。1996-97シーズンには、1シーズンを二つに分割する新しい大会形式が採用された。シーズン前半はインビエルノ1996(インビエルノは冬の意味)と呼ばれ、ブラジル人のリカルド・フェレッティ新監督が指揮を執った。就任初年度にはレギュラーシーズンに3位となったが、リギージャ準々決勝でネカクサに敗れた。シーズン後半のベラーノ1997(ベラーノは夏の意味)ではトロス・ネサを2試合合計7-2で破り、10回目のリーグ優勝を果たした。インビエルノ1998では再び決勝に進出したが、今度はネカクサに敗れた。この時期にはR・ラミーレスがライバルのクルブ・アメリカに売却され、ファンから批判を浴びた。特別財政部門による10年計画が終了してもなお、チーバスは負債を抱えており、最終的にクラブ売却の道を進んだ。
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