調査で明らかにされた主要な古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 05:12 UTC 版)
「長原古墳群」の記事における「調査で明らかにされた主要な古墳」の解説
塚ノ本古墳 部分的な発掘調査であるが、直径55メートルの円墳で、周溝の幅は15メートルの規模であることが判明している。埋葬施設や葺石は確認されていないが、墳丘には埴輪が並んでおり、円筒・朝顔形・家形埴輪が出土している。家形埴輪は立派な円柱を持ち、2階建てで高さ80センチになる。長原古墳群では最も古い4世紀末の築造と推定される。古墳周溝のすぐ外では円筒棺や土壙墓が確認されている。これらの墓の中には勾玉、鉄釧などの装身具を有するものもあった。被葬者は塚ノ本古墳の被葬者に従属する立場にあった人々と思われる。 一ケ塚古墳 部分的な調査しか行われていないが、方形の造出しを有する直径47メートルの円墳(または帆立貝形古墳)であり、造出しを含めると全長53メートルの規模である。周溝の幅は14メートルある。埋葬施設は確認されていないが、多種多様な埴輪が周溝から出土している。家形埴輪は7点以上出土しており、その1つは高さ80センチに復元される2階建ての入母屋造りである。この他、盾、靭、鞆、短甲、草摺、蓋などの形象埴輪も多く出土している。被葬者を来世に送る葬送儀礼を墳丘上に再現したものとされる。5世紀初頭頃の古墳と推定されている。 七ノ坪古墳 全長約33メートルの帆立貝形の前方後円墳と推定されている。当古墳群のほとんどは墳丘を削られ主体部が失われている場合が多いが、横穴式石室の床部分が辛うじて残り、そこから馬具、鉄製武器、玉類、須恵器が出土した。石室は近畿地方に、横穴式石室の構造が伝えられた初期の形式に属する片袖式の構造である。 南口古墳 七ノ坪古墳と同じく帆立貝形の前方後円墳で全長は34.5メートルを測る。周溝から埴輪や須恵器、韓式系土器、土師器、刀形木製品、それに馬の骨が出土している。埴輪は円筒埴輪、人物埴輪、武人埴輪、家形埴輪、馬形埴輪、器財埴輪(甲冑、盾 蓋)が見られる。馬骨は両脚の四肢の部分がそのまま据えられた状態で検出され、墳丘の前方部裾部分からは歯の部分も見つかっている。これらのことから周溝内で馬の首を切り、その首を墳丘上においたことが想像され、馬供儀と呼ばれる葬送儀礼が行われたことを示唆している。このような例は長野県など古代の牧(馬の飼育場)があったとされる場所に近い地域の中小規模古墳に多くみられるものである。 平安時代、河内国にあった皇室の御牧の1つ、会賀牧(えがまき)が長原付近にあったという説がある。長原古墳群の周辺に広がる長原遺跡(旧石器時代から中世にまたがる複合遺跡で長原古墳群もこの遺跡に含まれる)からは治暦2年(1066年)の年号のある、土地の帰属をめぐる係争に関する木簡の文書が出土しており、このなかには「長原里」の地名などとともに末尾に「會賀御□」の記載がある。このことから現在の長原付近が、平安時代頃には、すでに長原里と呼ばれていることが分かり、さらに長原里が広大な皇室領であった会賀牧の範囲に含まれていたことが推定される。長原から南に2キロに恵我之荘(えがのしょう-羽曳野市恵我之荘)の地名が現在も見られる。長原古墳群付近では古墳時代の村の跡からも馬の存在を示す歯や骨が出土し、また古墳群からも馬形埴輪が多く出土しているので長原付近には古墳時代にも馬の飼育や輸送・交通をつかさどる馬飼いと呼ばれる人々が住んでいたと思われる。 長原高廻り1・2号墳 (上記内部構造と遺物の欄および外部リンク参照) 87号墳 墳丘の北辺の長さ12.0メートルの方墳で、墳丘の高さは1.0メートルまで残存する。幅3.0メートル、長さ2.0メートル造り出しがあり、造り出しには円筒埴輪列が残っていた。西辺には須恵器大甕を転用した主体部が検出されているが棺内(大甕)からは副葬品や人骨は検出されていない。埴輪には円筒埴輪以外に、蓋、馬、人物、鶏、草摺などの形象埴輪が出土した。人物は巫女で丸顔をし、衣を右肩から垂らし、左腕を前方にのばし、何かを捧げもっているようである。馬形埴輪は顔と脚部分が欠損するが、鞍や障泥、輪鐙、面繋、手綱の表現がある飾り馬である。鶏形埴輪は雄鶏を実物大で作っており、鶏冠や目は粘土を貼り付け、羽や足は線刻で表現されている。 117号墳 1辺が10-11メートルの方墳で、周溝幅が最大で5メートルある。陶邑窯出土の須恵器の編年TK208型式に該当する須恵器坏身、坏蓋、耳両付短頸壺、壺が出土した。耳両付短頸壺は朝鮮半島南部(全羅道)に系譜が求められる形態である。長原2期に位置づけられる。 213号墳 大阪市文化財協会が2002年度に発掘した1辺11メートルの方墳である。墳丘中央に割竹形木棺を収めた粘土槨が遺存していた。棺内からは竪櫛3点、棺外から鉄刀1点が出土した。周溝内からは家形埴輪4点と土師器甕と高坏が出土し、土師器の型式から長原古墳群1期に位置づけられる。213号墳のすぐ北側には庄内式から布留式かけての円形周溝墓や方形周溝墓が分布しており、213号墳はこれらの墓域を踏襲して築かれた可能性が高い。長原古墳群ではこのように在来の集団によって営まれたものと117号墳のように、朝鮮半島南部の特徴をもつ土器(2期に属する)が出土する、渡来系の集団によって営まれた古墳が存在するようである。
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