西洋近代の超克とは? わかりやすく解説

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西洋近代の超克

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 02:00 UTC 版)

横光利一」の記事における「西洋近代の超克」の解説

1936年昭和11年)の横光渡欧体験について吉田健一永井荷風島崎藤村描いたパリ現実パリそのものではなく横光は「ヨーロッパ現れ日本最初近代人だった」「その現実を知るのには、眼は外にではなく絶えず我々自身向けられていなければならないそれ故にそれは自意識問題であり、近代特徴をなしているものが、自意識であるのと同じく現実想念近代属している」と評している。 吉本隆明は『悲劇解読』で「この外遊ほど決定的な悲劇明治以後文学史のうえで想定することができない」として「横光悲劇は<西欧>という原理に、<日本>という原理対立させたことにある」とし、『旅愁』で矢代言霊ではイは過去大神で、ウは現神で、エは未来の神であり、この三つをつづめて「エッ」と祈ると説明する場面について「涙が出るほど悲惨滑稽である」と評している。この「神叫び」については横光体験したことのある川面凡児の禊思想象徴的に表現したものとされている。 福田清人荒井惇見は「表面的な国粋主義に、穏やかに追従した考え方だという非難の声も湧きあがった。けれども、横光苦悩はもっと根深く日本という祖国考えるとこに生じるものである」とした。 平野幸仁は、幕末明治期知識人和魂洋才となえることで西欧文明拮抗できるほど強固な武士道倫理漢籍教養持っていたため自己喪失危機陥ることなかったが、横光にはそれらが欠けていたため、日本の村共同体的原理原始的イデオロギーである古神道退行し、また『旅愁』では前述の「みそぎ」のほか、幣帛切り方数学集合論との類似性や、龍安寺石庭排中律と関係があるといった議論小説では描かれており、西欧文化のなかでしか日本文化に意味を与えることができなかったとしている。神谷忠孝河田和子は、横光は「東洋精神による西洋精神超克」を企てたとしている。 田口律男は、横光の「日本的原理」は保田與重郎京都学派の「世界史哲学」とは異なるものであったが、保田與重郎一顧だにしなかっただろうし、また京都学派哲学者にとっては全く問題にならない杜撰な論理思っただろうと推理し横光追求した日本的原理」の構築作業失敗しつづけたとしている。 三島由紀夫は、横光利一文学川端康成文学分かれ目考察し横光川端は元々、同じ「人工的」な文章傾向の「天性」を持った作家であったが、横光は、その天性の「感受性」をいつからか「知的」「西欧的」なものに接近し過ぎて、「地獄」「知的迷妄」へと沈み込んでいき、自己の本来の才能気質見誤ってしまったとしている。一方それに対し川端文学は、寸前でその「地獄」から身を背けたことで、「知的」「西欧的」「批評的」なものから離れることができ、「感受性」を情念感性官能それ自体法則のままを保持してゆくことになった論考している。また、三島横光方法について川端とは逆に、「徹底的に愚直な方法でやった」とし、「あんな誠実な人はいないな。横光さんという人は好きですほんとに誠実だあの人自分エロティシズム効用に全く無知だった」「あんなにすべてに無意識だった人はいない」としている。

※この「西洋近代の超克」の解説は、「横光利一」の解説の一部です。
「西洋近代の超克」を含む「横光利一」の記事については、「横光利一」の概要を参照ください。

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