西洋論理学とは? わかりやすく解説

西洋論理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:38 UTC 版)

中国における論理学」の記事における「西洋論理学」の解説

明末1631年李之藻フランシスコ・フルタドにより、コインブラ大学刊行アリストテレス論理学注解書の抄訳『名理探』刊行された。 清末1900年代厳復は、J.S.ミル論理学体系』を用いて上海論理学講演会を開くと同時に同書翻訳『穆勒名学』や、ジェヴォンズ論理学入門』の翻訳『名学浅説』を刊行した厳復論理学諸学基礎として重要視していた。なお、厳復が「名学」という訳語を用いたのは、上記諸子百家念頭に置いていたため、というわけではない。厳復は、日本人作った論理学という訳語を浅陋訳語評しており、そのような背景のもと「名学」と訳していた。 民国初期1930年代前後には、清華大学哲学科zh:清华大学哲学系)を中心地として、金岳霖中国語版)や沈有鼎(中国語版)が論理学研究した当時清華大学学者多くは、1920年訪中したラッセル影響強く受けていた。1950年代以降中国大陸外では、金岳霖クワイン教え子ゲーデル親交した数理論理学者王浩ハオ・ワン)や、新儒家一人ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』の訳者でもある牟宗三らが活動した。なお、金岳霖・沈有鼎・牟宗三は、諸子百家論理学についても論じていた。 中華人民共和国初期から文革期(1950年代から1970年代)には、弁証法論理学盛んに論じられ一方で記号論理学研究停滞した。しかしその後文革終了後1979年に、晩年の金岳霖初代会長として中国論理学会」(zh:中国逻辑学会)が設立され記号論理学研究されるようになった

※この「西洋論理学」の解説は、「中国における論理学」の解説の一部です。
「西洋論理学」を含む「中国における論理学」の記事については、「中国における論理学」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「西洋論理学」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西洋論理学」の関連用語

西洋論理学のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西洋論理学のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中国における論理学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS