西洋美術史における幻想絵画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/22 18:39 UTC 版)
「幻想絵画」の記事における「西洋美術史における幻想絵画」の解説
幻想絵画を西洋美術史の中に見いだせる範囲はきわめて広く、一般的には、ヒエロニムス・ボス(Hieronimus Bosch; 1450年頃-1516年)辺りを始まりとすることが多いが、その後、ウィリアム・ブレイク(William Blake; 1757年-1827年)、ラファエル前派、象徴主義とその周辺から、世紀末前後の素朴派、世界大戦前後のシュルレアリスム、戦後オーストリアのウィーン幻想派(英語版)、アメリカにおける60年代からの幻視芸術70年代のローブローアート(ポップ・シュルレアリスム)まで、時代と国を問わず、幻想絵画と呼びうる作品が存在する。 1950年代の西欧で幻想(ファンタスティック)に関する動向が起こり、1960年から61年にかけて、クロード・ロワ、マルセル・ブリヨン、ルネ・ド・ソリエは同じく『幻想美術』という著書を出版し、幻想文学もまた広く読まれた。日本では、1960年代にヨーロッパを起源とした特にFantasticの訳語であり美術における専門用語として、「幻想」という言葉が使われだした。ヨーロッパにおける概念に基づき、1959年の瀧口修造の『幻想絵画論』、1967年の澁澤龍彦の『幻想の画廊から』といった美術書が影響力を持ったが、その後に幻想という言葉の意味は少しづつ拡散した。翻訳書も次々に刊行され、他にグスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界』、ロジェ・カイヨワの『幻想のさなかに』であり、こうして情報源が揃うことで幻想絵画と呼ばれる全体像と、見る目を養うのに十分な環境が整っていくのである。1971年のツヴェタン・トドロフは『幻想文学序説』で幻想の定義を語り、巖谷國士によればこの頃にはその定義づけは完了している。 1971年に小田急百貨店にて日本人作家61名による「現代の幻想絵画展ー不安と恐怖のイメージを探る」が開催され、広い意味で日本における幻想絵画を探索してみようと企画された。一方、翌1972年に同会場における「ウィーン幻想絵画展ー神秘と夢幻のリアリスム」が開催され、ここではてヨーロッパにおける動向としての「ウィーン幻想絵画」という、狭い意味での固有名詞的な「幻想絵画」が集約された。幻想絵画という言葉の意味は議論されることなく曖昧なまま、狭義に、広義にと使い分けられてきた。 日本の戦後美術史を把握する『美術手帖』1978年7月号増刊「特集:日本の現代美術三年」は、戦後美術を概観するには信頼できる資料であったが、その年表には上記の二つの幻想絵画の展覧会は掲載されておらず、この資料だけでは動向の把握が難しいものである。
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幻想絵画を西洋美術史の中に見いだせる範囲はきわめて広く、一般的には、ヒエロニムス・ボス(Hieronimus Bosch; 1450年頃-1516年)辺りを始まりとすることが多いが、その後、ウィリアム・ブレイク(William Blake; 1757年-1827年)、ラファエル前派、象徴主義とその周辺から、世紀末前後の素朴派、世界大戦前後のシュルレアリスム、戦後オーストリアのウィーン幻想派(英語版)、70年代のローブローアート(ポップ・シュルレアリスム)まで、時代と国を問わず、幻想絵画と呼びうる作品が存在する。
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