文革終了後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 06:04 UTC 版)
1979年、文革のほとぼりが冷めて、米中の国交が樹立したこの年、李学勤は中国社会科学院の代表団の一員として、香港・オーストラリア・アメリカを歴訪する。 1981年には、ケンブリッジ大学の客員研究員に就任し、イギリスに滞在する。滞在中、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)に所属する先秦研究者、サラ・アラン(英語版)やポール・トンプソン(英語版)、A.C.グレアム(英語版)らの知遇を得る。 1985年には、日本の大庭脩に招かれて、関西大学の客員教授として日本に滞在し、その後も何度か来日する。また同年には、イギリスでの縁をもとに『英国所蔵甲骨集』を出版する。翌1986年には、サラ・アランの手引きでヨーロッパ各地を歴訪し、それにより『欧州所蔵中国青銅器遺珠』を出版する。以降も諸外国を歴訪し、オーストラリア国立大学、カリフォルニア大学バークレー校、ダートマス大学などに招かれる。 1990年代以降の李学勤は、中国内で複数の重職を担うようになる。1991年から1998年にかけては、長らく籍を置いてきた歴史研究所の所長に就任した。1992年には「走出疑古時代」(zh)というスローガンを提唱し、顧頡剛以来の歴史学研究法「疑古」を批判した。1995年から2000年にかけては、その「走出疑古時代」を実践する形で、中国政府主催の古代史研究プロジェクト「夏商周年表プロジェクト」の主導者(首席科学家)を務めた。さらに2001年から2003年にかけては、その後継プロジェクトの「中華文明探源プロジェクト」の初期段階を主導した。 2003年には、かつて中退した清華大学の、歴史学科(zh:清华大学历史系)の教授に就任し、上述の大学再編により断絶していた人文系学科の再興に携わる。2009年には、清華大学の「出土文献研究保護センター」のセンター長に就任し、前年の2008年に清華大学に寄贈されていた膨大な竹簡「清華簡」の整理を主導する。なお2001年には、台湾のほうの清華大学(国立清華大学)の客員教授にも就任している。 2010年からは、清華簡の整理成果を『清華大学蔵戦国竹簡』として分冊形式で順次刊行した。2012年から2013年には、古文字学の最新の成果をまとめた字書『字源』全3冊を刊行した。 2019年2月24日、病のため北京市内の病院(北京協和医院(中国語版))で死去。享年85歳。訃報に際しては、追悼の辞が中国内外から寄せられた。
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